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ジェファーソン・エアプレインのマーティ・バリンが76歳で逝去

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Photo: Tom Hill/WireImage

1960年代サイケデリック・ロックの大御所、ジェファーソン・エアプレインのオリジナル・メンバーにして、リード・ヴォーカリストのマーティ・バリンが9月27日に76歳で逝去した。彼の妻であるスーザン・ジョイ・バリンが彼の最期を看取ったそうだ。

ロックの殿堂入りを果たし、グラミー功労賞生涯業績賞の受賞者であるマーティ・バリンは、1965年にサンフランシスコを拠点とするジェファーソン・エアプレインを共同創設し、以後西海岸で花開いたロック・シーンに出現したバンドの中心人物として活躍した。彼はバンドの代表曲「Somebody To Love」や「White Rabbit」やオリジナルのアルバム作品において重要な役割を担い、1970年にはジェファーソン・スターシップとしても大きな成功を収めた。ソロ・アーティストとしては、1981年に発表した「Hearts」で全米チャートTOP10入りを記録した。

I Specialise In Love Marty Balin

本名マーティン・ジェレル・ブッフバルトは1942年1月30日にオハイオ州のシンシナティに生まれた後、サンフランシスコ近郊で育ち、チャレンジ・レコードで作品を録音しながら、地元でフォーク・ギターを演奏していた。彼が2017年の夏に自身のインスタグラムで明かしていた通り、彼の最初のシングル「I Specialize In Love」には豪華な顔ぶれが参加していた。「チャンレンジ・レコードからの初めてシングルは、ギターにグレン・キャンベルを迎えてのレコーディングだった。それから、ザ・レッキン・クルーとバック・ヴォーカルはダーレン・ラヴ、ファニータ・ジェームス、ジーン・キングらブロッサムズもいた。グレン・キャンベルは当時大スターだったから、みんなセッションをとても楽しみにしていたよ。あの日のことは一生忘れないし、とても感謝している」と綴っていた。

そんな中、マーティ・バリンはフーテナニーで12弦のギタリスト、ポール・カントナーに出会った。そして、ヨーマ・コウコネン、ジャック・キャサディー、スキップ・スペンス、そしてオリジナルのヴォーカル、シグネ・トリー・アンダーソンに出会い、このメンバーで1966年8月にリリースされたジェファーソン・エアプレインのアルバム『Jefferson Airplane Takes Off』を作り上げた。今作は全米チャートで128位を記録し、バンドはサンフランシスコの音楽シーンで一躍注目の存在となった。その後、スキップ・スペンスとシグネ・トリー・アンダーソンに代わって、スペンサー・ドライデンとグレイス・スリックがバンドに加入した。

Somebody To Love/ White Rabbit – Jefferson Airplane

バンドのブレイクのきっかけとなったのは、1967年2月にリリースされた独創性に富んだアルバム『Surrealistic Pillow』で、今作に収録された「Somebody To Love」と「White Rabbit」が全米チャートで数週間連続でTOP10入りを記録した。この2曲は、後にサマー・オブ・ラブへと発展したヘイト・アシュベリーにおけるカウンターカルチャー・シーンを象徴する楽曲になった。このアルバムの中で、マーティ・バリンは5曲でソングライターとしてクレジットされ、グレイス・スリックと共にリード・ヴォーカルを担当、バンドのアートワークにも深く関わっている。彼は熱心な画家でもあり、ジャニス・ジョップリンやジェリー・ガルシア、ジム・モリソンなど、著名人仲間や友人たちの大きな肖像画を手掛けていた。

Surrealistic Pillow

ビルボード誌の50周年を記念した記事の中で、1967年6月にジェファーソン・エアプレインが有名なモントレー・ポップ・フェスティバルに出演した時のことを彼はこう語っていた。

「僕たちの出番はオーティスの直前だったんだ。僕らのパフォーマンスでその日初めて観客に火がついたんだ。そしてオーティスが熱狂させた。”さあ、立ち上がって!”の呼び掛けに、みんな総立ちしたよ。彼は僕がこれまで見た中で、最もパワフルなエンターティナーだよ」

全米でアルバムが立て続けにゴールドを獲得した後、1971年にマーティ・バリンはバンドを一度脱退したが、グレイス・スリック、ポール・カントナーとオリジナルのバンド・メンバーらがジェファーソン・スターシップとしてバンドを再結成した時に、再び加入し、その後も在籍した。アルバム『Dragonfly』や全米1位に輝いた『Red Octopus』や『Spitfire』など、よりポップなサウンドの作品群のリリースにより、彼らは絶大なる人気を獲得していき、1970年代後半には、「With Your Love」(マーティ・バリンが共作した)、「Count On Me」、そして「Runaway」といった全米TOP10シングルも世に送り出した。

1978年終わりにグレイス・スリックがジェファーソン・スターシップを脱退した直後、マーティ・バリンもバンドを去り、その後EMIと契約し、ソロとしてのキャリアをスタートする前に、ロック・オペラ『Rock Justice』を制作した。

「Hearts」は1981年のアルバム『Balin』からの1曲で、今作には全米TOP30入りした「Atlanta Lady (Something About Your Love)」も収録されていた。1983年にはアルバム『The Lucky』がリリースされた。後年、マーティ・バリンはジェファーソン・エアプレイン時代の仲間、ポール・カントナーとジャック・キャサディと共にKBCバンドを結成し、1989年にエピック・レコードからリリースされたアルバム『Jefferson Airplane』で完結したジェファーソン・エアプレインの再結成にも参加。それから2016年のアルバム『The Greatest Love』に至るまで、多くのソロ作品を作り上げた。

マーティ・バリンは彼の妻、スーザン・ジョン・バリンや娘のジェニファー・エドワーズとデラニー・バリン、義理の娘であるレベッカ・ゲイアー、モリヤ・ゲイアーを残して先立った。

「マーティと私は深い愛を共有していました。彼は時折それを涅槃と呼んでいましたが、その通りでした」とスーザン・バリンは声明の中で語った。「でも本当に、私たちは彼の愛に包まれていたんです。彼の魂は一生我が身と共にあるでしょう」。

現在ジェファーソン・エアプレインとして運営されているソーシャル・メディアでは、「真のレジェンドがこの世を去った。マーティ・バリンは今日も続く革命の手助けをしてくれた。みんな彼がとても恋しくなります。彼のご家族とご友人、そして世界中のファンの皆様に心よりお悔やみ申し上げます」。

Written by Paul Sexton



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