ボブ・マーリー:アルバム制作秘話
1962年、ロバート・ネスタ・マーリーはジャマイカのビヴァリーズ・レコードからデビュー・シングル「Judge Not」をロバート・マーリー&ビヴァリーズ・オール・スターズ名義でリリースした。快活な少年らしいアップビートなスカ・ナンバーを聴いて、スカ、レゲエの世界で、ロバートが 故郷ジャマイカのみならず、世界中でこれほどの大きな影響を与えることになると予想できた人はほとんどいないだろう。今日、ボブ・マーリーは音楽史上、最も大きな影響を与えたレゲエ・アーティストというだけでなく、世界的なスーパースターであり、ジャマイカの文化的アイデンティティの象徴として認識されているのだ。
60年代を通じて、ボブ・マーリーと彼のバック・バンド、ザ・ウェイラーズ(主要メンバーはピーター・トッシュとバニー・ウェイラー)はジャマイカのスタジオで、レスリー・コング、コクソン・ドッド、リー・“スクラッチ”・ペリーといったプロデューサーたちとともに作業し、技術を身につけていった。彼らの大きなブレイク・ポイントとなったのは1972年ソウル・シンガー、ジョニー・ナッシュのサポートとしてイギリスをツアーしたことだ。彼らはアイランド・レコードのヘッド、クリス・ブラックウェルとロンドンで出会い、彼はすぐさまグループにレコード契約を持ちかけた。その結果リリースされた『Catch A Fire』はボブ・マーリーが初の世界的な成功を収めたアルバムとして広く知られている。
次の作品となる『Burnin’』がリリース後、オリジナルのザ・ウェイラーズが解散するが、ピーター・トッシュ、バニー・ウェイラーが不在ながらも、ボブ・マーリーはボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ という名前で活動を続けた。政治的動機に基づきジャマイカを離れることになる数年間の前に、ヒット作『Natty Dread』と『Rastaman Vibration』を続いてリリースした。(ジャマイカを離れていた)数年間の間、(ボブ・マーリーは)イギリスで暮らし、『Exodus』や『Kaya』といったアルバムを制作、そこからは、「One Love」、「Jamming」、そして「Is This Love」といったヒットが生まれ、世界的な成功を生み、彼をジャマイカの国民的なヒーローとした。
ボブ・マーリーは1978年にジャマイカへ戻り、彼の最後のスタジオ・アルバムとなる2枚のアルバム『Survival 』と『Uprising』を録音する、そして1981年5月11日、36歳に永眠した。その10日後、キングストンで国葬が営まれ、自身のギターとともに大聖堂に埋葬された。ジャマイカの大統領エドワード・シアガは、その葬儀の際に下記のように弔辞を述べた。
「彼の声は、この電子社会において偏在し続ける叫びでした。彼のシャープな顔立ち、威厳ある外見、意気揚々としたスタイルは鮮やかにわれわれの心象風景に刻まれることでしょう。ボブ・マーリーはかつてない存在です。彼はあらゆる出会いで忘れられない印象を残してきました。このような人物をわれわれの心から消し去ることは不可能でしょう。彼はこの国の意識の集合体の一部でもあったのです」
高名な音楽ライター デヴィッド・シンクレアによる11枚のボブ・マーリーのアルバム・レヴュー、またその制作秘話を掲載。
名盤『EXODUS』アニバーサリー・エディション 2017年6月16日発売決定!
エクソダス40[SHM-CD] パンクで揺れる激動のロンドンで録音された後期の重要アルバムにして、アイランド第6作。 ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの名盤『EXODUS』のリリースから40年を数える2017年、これを記念したアニバーサリー・エディションが、マーリー・ファミリーの全面協力の下で発売!『エクソダス』オリジナル盤のゴールド・カラー・ディスク仕様の限定盤LP! Exodus 40【輸入盤】【Super Deluxe Edition】 【アナログ】 2017年7月14日発売 タイム誌により「20世紀のベスト・アルバム」と称された1977年発売のBob Marleyの名盤「EXODUS」の40周年記念盤。
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