Join us

Stories

1969年のストーンズのツアーと『Get Yer Ya-Ya’s Out!』

Published on

ザ・ローリング・ストーンズは1969年後半、1966年の夏以来となる北米ツアーに乗り出した。コンサート・ツアーから長く離れていた彼らにとって、このツアーは1967年春以来のものだった。もちろん、ブライアン・ジョーンズが悲運にも亡くなった直後の1969年7月にはロンドンのハイド・パークで大規模なフリー・ライヴを敢行している。だが彼らはもはや1963年から67年にかけて浮足立っていたころのライヴ・バンドとは違ったグループになっていたのだ。

この北米ツアーは11月7日、コロラド州フォート・コリンズの州立大学でスタートした。17日程23公演のチケットは数時間で完売し、好評につきニューヨークとロサンゼルスでの追加公演も決まった。ツアーでの総動員数は延べ335,000人を記録。ツアーを前に、ザ・ローリング・ストーンズの面々はスティーブン・スティルス所有の地下スタジオでツアーのリハーサルを開始し、後にワーナー・ブラザーズのスタジオへと移った。彼らは時折ロサンゼルスやニューヨークを拠点に置きつつも、ツアー期間の大半は各地を飛び回っていた。また、ザ・ローリング・ストーンズが遅れてステージに立つことはしばしばで、時には大幅に遅くなることもあった。11月8日のカリフォルニア州イングルウッドでの2回目の公演は、なんと午前4時になってようやく始まったという。ロバート・ヒルバーンはロサンゼルス・タイムズにこう書いている。「ストーンズは怒りを芸術に変えてみせた。あれほどお金があって使いきれるのだろうか?」。

グリン・ジョンズはボルチモアのシヴィック・センターでの11月26日のステージと、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでの11月27、28日のステージの録音を手掛けた。バンドはこれを2作目となるライヴ・アルバムに纏め『Get Yer Ya-Ya’s Out!』のタイトルで発表することを決定。1970年9月に同作はリリースされた。

もともと同作はツアーのサポート・アクトであったB.B.キングやアイク&ティナ・ターナーによるパフォーマンスを併録した2枚組アルバムとなるはずだった。だが計画通りにはならず、ミック・ジャガーは当時その理由についてこう話している。「デッカが興味を示さなかったのさ。『B.B.キングって誰? そいつらは誰なんだ?』ってね。やつらは彼らが何者か知らなかったんだ。こだわっても仕方ないから最終的には、おれが折れたのさ」。しかし同作の40周年記念盤には、彼らゲスト出演者の楽曲もザ・ローリング・ストーンズの未収録曲と併せて収録されている。

ジミ・ヘンドリックスはマディソン・スクエア・ガーデン公演の前にザ・ローリング・ストーンズのもとを訪れ、開演してからもキース・リチャーズのアンプ群の影から演奏を見ていたという。その日はジミ・ヘンドリックスの27歳の誕生日だった。

CW Jimi Hendrix

「ズボンのボタンが途中で飛んじゃって、ずり落ちてこないか気になってたんだ。おれのボタンが脱げたところが見たいかい?」。ミック・ジャガーはチャック・ベリーの楽曲を演奏する前にこう話した。ソーホーのスタジオ51でのリハーサルで彼らが初めて「Carol」を合わせてから約6年が経っていた。その後同曲は彼らのファースト・アルバムに収録されたが、1969年のステージでの演奏はその音源をはるかに上回るものだった。

11月27日、マディソン・スクエア・ガーデン公演をディスク・アンド・ミュージック・エコー誌はこうリポートしている。「アイクとティナが演奏を終えると、ジャニス・ジョプリンがステージに上がり、ティナとともに歌声を披露した。ジャニスのキーはバンドが演奏していたものと違っていたが、それでも場内は大いに沸いた」。だがザ・ローリング・ストーンズはこれを快く思わず、もう一度同じことをすればステージを降りると彼女に言い放ったのだった。

Mick Ike tina

ライヴ演奏のレコーディングにはウォーリー・ハイダー・モバイル・スタジオが使用され、1970年1月から4月にかけてのリミックスやオーヴァーダブにはロンドンのオリンピック・スタジオ及びトライデント・スタジオが使われた。チャーリー・ワッツが写った冗談交じりのジャケット写真はデヴィッド・ベイリーによるもので、内側のスリーヴにはイーサン・ラッセルのすばらしい写真が使われている。

『Get Yer Ya-Ya’s Out!』は1970年9月の半ばに全英チャートに入り、最終的には2週連続で1位を獲得した。イギリスに少し遅れてリリースされたアメリカでは10月半ばにチャート・インし、最高位は6位に留まっている。

アメリカのトリビューン紙はこう書いている。「研究者がポピュラー文化を研究対象とし始めて100年ほどが経ったが、彼らにもローリング・ストーンズがなぜここまでの人気を集めているかはわかるだろうか?」。このアルバムを一聴すればその理由はわかるだろう。『Get Yer Ya-Ya’s Out!』は、まさに歴史上最も重要なロック・アルバムのひとつなのである。

このアルバムの一風変わったタイトルは一体どこから来たのだろう? 1908年にノース・カロライナで生まれたブラインド・ボーイ・フラーこと本名フルトン・アレンは、ブルース・シンガーだった。彼は盲目に生まれついたわけではなかったが、1926年に部分的に目が見えなくなり、20歳で完全に視力を失った。初めてレコーディングをしたのは1935年7月で、その後間もなくして彼は妻の脚を撃った罪で一時刑務所に入っている。そんな彼は1938年10月29日に「Get Your Yas Yas Out」という曲を、カリフォルニア州南部のコロンビアでレコーディングしている。ブラインド・ボーイ・フラーは1941年、32歳の若さで亡くなっている。このブルースの大先輩からタイトルをとるところも、まったくもってローリング・ストーンズらしい。

Written By Richard Havers



ザ・ローリング・ストーンズ『Get Yer Ya-Ya’s Out!』

btn_store_link spotify_logo_link download_jtunes_link applemusic_1711_800_link


ザ・ローリング・ストーンズ
『Let It Bleed (50th Anniversary Limited Deluxe Edition)』
デラックス・ボックス / CD / LP



Share this story
Share
日本版uDiscoverSNSをフォローして最新情報をGET!!

uDiscover store

1 Comment

1 Comment

  1. Pingback: "絶頂期の1枚"ザ・ローリング・ストーンズの『Let It Bleed』

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Don't Miss