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シュープリームス vs ビートルズ:1964年全米シングルチャートでの争い
1964年末には、双方の戦闘態勢は整っていた。大西洋を挟んだ英米両国から、それぞれの国を代表する選りすぐりのグループが一組ずつ登場したのだ。クリスマスには、両代表が競う親善試合シュープリームス対ザ・ビートルズが組まれ、両陣ともに勝利をおさめた。
どちらのグループも、特にアメリカでこの年は途方もない成功を収めていた。12月までの段階で、シュープリームスはポップ・チャートのトップ20に5枚連続でシングルを送り込み、続いて「Where Did Our Love Go(邦題:愛はどこへ行ったの)」と「Baby Love」という特大のヒット曲で立て続けに首位を獲得していた。それと同時期に、ザ・ビートルズはポップ・チャートの100位以内に28曲ランク入りという圧倒的な成績を残している。それも多くの場合、シングルの両面がヒットを記録していた。そして1位を獲得したシングルは4曲に及んだ。
どちらのグループも、1964年はもう1枚シングルを出す予定だった。シュープリームスは「Come See About Me」、一方ザ・ビートルズのシングルは「I Feel Fine」だった。戦いの火蓋は切られた。チャート入りはシュープリームスのほうが3週間早く、11月中旬に初登場66位を記録。12月上旬には「I Feel Fine」も続き、初登場でいきなり22位に入った。
12月19日付のシングル・チャートでは「Come See About Me」が首位に到達し、シュープリームスはこの年3枚目の1位を獲得した。しかしその座はクリスマスまで保てなかった。翌週にはザ・ビートルズが「I Feel Fine」で首位に到達。それから3週間1位を維持し、1965年最初の1位も獲得した。
その後、驚くべきことに「Come See About Me」がザ・ビートルズと入れ替わりで再び1位に立った。一方「I Feel Fine」のB面「She’s A Woman」も最高4位に入るヒットを飛ばし、これで1964年のビートルズは合計30曲をシングル・チャートに送り込むことになった。大人気グループ同士の戦いは、このあと1965年以降も続いていく。
Written by Paul Sexton
- ザ・ビートルズ アーティスト・ページ
- “ホワイト・アルバム” が持つデザインの革新性と使われなかったアートワーク
- 「Love Me Do」が全米1位になるまでの長い道のり
- シュープリームス アーティスト・ページ
- シュープリームス「Baby Love」の誕生
- シュープリームス『Where Did Our Love Go(邦題:愛はどこへ行ったの)』
シュープリームス『Where Did Our Love Go』
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