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ザ・フー「Behind Blue Eyes」誕生物語:年を追うごとに評価をあげ、傑作と捉えらるようになった楽曲
1970年6月9日ザ・フー(The Who)は米コロラド州デンバーを訪れ、同地のマンモス・ガーデンズで27曲に及ぶ猛烈なショウを行っていた。彼らは人気の絶頂にあり、1969年のコンセプト・アルバム『Tommy』の大成功の成果を回収しているところだった。
ショウが終わると、ギタリストでソングライターのピート・タウンゼントは色目を使う女性ファンと対面。結婚していたにもかかわらず、言い寄ってくる彼女に応えようと考えた。しかしながら最終的には、彼の心の師であるミハー・ババの道徳的見解が重くのしかかり、独りでホテルの部屋に閉じこもることにした。
インドの聖人ミハー・ババは、現実世界は幻影であるという教義を掲げ、真の知覚を通してのみ神性を獲得することができると支持者たちに説いており、ドラッグ摂取や快楽セックスを、神を実感するための旅という視点で捉えていた。タウンゼントは誘惑に負けそうになったことを自覚しており、自身の決意を強固なものにすべく、祈りを書き綴り始めた。彼はその中にこう書いていた。
「拳を握り締めていたら。それを大きく広げるんだ」
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構想していた『Life House』
この頃タウンゼントは、ザ・フーの『Tommy』に続くロック・オペラとして構想した『Life House』のストーリーを練っていた。その難解なテーマは、ミハー・ババの教義や、スーフィーの巨匠にして哲学者のイナヤット・カーンの著書を着想源としたものだった。後者は、音楽を精神開拓のための重要な媒体と考えており、音波振動と人間の状態との相関性について著している。自身を音楽と共鳴させることで生命との調和が生まれる、とイナヤット・カーンは信じていた。
こういった概念はタウンゼントの思い描く近未来ファンタジーに注入された。そこでは、気候変動と、宗教や音楽を含むあらゆる娯楽を奪う専制政治によって室内に閉じ込められた人々に、点滴用チューブを通して仮想現実体験が投与されるのだった。ピート・タウンゼントはこう説明している。
「ある意味、彼らはTV番組の中で生きているかのようだった。全てがプログラムされていたんだ。敵は我々にチューブを通してエンターテインメントを与える奴らで、ヒーローはロックンロールを旧式のエネルギーとして保全し、それと共に生活すべく森へと入っていった野蛮人たちだった」
タウンゼントは『Life House』を、2枚組アルバムであり、映画や没入感のあるライヴ体験として提案し、その複雑な物語を解き明かすこととなる楽曲を描き始めた。
楽曲の背景
この物語の主人公はボビー。ハッカーとして政府のコンピューターネットワーク(グリッドと称されている)に侵入し、人々にライフ・ハウスの存在を知らしめる。このロックンロールのイベントは、各個人の和音の周波数と共鳴する普遍的和音を鳴らすことで、参加者をその”強制された冬眠”から解放するのだ。彼の宿敵はジャンボ。グリッドの専制的管理者であり、治安部隊を率いてライフ・ハウスを閉鎖に追い込む。
タウンゼントは当初、「Behind Blue Eyes」を宿敵ジャンボのテーマとして書いたと主張していた。自身の恐怖政治の過ちに気づいた悪人の改悛の歌というわけだ。タウンゼントがこう語っている。
「彼は人生における精神的危機に陥っているようなもので、自分の姿を鏡で見て、この歌を歌うんだ。ポイントは、悪人も実はそれほど悪くないんじゃないかということ。ただ道に迷っているだけなんだ」
だがその後、タウンゼントはこれが、かつてのボビーの弟子で、彼を裏切ってライフ・ハウスの閉鎖を企てるブリックの歌である、とその主張を変えている。不義が明らかとなった後の彼自身の価値観をスケッチしたものというわけだ。
いずれにせよ、タウンゼントが描き出す、倫理やアイデンティティと対峙する社会の外れ者のポートレートは、冒頭の数行ですぐさま明らかとなる。
No one knows what it’s like
To be the bad man
