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ナイジェリアで録音されたウィングスの最高傑作『Band On The Run』

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ザ・ビートルズ以後の時代において、アメリカで1位をとることは1974年の ポール・マッカートニーにとっては、もはや新しいことではなくなっていた。しかし、おそらくは、この年の4月13日に、少なくとも非常にチャレンジングな状況で制作されたウイングスのBand On The Runが全米1位を獲得した時は、何かを成し遂げたという高められた気持ちを感じたことだろう。

まず第一に、このアルバムは、突如として、ポール自身が3ピース体制のウイングスの指揮を執り、制作しなくてはならなかった。彼の妻リンダ・マッカートニーとデニー・レインのサポートはあったが、出し抜けにバンドを脱退したヘンリー・マカロックとデニー・シーウェルの助けはなくなったからだ。

そして、このアルバムのレコーディングは(ナイジェリアの)ラゴスという冒険的な場所で行われた、そこで、ある晩ポールとリンダはナイフで脅され、強盗にあった。盗まれたものの中には、手書きの歌詞とこのプロジェクトのデモが入ったカセット・テープもあった。しかしこういった事件さえも、細分化されてしまったバンドの友愛を深めることになっただけであり、『Band On The Run』 はポールの高名などのキャリアを通じても、最高傑作のひとつとされている。

ニュー・ヨーク・タイムズ紙のレヴューでロレイン・アルターマンは、「ポールのグルーヴはあなたの心をつかむだろう」とヘッドラインに記している。彼女は「 『Band On The Run』は明らかに入念に制作されたアルバムである。しかし、ポール・マッカートニーは、未来のようにマルチ・トラック・レコーディングの複雑な音源を自然かつ新鮮なものとすることに成功している」と感嘆している。

ローリング・ストーン誌にアルバムについて書いたジョン・ダンドーは歌詞の鋭さをほめたたえており、「ポールの独特な英国人的感性は、批判なしには物事に言及しない」と語っている。

アルバムは1973年のクリスマス前に、全米チャート33位に初登場した、それは、その前のアルバム 『Red Rose Speedway』が6月に3週1位を獲得していることを考えると、驚くほど控えめなスタートであった。『Band On The Run』は、イギリスでは、7週連続で1位を走った後、10週10位以内にとどまり、その後1975年11月まで、約2年近くチャートにとどまり続けるロング・ヒットとなった。

Written By Paul Sexton



Paul McCartney & Wings-Band on the Run album cover.jpg

ポール・マッカートニー&ウイングス『Band on the Run』

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