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ティナ・ブルックスの存命中に発売された唯一のリーダー作『True Blue』がなぜ“ハード・ボップの傑作”や“ブルーノートの最高傑作”と言われるのか
ティナ・ブルックスはハード・ボップなテナー・サックス奏者でありコンポーザーとしてジャズ界で名を馳せる才能の持ち主でありながら、賞賛を得ることは出来なかった。彼はアルフレッド・ライオンとフランク・ウルフのブルー・ノート・レーベルの為に4枚のアルバム分のセッションをレコーディングしたが、生前にリリースされたのは『True Blue』のたった1枚だけであった。
ブルックスは本名ハロルド・フロイド・ブルックスとしてノースカロライナ州の小さな町であるフェイエットヴィルに1942年に生まれ、13歳の時に家族と共にニューヨークへ移り住む。ティナとは彼が幼かった頃の「Teeny」や「Tiny」どちらもチビという意味のあだ名が崩れて出来た名前で、実際に彼の身長は低かった。この名が大人になってからも定着したままとなったのであった。高校時代に彼はC-メロディのサックスを吹き始め(彼の兄がテナーサックスを吹いていた為、手ほどきを受ける)、その後ファースト、アルト、そしてテナーサックスと順に転向していった。彼の憧れのサックス奏者はレスター・ヤングだったが、ティナは40年代後期から50年代初期まではチャールス・ブラウンとアモス・ミルバーンによるR&Bバンドで音楽的な腕を磨いた。
ビブラフォン奏者のライオネル・ハンプトンのグループに入ったのち、ブルックはトランペット奏者のベニー・ハリスから声をかけられる。彼はブルックスの巧みなテクニックと感受性のバランスに感銘を受け、1958年にブルーノートのアルフレッド・ライオンにこの若きサックス奏者にレコーディングの機会を与えるように説得する。これに対しライオンはブルックスをハモンド・オルガンの名手ジミー・スミスのサイドマンとして起用し、1958年2月にレコーディングを行い、そのプレイはアルバム『House Party』と『The Sermon!』に収録された。その1ヶ月後、ライオンはブルックスにリーダーとして音源をレコーディングするチャンスを与えるとリー・モーガン、ソニー・クラーク、ダグ・ワトキンス、そしてアート・ブレイキーを引き連れてヴァン・ゲルダー・スタジオに入り、彼のブルーノートからのデビューLP『Minor Move』をレコーディングした。しかし、原因不明のままこの作品はリリースされず、1960年6月25日には(この時ブルックスは既にジミー・スミスの別の音源やギターリストのケニー・バレルとのセッションなどに参加していた)彼の名を歴史に残すアルバム『True Blue』をレコーディングしたのであった。
この『True Blue』において、当時28歳だったティナ・ブルックスは6曲全てを作曲した事により素晴らしい即興力を持ちつつも才能あるコンポーザーであることを証明した。このセッションで、カウント・ベイシーのセッションで出会った若き友人でありトランペッターで当時24歳のフレディー・ハバートを招いた(この6日前にブルックスはハバートのブルーノート・デビュー作『Open Sesame』に参加し、名曲とも呼ばれるタイトル曲を含む2曲の作曲を手がけている)。『True Blue』にはハバートと共に、元チャーリー・パーカーやスタン・ゲッツのサイドマンを務めたピアニストのデューク・ジョーダン、ベーシストのサム・ジョーンズ(当時キャノンボール・アダレイ・グループ所属)、そしてジーン・アモンズやドナルド・バード、ジョン・コルトレーン等と既にセッションをこなしてきた、多岐にわたるベテラン・セッション・ドラマーのアート・テイラーが参加した。
ブルックスとハバードの2つの管楽器によって、感動的で明快なテーマで幕を開けるオープニング曲「Good Old Soul」は、指を鳴らしたくなるミッドテンポのハード・ボップだ。ブルックスは長くうねるようなソロで彼のテナーサックスの才能を披露する。それに続いてハバートが煌びやかで即興的なパッセージを披露すると、なぜこのインディアナポリス出身の若きらっぱ吹きが60年代初頭のニューヨークを席巻したかが納得出来る。そしてデューク・ジョーダンが優美且つ堅実なプレイを聞かせる。
さらに「Up Tight Creek」ではジョーンズが早歩きの様なベースでよりドライヴさせたかと思うと、マイナー調の「Theme For Doris」では正しくラテンスタイルのリズムでスムーズなカウンター・メロディーを聞かせる。和音を用いたメロディによってタイトルソングに元気を与える。例えば「Theme For Doris」の様に女神にインスパイアされた曲「Miss Hazel」はどちらも殺気立っている。そして、ロマンティックなラストナンバー「Nothing Ever Changes My Love For You」は感情的な表現を沸騰する様なスウィングのリズムで絶妙なバランスをとっている。
今でこそ『True Blue』はハード・ボップの傑作でありブルーノートの最高傑作とまで言われ、ジャズ界の才能ある新人として興奮とともに迎え入れられたはずであったが、このデビュー作が同時に彼の最後の作品ともなってしまった。ブルーノートの為にレコーディングされた他の3作(1つはアルト奏者のジャッキー・マクレーンとの作品)も全て破棄され、1961年以降ブルックスがレコーディングをすることはなかった。
13年後の1974年8月13日火曜日に、このサックス奏者は肝臓疾患により42歳という若さでこの世を去った。彼がスポットライトを浴びた時期は悲劇的に短かったが、『True Blue』という永久に壮大な作品によって、ティナ・ブルックスは永遠に忘れられることはないだろう。
Written By Charles Waring
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ティナ・ブルックス『True Blue』