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キャプテン・ビーフハートとフランク・ザッパの『Bongo Fury』
コラボレーションとは言えないにせよ、キャプテン・ビーフハートの斬新なアルバム『Trout Mask Replica』の発表をフランク・ザッパが手助けしたという事実は否定できない。ビーフハートもザッパも厳しいバンドリーダーであり、ロックのルールブックを破り、新しい辞書を作り出す活動に精を出していた。ザッパはロックン・ロールの風刺的な脱構築、ビーフハートは原始的なブルース風の雄叫びという手法をそれぞれ使って。とはいえ、両者は異なる道をたどっていった。ザッパはどんなことも決して運任せにはせず、何事も細かいところまで計画していくタイプ、一方ビーフハートはクリエイティブな台風のようなアーティストであり、その内的独白風の歌詞と同じくらい混沌として見えることもあった。やがてふたりは仲たがいし、何年ものあいだ疎遠になっていた。
しかし1970年代なかば、両者の歩む道は再び交差する。ザッパのバンド、マザーズ・オブ・インヴェンションは活動の末期にさしかかっていた。一方ビーフハートは、あからさまに売れ線を狙った活動で従来のマジック・バンドのメンバーに愛想を尽かされ、バンドのない状態になった。ひとまず休戦した両者は、1975年の春に短いアメリカ・ツアーを行う。そのとき録音された音源をもとに作られたのが、ザッパの1975年のアルバム『Bongo Fury』である。この作品は、一部がスタジオでレコーディングされた新曲、残りがテキサス州オースティンのワールド・アルマジロ・ヘッドクオーターズでのライヴ録音という構成になっていた。
ザッパはコンサート・ツアーの序盤にローリング・ストーン誌のインタビューに応えている。その記事によれば、ビーフハートは久々に電話をかけてきて、1974年のザッパのアルバム『Apostrophe (’)』を褒め、かつての自分の発言について謝罪したという。「彼は自分の言ったことについて謝り、仕事をくれと求めてきた。後悔していたよ。以前はひどく混乱していたんだ」。
とはいえ、旧友ザッパは簡単には仕事をくれなかった。ビーフハートは最初オーディションで不合格になっている。その理由は、ザッパに言わせれば「リズム感の問題」によるものだった。ツアーが始まる直前になって、ビーフハートはようやく合格している。しかし『Bongo Fury』のレコーディングが始まるころには、このふたりの再会は吉と出ていた。ビーフハートは刺激たっぷりの説教師となり、観客に熱弁を振るいつつ彼らに映像的な言葉で魔法をかけていった。一方ザッパとマザーズは確かな腕前でそのバックを務めていた。特にその原動力となっていたのが、新加入のドラマー、テリー・ボジオだった。
『Bongo Fury』は1975年10月2日に発表されたが、ローリング・ストーン誌が同作のレコード評を載せたのはその3カ月後の1976年1月1日号。しかもその記事は、かなり否定的な内容だった。しかし今では、『Bongo Fury』は名作と見做されており、多くのファンからも愛されている。ザッパの熱心な信奉者は、マザーズ黄金期の最後を飾るこのアルバムで、自分たちの英雄が絶好調だったと主張するかもしれない。またビーフハートのファンは、これに先立ってリリースされた2枚のアルバム(『Unconditionally Guaranteed』と『Bluejeans & Moonbeams』)は平凡な仕上がりだったが、我らがキャプテンは、ここでアーティストとして復活したと主張するかもしれない。
確かに、このアルバムにはザッパとビーフハートの両方が輝いている瞬間がある。「いつも俺はこういう曲を無法者や悪党のように演奏した」とビーフハートは「Sam With The Showing Scalp Flat Top」で語っている。マザーズが音楽で合いの手を入れる中、彼はさらに続ける。「ほとんどの人をいらだたせる、くすんだメロディ。フェンスの向こう側から流れてくる音楽。黒い白鳥の小さな彫像が色鮮やかな蓮の葉の上に置かれている。プレスされた黒のフェルトを寄せ集めたテーブルの上」やがて彼がアルバム・タイトルにもなったフレーズ「Bongo Fury(ボンゴの怒り)」と叫び始めるころ、マザーズがうしろに滑り込み、演奏は何の前触れもなく「Louie, Louie」に変わっていく。この「Louie, Louie」は、ザッパが幾度となく引用していた曲だった。
このアルバムにはスタジオでレコーディングされた楽曲も少し収められている(「200 Years Old」「Cucamonga」、そして「Muffin Man」のイントロもレコーディング・スタジオで録られている)。これらは1975年1月のフランク・ザッパのアルバム『One Size Fits All』のレコーディング時に録音された音源だった。これらのスタジオ音源でも、ザッパ率いるマザーズの演奏は好調だが、このアルバムに関しては、ライヴ録音されたトラックのほうを繰り返し聴くというファンがほとんどだろう。
ツアーの終了後、ビーフハートは新たに編成されたマジック・バンドと共にスタジオに入り、ザッパのディスクリート・レーベルからのリリースを念頭に、アルバム『Bat Chain Puller』をレコーディングしたが、これは不幸な運命をたどっている。ビジネス上のトラブルにより、『Bat Chain Puller』はオクラ入りの憂き目に遭ったのである(ようやく正式リリースされたのは、2012年に至ってのことだった)。その後の両者の関係は必ずしも良好とは言えなかったが、それでもビーフハートはザッパの芸術を理解していたようだ。「たぶんフランクは、この地球上で最もクリエイティブな人間だ」と彼は1975年のコンサート・ツアー中に述べている。「まだ発明されたことのない楽器のための曲を作ってるんだ……あいつは第二のハリー・パーチだよ」。
この言葉はビーフハートにこそお似合いだ……そんな風に思うビーフハートのファンは決して少なくないだろう。
By Jason Draper
Frank Zappa『Bongo Fury』