To be the sad man
Behind blue eyes
どういう心地なんだろう
悪人になるということは
悲しい人になるということは
青い瞳の裏側では
レコーディング
ピート・タウンゼントが作曲したザ・フーの曲では標準仕様だが、「Behind Blue Eyes」も彼の自宅スタジオで録音されたデモから始まった。
「ハーモニー・ヴォーカルを録り終えると、階下のキッチンにいた妻が〈この曲いいね〉と言っていたのを思い出すよ」
と彼は回想する。物悲しげなヴォーカルとフィンガーピッキングの優しいアコースティック・ギターはこの曲の主人公の苦悩を丁寧に描き出しているが、これは最終ヴァージョンとなる予定のものではなく、バンドがアレンジするためのガイドとして作られたものにすぎなかった(その音源は最終的にはタウンゼントの1983年のデモ音源集『Scoop』に収録されることとなった)。
『Life House』のための最初のセッションは、1971年3月ニューヨークのレコード・プラントで行われた。そこでは「Behinf Blue Eyes」の別ヴァージョンがアル・クーパーをオルガンに迎えて録音されたが、それらの音源は最終的には不十分だと判断された。そこでタウンゼントは、テープをザ・ローリング・ストーンズやザ・ビートルズのプロデューサーとして知られるグリン・ジョンズのところに持っていった。
しかしタウンゼントにとっては残念ではあるが、ジョンズも『Life House』のアイディアには当惑していた。だが、その音源には大きな感銘を受け、新たなアイディアを提示するのだった。グリン・ジョンズはこう言う。
「スタジオに入ってアルバムを作ろうと提案したんだ。なぜなら、彼らには曲を伝えるためのストーリーなど必要なかったからね。それらはそのままで十分に素晴らしかったんだ」
グリン・ジョンズはタウンゼントに、『Life House』の優れた楽曲を救い出し、それらを文脈なしの一枚のスタジオ・アルバムとして提示することだけでなく、ニューヨークの音源を破棄してそれらの曲を一からレコーディングし直すことをも納得させた。1971年4月バーンズのオリンピック・スタジオで作業が始まると、ザ・フーの面々はすぐさまその音の違いに気づくのだった。タウンゼントはこう回想する。
「テープを聴き返すたびに。僕らは彼が作り出すサウンドにただただ驚くばかりだったよ」
「Behind Blue Eyes」に取り組むにあたって、ロジャー・ダルトリーは、まさにその日に耐え難い個人的悲劇に耐え忍んでいたがゆえに、この曲の深遠かつ悲痛な情感に身を置く準備は十分過ぎるほどできていた。彼はこう言う。
「愛犬が轢かれたんだ。最初に飼った犬だった。必死になって正気を保とうとしていたよ」
その悲しみはダルトリーの歌声にタウンゼントのデモを遥かに超える激情を吹き込む。タウンゼントのマイナーコードのアルペジオと、ベーシスト、ジョン・エントウィッスルの繊細な伴奏の上で、ダルトリーのデリケートな歌唱が登場人物の心の脆弱さを露わにする。彼は曲の中でこう哀願する。
But my dreams they aren’t as empty
as my conscience seems to be
だけど、俺の夢は空っぽじゃないだろ
俺の良心がそう思われているほどには
この曲の前半の柔らかさは、タウンゼントとエントウィッスルによる高音のバッキング・ヴォーカルに引き継がれるが、突如、2分を少し過ぎたところで衝撃音を放つシンバルと銃声のようなスネア・ドラムを打ち鳴らすキース・ムーンと、エレクトリック・ギターの高らかなフレーズと荒々しいパワー・コードを掻き鳴らすタウンゼントの登場によって打ち破られる。これらは、ブリックの人格崩壊のより攻撃的な側面の表出を告げるものだ。
ブリックが放つこのパートの最初の言葉は、ダルトリーのしわがれ声で的確に表現され、彼が心の平穏を求める様が描かれているが、それはタウンゼント自身が一年前に書いた敬虔な祈りから再利用されたものだ。「拳を握り締めていたら、それを大きく広げるんだ」ダルトリーが唸り声を上げる。
before I use it and lose my cool
When I smile, tell me some bad news
Before I laugh and act like a fool.
