『Babylon By Bus』は、2枚組のライヴ・アルバムで、大部分は1978年6月、フランスのパヴィヨン・ドゥ・パリ(1万人収容)の3夜公演で録音されており、1978年11月10日にリリースされた。これは、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズが1978年にリリースした2作目のアルバムとなった。この年、バンドのスケジュールには、前作『Kaya』のプロモーションを兼ねた“ワールド”ツアーも組み込まれていた。前年に悪性メラノーマの診断を受けたボブ・マーリーとっては、かなりの重労働だ。また、バンドにとってもこれは綱渡りだった。貧しい街で生まれた彼らは、ハードなストリートのスピリットを体現した音楽を作りながらも、今や世界最大級の室内ステージで、フルスケールのコンサートを行わなければならなかったのだ。
『Kaya』ツアーのスタートは、健康問題を理由に延期された。ただし、ボブ・マーリーではなく、ザ・ウェイラーズのギタリスト、ジュニア・マーヴィン(Junior Marvin)の健康問題だった。ボブ・マーリーがロンドンに移って間もない1977年2月、ジュニア・マーヴィンはザ・ウェイラーズに加入した。なお、「Police And Thieves(邦題:ポリスとコソ泥)」で知られるジュニア・マーヴィン(Junior Murvin: 2013年に死去)とは別人である。ジュニア・マーヴィンは大胆不敵なパフォーマーで、ザ・ウェイラーズのステージにロックン・ロールの要素を加えた。このようにジュニア・マーヴィンの貢献は大きかったため、彼の健康問題でいくつかのショウの日程が変更された。そして5月18日、ミシガン州のアナーバーで、ようやく『Kaya』ツアーがスタートした。
同ツアーはアメリカとヨーロッパを股にかけ、1978年8月5日、フロリダ州マイアミで幕を閉じた。イギリス唯一の公演は、6月22日にスタフォードのビングリー・ホールで行われたが、ライシウムでの伝説的な公演(1975年)ほどの完成度には到達しなかった。なお、ライシウムでの公演は、ボブ・マーリーにとって初となるライヴ・アルバムにして名盤の『Live!』(『Live A The Lyceum』と呼ばれることもある)としてリリースされた。しかし、『Live!』の反響が絶大で、同アルバムは既に伝説的な地位を獲得していたことから、アイランドはもう1作、さらにスケールの大きなライヴ・アルバムを早いうちにリリースしようと考え、『Babylon By Bus』を制作したのだった(アルバムのタイトルは、ニュー・ミュージカル・エクスプレス誌に掲載されたビングリー・ホール公演のレビューのタイトルから取られている)。
『Babylon By Bus』の目標は、途方もない激しさをもう1度2インチのテープに収めることだった。しかし、『Live!』アルバムの繰り返しではいけない。また、9ヵ月前にリリースされたばかりの『Kaya』の曲ばかりに集中してもいけない。ボブ・マーリーと共同プロデューサーのクリス・ブラックウェルがこの目標を見事に達成したという事実は、ボブ・マーリーのレパートリーの強さと豊かさの証になった。そして、ポピュラー音楽史上でも屈指のライヴ・アクトと評されるバンドの研ぎ澄まされた演奏本能をも証明している。
ザ・ウェイラーズは、主にボブ・マーリーという天才の歌とソングライティングを伝達する手段だったが、『Babylon By Bus』は、世界最高のレゲエ・バンドの卓越した音楽的才能を堪能できる作品だ。アストン(ベース)とカールトン(ドラム)のバレット兄弟による無敵のリズム・セクションは、1970年から盤石のままである。計り知れない貢献をしてきた不変・不動のバレット兄弟は、バンドのパフォーマンスの礎となった。ロックやポップの世界に遍在する2拍目と4拍目の“バックビート”に対し、直観に反したリズム構造(ダウンビートが1小節中の1拍目と3拍目に来る)を持つレゲエ・ミュージックは、グルーヴによって決まる。サイド1(1枚目A面)のオープニングを飾る「Positive Vibration」から、観客が声を上げ、壮大なフィナーレを飾るサイド4(2枚目B面)の最終曲「Jamming」に至るまで、バレット兄弟は大きく響きながらも鋭いグルーヴを提供し、ウェイラーズの最高傑作を支えている。
