Stories
スコット・ゴーハムとゲイリー・ムーアが2番目に好きなアルバム、シン・リジィの『Black Rose』
シン・リジィが9枚目となるスタジオ・アルバムをレコーディングするためにパリへと向かった時、バンドはアルバム3度目の参加となるゲイリー・ムーアと共に出向き、素晴らしいレコードを完成させてフランスの首都から戻ってくるという決意を持っていた。そうして出来上がったアルバム『Black Rose: A Rock Legend』は1979年4月13日にイギリスでリリースされ、期待を裏切らない仕上がりとなった。
このアルバムは1977年の『Bad Reputation』と翌年のコンサート・アルバム『Live and Dangerous』を担当した経験豊富なプロデューサー、トニー・ヴィスコンティともう一度組んだ作品だった。彼らはレコーディングの場所として主にパリの外れにあるパテ・マルコーニ・スタジオを選んだ。なぜなら、その前年、同じ場所でザ・ローリング・ストーンズがアルバム『Some Girls(邦題:女たち)』を制作していたからだ。
『Black Rose: A Rock Legend』は全英トップ10シングルとなった「Waiting For An Alibi」のようなシン・リジィの純粋なロックのエネルギー、そしてゲイリー・ムーアとフィル・ライノットとのコラボレーション「Sarah」で見られるようなより繊細な面の両方を上手く見せた一枚だった。フィル・ライノットの生まれたばかりの娘に影響を受け、パリでのレコーディング後にロンドンで追加されたこの曲「Sarah」は元々、フィル・ライノットのソロ・アルバム用だったが、フィル・ライノットが『Black Rose: A Rock Legend』へ追加することを決めた。この曲でヒューイ・ルイスがハーモニカを担当していたことは今もあまり知られていない。
バンド・メンバーのスコット・ゴーハムと協力してハリー・ドハティが2012年に執筆/出版したシン・リジィのヒストリー本『The Boys Are Back In Town』の中で、スコット・ゴーハムとゲイリー・ムーアは2番目に好きなバンドのアルバムとしてこのアルバム『Black Rose: A Rock Legend』を挙げている。
ゲイリー・ムーアはこう言っている「正直なところシン・リジィのアルバムの中でお気に入りを挙げるとすれば、『Jailbreak』だろうな。クラシックなアルバムだし。でも質について言えば、『Black Rose: A Rock Legend』もほぼ同点だ。スコットと俺は一緒にすごくナイスなことをやったんだ」。
スコット・ゴーハムはゲイリーに賛同した。「俺もその順番で評価すると思うよ。『Jailbreak』、そして『Black Rose: A Rock Legend』だな。あれは素晴らしいアルバムだと思った。こう言うのも奇妙に聞こえるだろうけど、俺たちはどうやってアルバムをレコーディングするかを学び始めたところだった。17枚目だか、それぐらいのアルバムを作った時点でね!ゲイリーが規律をもたらしてくれたと思う…彼と俺はすごく上手く一緒に作業できるようになったんだ」
トニー・ヴィスコンティは、彼自身の自伝『Bowie, Bolan & the Brooklyn Boy』の中で、その制作中に提示されたすべての過激なロックン・ロールをこのアルバムが超えたことを思い出していた。「フィル・ライノットは7分にわたる真のケルト・ロック曲 “Roison Dubh (Black Rose)” を作り、新しい境地に達していた。あれは高度な集中力を必要とする壮大な作品だった。そしてゲイリー・ムーアが彼自身ですべてのギター・パートを演奏できたとしても、労を惜しまずにスコット・ゴーハムにセカンド・ハーモニーのパートを教えているゲイリーを見るのは心を動かされるものがあった。だからといって、アルバムをレコーディングするのにさほど時間はかからなかった。残りの曲はこれまで通りのシン・リジィ的なロックだったからね」。
『Black Rose: A Rock Legend』は全英チャートの第5位に登場、その前の年の『Live And Dangerous』の絶頂期と匹敵してその一週間後には第2位にまで上り詰め、彼らにとって過去最高のチャート上位を記録したスタジオ・アルバムとなった。全米では81位を記録した。
Written by Paul Sexton
シン・リジー『Black Rose: A Rock Legend』
Pingback: プロデューサーがその制作苦労と秘話を語るシン・リジィの“ライヴ”盤『Live and Dangerous』