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説得されて作りロック・ファンの心を掴んだマディ・ウォーターズの『Electric Mud』
1968年、チェス・レコードの共同設立者であるレナードの息子マーシャル・チェスは、なかなか首を縦に振らないマディ・ウォーターズを相手に必死に説得を行った。これから作ろうとしているアルバムのレコーディングがいかに素晴らしいものであるかを理解してもらおうと懸命に努めたのだった。そして遂に、チェスは彼を説き伏せることに成功し、ブルース・ロックという流れを生み出し始めていたジャズとブルースという両ジャンルを跨いで活躍するミュージシャンを集め、スタジオを用意するというプランを立てたのだった。
特に注目に値するのがサイケデリック・ギタリスト、ピート・コジーだ。1970年代半ばのマイルス・デイヴィスのエレクトリック期に大貢献した彼は、1968年のサン・ラ・アーケストラのメンバーでもあった。そしてもう一人、スタン・ゲッツ、ジャック・マクダフ、ジミー・スミス、ウディ・ハーマン等との一連のギグによって一躍頭角を顕していたベーシスト兼ギタリストのフィル・アップチャーチだ。彼とコジー、そしてローランド・フォークナーによるジャズ・ギタリストが3名集合した。ベースはチェス専属のミュージシャン、ルイス・サタフィールドが請け負うことになった。
チェスお抱えではもう一人、プロデューサーのジーン・バージが自らのサックスとアレンジ能力を携えてレコーディングに参加することになった。更に、彼とサタフィールド共通の知り合いであるドラマー、モリス・ジェニングスも合流する。エレクトリック・ピアノに陣取るのは、後にアース・ウィンド・アンド・ファイアーのプロデュースを手がけることになるチャールズ・ステップニーである。当時のステップニーは、R&Bヴォーカル・グループのザ・デルズ、傑出したサイケデリック・ソウル・グループ、ロータリー・コネクション、ジャズ界のレジェンドであるエディ・ハリス、ラムゼイ・ルイスといったアーティスト/グループの諸作で、アレンジや作曲を手がけ、多忙をきわめていたが、それをおしての参加だった。実は、彼はこれに先立つこと数年前に『Brass and the Blues』のアレンジに携わり、マディ・ウォーターズとチェスで一度仕事をしたことがあった。売れっ子ブルースマンのB.B.キングのスタイルを採り入れ、良好なセールスを上げたウォーターズの代表作のひとつとして知られているアルバムである。
マーシャル・チェスはバック・ミュージシャン達を早い時間にスタジオに集めた。ウォーターズが到着した際にヴォーカルと幾つかのソロをレコーディングするだけで済むようにと考えたのだ。しかし、ウォーターズは段取りで決まっていた以上で彼のレコーディング・アーティストとしてのキャリアの中で一二を争う、この上なく熱のこもったパフォーマンスをしてみせたのだった。
中でもとりわけ素晴らしいトラックが「Hoochie Coohie Man」である。ヘヴィーなバックビート、流れるようなギター、活気のあるベース、艶のあるオルガン、そしてジャジーなサックスといったサウンドを見事にチェスのイメージと融合させた出来栄えだ。
しかし、このアルバムを素晴らしいものにした最大の理由はウォーターズが元来備えている音楽性だった。シャープでエッジの効いたサウンドに上手くヴォーカルを絡みつかせている彼の上手さが光る「Tom Cat」に耳を傾けてほしい。わずか一声のシャウトによってこの上なくヘヴィーなリズム・セクションに鞭を入れ、さらに途中で何度か「Yeah」と叫ぶことで、その強烈なリズムをさえも圧倒している、ファンキーにリファインされた「Mannish Boy」もまた然りである。
ミック・ジャガーとキース・リチャーズによるザ・ローリング・ストーンズの楽曲「Let’s Spend the Night Together」のカヴァーは、ウォーターズの最大のファンである彼らに対する謝意の表れであると同時に、若い世代のマーケットもある程度取り込もうという意図も見える。だがそれにしても圧倒的なウォーターズの持つ剥き身のパワーがもたらす表現力だ。ともすれば皮肉っぽい姑息な手口と受け取られかねないものを、彼は完璧を目指す本気の表れだと納得させてしまうのだ。
当初は乗り気でなかったウォーターズだが、極限までエネルギッシュなセッションを楽しんだ。レーベルメイトであるハウリン・ウルフよりもその熱量は高かった。ちなみにウルフはこのウォーターズのセッションの約1ヶ月後に、ほぼ同じバックバンドを率いて彼の後に続くようにスタジオ入りしている。
『Electric Mud』から遡ること5年前の1963年にアルバム『Folk Singer』をリリースしてウォーターズをかつてアコースティック好きのリスナーと結びつけたように、大迫力の『Electric Mud』で彼をロックのオーディエンスと結びつけたチェスは、再び大きなビジネスをものにすることになった。6週間で15万枚のセールスを上げたこのアルバムは、彼にとって初のビルボード・ヒットチャート入を果たした作品になったのだ。
ジミ・ヘンドリックスをはじめ多くの有名ミュージシャン達がこのアルバムを気に入った。ヘンドリックスは自身のパフォーマンスのウォームアップ用に「Herbert Harper’s Free Press News」を聞いていたという。批評家の中には、神聖なるジャンルを汚す作品として高い評価を与えない者もいた。しかしナット・キング・コールがかつて言ったように、批評家は「レコードをタダで貰っていて、買いに行かないのさ」。
見過ごされた名盤として、このアルバムを愛している者は多い。パブリック・エネミーのチャック・Dをはじめとする一群はヒップ・ホップの初期に影響を与えた作品だと認めている。更にチャックDは、アルバムのオリジナルのセッション・プレイヤー達を集め、ヒップ・ホップの要素と融合させてThe Electric MudKatsと名付けた再結成パフォーマンスも取り仕切った。ぜひ『Electric Mud』をチェックしてほしい。ブルースは、煮こごりのように固めてしまうものではなく前に進んでいくものだ。このアルバムはそれを具現化したものである。
Written By Sam Armstrong
マディ・ウォーターズ『Electric Mud』