『Babylon By Bus』で強調されているザ・ウェイラーズのサウンドで、もうひとつ鍵となる要素は、アイ・スリーズとして知られるリタ・マーリー、マーシャ・グリフィス、ジュディ・モワットによる器用なバック・ヴォーカルのアレンジメントだ。「Exodus」での複雑に絡んだヴォーカル・パートは芸術作品で、観客も歌や掛け声、チャント、応援等、即興で作品に寄与している。こうして一体となった声が、喜びに満ちた一体感をパフォーマンスに吹き込むのだった。
フロントラインのミュージシャンも見逃せない。「Lively Up Yourself」、「Concrete Jungle」、「Rebel Music (3 O’Clock Roadblock)」といった多くの曲で、ジュニア・マーヴィンとアル・アンダーソンのブルージーで物悲しいギター・ソロを聴くことができる。また、「Stir It Up」では、タイロン・ダウニーとアール・リンドによる刺激的な鍵盤ソロのキーボード・ジャムも聴くことができる。
ボブ・マーリーの過去作と比べると、目立つパフォーマンスをよしとするアメリカン/ロック・マーケット向けの『Babylon By Bus』だが、アメリカでは102位という残念な結果に終わった。こうしてボブ・マーリーは、アメリカではニッチなスーパースターという不思議な地位に留まっていた。イギリスでは、同アルバムは第40位を記録した。しかし、当時から顕著だったのは、次に行われた『Babylon By Bus』ツアーの絶大かつ長期的なインパクトだ。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズはアジアとオセアニアで初ツアー(唯一のツアー)を決行した。1979年4月5日から始まる6回のソールドアウト公演に向けて東京に到着したバンドは、大勢の熱狂的なファンやパパラッチの出迎えを受けたため、空港を出る前に慌てて記者会見を開いた。彼らの来日がレゲエの基盤を気づくと、日本ではすぐにレゲエ・シーンが根づき、盛り上がった。
同様の歓迎がオーストラリアとニュージーランドでも待ち構えていた。ボブ・マーリーはマオリ族とアボリジニのコミュニティを訪れ、彼らはラスタファリアンのボブ・マーリー一行を同志として歓迎し、ボブ・マーリーを救世主として受け入れた。《Babylon By Bus》ツアーが、南半球にあるオーストラリアとニュージーランドの音楽的・文化的なエコシステムに与えた影響は多大だ。オーストラリアとニュージーランドにおいては、レゲエはレコードで聴くか、ラジオでたまにかかるものを聴くしかなかった。しかし、ヨーロッパと北アメリカ同様に、マーリーとウェイラーズはオセアニアでも“来た、見た、勝った”を達成し、レゲエを遠くにある興味深い音楽から、ポピュラー・ミュージックの重要ジャンルへと変革したのだった。
パンクで揺れる激動のロンドンで録音された後期の重要アルバムにして、アイランド第6作。
1999年にタイム誌により、「20世紀最高の音楽アルバム (the best music album of the 20th century)」に選ばれた本作が40周年を迎える今年6月に3枚組豪華エディションで登場!!
オリジナル・ヴァージョンに加え、長男のジギィ・マーリーがセッション・テープを丹念に精査、これまで使われてこなかったヴォーカルや演奏、聴いたことのない歌詞を含めて再構築した”エクソダス40″をDisc 2に、更には7曲の未発表トラックを含む1977年6月1~4日のロンドン・レインボー・シアターでのエクソダス・ライヴをDisc3に収録。
Exodus[輸入盤][UNIVERSAL MUSIC STORE限定盤][Gold Vinyl][40th Anniversary Limited Edition] 【アナログ】