それを使って、冷静さを失う前に
微笑んでいる時は、何か悪い知らせを聞かせてくれ
笑い声を上げて愚か者のように振る舞う前に
リリースと評判
アルバム『Who’s Next』が1971年8月にリリースされると、すぐさま高い評価と商業的成功を手中に収め、『Life House』を断念するという難しい決断を晴れて下すこととなった(その後、タウンゼントは最終的に1999年『Life House』をラジオドラマとして発表し、その翌年全てを網羅した『Life House』ボックスセットをリリースした)。
アルバムの強烈なエネルギー、さらにはそこに巧みに描き出された統一感のあるヴィジョンを全面的に評価しながら、「それはまさにザ・フーらしいアルバムになったよ」とダルトリーが言及する。アルバムは全英No.1を獲得。一方、全米ではトリプル・プラチナムに認定されることとなり、4位を最高位に41週間チャートに留まった。
「Behind Blue Eyes」は「Won’t Get Fooled Again」に続いてアルバムからの2ndシングルとなる予定だったが、予定されていた10月を迎えると、シングルがリリースされたのはフランス、ベルギー、オランダ、そして全米だけとなった。タウンゼントは、この曲の感受性がファンの期待するザ・フーから「あまりに懸け離れている」として、全英リリースを認めなかった。
シングルは全米では34位まで上がるのがやっとだったが、その評価は年を追うごとに売り上げを遥かに上回るものとなっていった。今や傑作と捉えられている「Behind Blue Eyes」は、精神のバランス(メンタルヘルスが世界的にも喫緊の課題である今日でこそ驚くほど重要性を帯びる問題である)が重要だと考えるアイデンティティと理性に、元気と刺激を与える習作である。タウンゼントは近年こう語っている。
「これは自己決定についての曲として響くかもしれない。自分自身をどのように裏切るか、嘘となりうる人生をどのように生きるか、最も難しいのはいかに自分自身に正直でいられるか、そして我々は見せかけの裏側に隠れている——美しかろうが醜かろうが、我々はしばしば自分自身という見せかけの裏に隠れているんだ」
有名なファンたち
「Behind Blue Eyes」がザ・フーの代表曲の一つとなっているにも拘らず——ライヴで3番目に多く演奏された曲だ——、その機知に富む魅力を自分自身で解釈しようと試みる面々もいた。シェリル・クロウの素晴らしいヴァージョンは2001年に発表されたが、最も注目すべきは、2003年リンプ・ビズキットがこの曲で全米及び全英でのトップ20ヒットを放ったことだ。
この曲は、ポール・ヒューソンという名の、ソングライター志望のアイルランドの若者にとってとりわけ重要な意味を持ち、彼がアーティストとしての才能を開花させる入り口となるのだった。
「騒音やノイズ、パワーコードや激情の中に、また違った声が聴こえるんだ」と言うヘイソン。彼は後にU2のリード・シンガーとして世界にその名を轟かせるボノである。
「〈青い瞳の裏側では一体どんな心地なのか…〉最初に発見したのは、僕にとって本質的な側面となるもの——そして、どうして音楽というものに惹かれるのか——それは探求と関係するものだ。探求すべき別の世界があるという感覚。それをピート・タウンゼントから学んだんだ」
Written By Simon Harper
ザ・フー『Who’s Next / Life House』
2023年9月15日発売
10CD / 2CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music