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英国最高の音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」42年の歴史を振り返る
アメリカで「エド・サリヴァン・ショー」が放送されていたように、またはドイツに「Musikladen」(「Beat-Club」の後継番組)があったように、イギリスには「トップ・オブ・ザ・ポップス」があった。イギリス国内の才能発掘の場として人気だったこの番組は、同時に海外のアーティスト達が海を渡って名を売るために絶対に外せない、きわめて重要な番組でもあった。
1964年に放映が始まった「トップ・オブ・ザ・ポップス」は、ステイタス・クォー (「Pictures Of Matchstick Men」)、スモール・フェイセズ (「All Or Nothing」)、スペンサー・デイヴィス・グループ (「Keep On Running」) といった重要なブリティッシュ・グループのキャリアの初期にメディア露出の絶好の機会を与えた。「トップ・オブ・ザ・ポップス」は、しかし同時に、アメリカから訪れる魅力的なサウンドのアーティスト/グループをサポートすることに関してもきわめて迅速だった。ビーチ・ボーイズも、この番組の恩恵を受けたバンドの一つだった。彼らは実際にスタジオを訪れ、「トップ・オブ・ザ・ポップス」のカメラの前に立つことは叶わなかったものの、番組は1966年の11月から12月にかけて、グループのプロモーション・クリップを4回に亘ってオン・エアし、その宣伝に一役買っていた。これは、アーティスト本人がスタジオに来られない時に「トップ・オブ・ザ・ポップス」のスタッフが利用したもので、それは番組の終了に至るまで続いた。また、ベリー・ゴーディーが設立したレーベルであるモータウンが世界的な人気を手に入れ始めた数年間は、彼らのための出演枠を設けていた。シュープリームスやスティーヴィー・ワンダーは、60年代のモータウンが育てたデトロイト・ソウルにイギリスが夢中になるきっかけになり、後に続いたグラディス・ナイト&ザ・ピップスを始めとする新たなモータウンのスター歌手やミュージシャン、そしてソロ活動を始めたダイアナ・ロスにとって、この番組は第二の故郷とでもいうべき場所になっていたのである。
70年代に至ると、「トップ・オブ・ザ・ポップス」は大西洋を超えたコネクションを確立。その名前はよりグローバルなブランドになっていった。その10年間では、パンク、グラム、ヒップホップ、レゲエ、そしてロックン・ロールなど多種多様なスタイルの音楽がヒット・チャートを彩っていったが、注目すべきは、海外のアーティストの多くが、巡礼者のごとくBBCテレビジョン・センターを目指したということである。「トップ・オブ・ザ・ポップス」の視聴者数は1,900万人とも言われるが、それほどのオーディエンスを抱えるテレビ番組は、ほかに例がなかったのである。ヒット・チャートを席巻した古典的レゲエ・ナンバー「The Israelites」をひっさげて1969年に「トップ・オブ・ザ・ポップス」への初出演を果たしたジャマイカのスター、デズモンド・デッカーは、1970年に再びこの人気番組に登場し、「You Can Get It」を演奏した。70年代も終盤に近付いたころには、オーストラリアを代表するハード・ロック・グループ、AC/DCが招かれ、アルバム『Powerage』から「Rock ‘n’ Roll Damnation」を披露。そのアルバム名に違わない騒々しいパフォーマンスで視聴者の耳を刺激した。スウェーデンのポップ・アイコン、ABBAも70年代を通じてたびたびイギリスを訪れ、「トップ・オブ・ザ・ポップス」に登場。「Mama Mia」「Waterloo」「Fernando」といった名曲を披露している。
そしてパターンが確立され、番組は安定期に入る。以降20余年ものあいだ、「トップ・オブ・ザ・ポップス」はあらゆるスタイルの音楽を紹介し続け、世界各国から訪れるアーティスト達は自身の成功に至るまでの経歴に、この長寿番組の名前を刻んでいくことになる。この時期に至ると、既に確固とした位置を築き上げた大物ミュージシャンでさえたびたび再訪するほど、この番組は重要な存在になっていた。たとえばクイーンは、1982年6月17日に番組に出演し、「Las Palabras De Amor (The Words Of Love) (ラス・パラブラス・デ・アモール (愛の言葉))」を演奏しているが、このとき彼らは既にデビュー・アルバムのリリースから10年を経たベテランだった。
「トップ・オブ・ザ・ポップス」に登場した有名アーティストの一連を眺めると、時代ごとに移り変わっていった文化の流れを追うことができる。アメリカのオルタナティブ・ロックが徐々にメインストリームに食い込んできたのは、R.E.M.が「Orange Crush」を披露した80年代のことで、その10年は、ラーズの「There She Goes」(1988年)に象徴される、儚げできらめくようなUKポップと、ソフト・セル(「Tainted Love」)、ヒューマン・リーグ(「Do not You Want Me」)、デュラン・デュラン(「Girls On Film」)らによって世界的に流行したシンセ・ポップが並走した時代でもあった。90年代には、ブラー、オアシスという2組の頂上対決があったが、より俯瞰してみるとイギリス産のブリット・ポップとアメリカのグランジ・シーンという大西洋を挟んだ大きな抗争の図式の中の一部だったことに気付く。アンダーワールド、ケリスらさまざまなアーティスト達の印象的なプロモーション・ビデオが番組内で紹介されたという事実も記憶にとどめておくべきだろう。90年代はポスト・モダン・ムーヴメントの10年とされるが、その理由も自ずと明らかだ。
その名に恥じることなく40余年に亘って続いた「トップ・オブ・ザ・ポップス」の歴史は2006年に遂に幕を閉じた。1964年1月1日の初放送から、2006年7月30日の最終回に至るこの番組の歴史を8組の3枚組CD(総計でCD24枚)に詰め込んだ同名のコンピレーションを聴くと、「トップ・オブ・ザ・ポップス」がいかに特別な番組であったかがよくわかる。5年ごとに区切られたこの長寿番組の遺産には、時代を超えた普遍的な名曲群がぎっしりと詰め込まれている。そして私たちに、それぞれの時代の有様を生き生きと伝えてくれるのである。
By Sam Armstrong