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ローリング・ストーンズ「Paint It Black (黒くぬれ!)」解説:状況を一変させた提案と東洋的な要素
ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)が、18年ぶりとなる新作スタジオ・アルバム『Hackney Diamonds』を2023年10月20日に発売することを発表した。
この発売を記念して彼らの過去の名曲を振り返る記事を連続して掲載。
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ザ・ローリング・ストーンズのマネージャーであり、プロデューサーでもあったアンドリュー・ルーグ・オールダムの記憶によれば、ストーンズはスタジオの中で新曲「Paint It Black (黒くぬれ!)」のレコーディングに苦労していた。それを見て彼は「この曲はどうにもならない」と口にしたという。「あと10分だ」と彼は決めた。「それが過ぎたら、次の曲に移ろう」。
それは1966年3月の第1週のことだった。ストーンズはアメリカでのお気に入りのスタジオ(ロサンゼルスのRCAスタジオ)に入り、エンジニアのデイブ・ハシンガーと共に次のアルバム『Aftermath』の完成を目指していた。
このアルバムのためにレコーディングしようとしていた曲のひとつが「Paint It Black」だった。この曲は、前月のオーストラリア・ツアー中にミック・ジャガーとキース・リチャーズが共作していた。キースは、「俺がメロディーを作って、ミックが歌詞を書いた」と主張している。
とはいえ、ストーンズはこのマイナー・キーの新曲のレコーディングで行き詰っていた。サウンドの可能性を模索しているうちに、袋小路に入り込んだのである。それは、曲に秘められた魔法を完全に解き放つ前の段階だった。彼らは時間に余裕がなく、もう少しで録音を完全にあきらめようとしていた。
楽曲の背景
スタジオには切迫感が漂っていたが、本当のプレッシャーは新しいヒット・シングルを生み出さなければいけないという点にあった。ストーンズは1964年夏からチャート上位にランク入りしていたが、ジャガー/リチャーズのオリジナル・ナンバーで成功を収め始めたのはほんの1年前のことだった。彼らのオリジナル曲で最初にヒットとなったのは、1965年2月にリリースされた「The Last Time」である。
その後、チャート首位のヒット曲を連発したストーンズは、この連勝記録を止めたくはなかった。とはいえ、この曲にはドライブ感のあるしつこさや不機嫌そうな姿勢が欠けていた。そうした要素は「 (I Can’t Get No) Satisfaction」や「19th Nervous Breakdown」といった初期のヒット曲の原動力となり、この楽曲は既に当時のザ・ローリング・ストーンズの代名詞となっていた。
かつてミックはこう説明したことがある。
「俺たちの曲は、歌詞の中にある種のエッジがあった……。シニカルで、いかがわしくて、懐疑的で、無作法で……ああいう歌詞や曲の雰囲気は、大人の世界に幻滅しているアメリカの若者たちにぴったりだったんだ。しばらくのあいだ、そういう曲を提供するのは俺たちだけのように思えた。あの手の社会的な苛立ちに触れて、反抗的な不平の声にサウンドトラックを提供する唯一の存在だったね」
状況を一変させた提案
しかしながら、このとき彼らが考えていた「Paint It Black」のアレンジは、従来の曲のような激しさもなければ、歌詞がほのめかす社会的な抑圧というテーマにもそぐわないものだった。ミックはこう語っている。
「“Paint It Black”はビート・グループのレコードみたいなものになりそうだったんだ。あれじゃあただのお笑い草になるところだった」
やがて最後のプレイバックを聴いたあと、ビル・ワイマンが変わったアイデアを思いついた。ビルはこう語る。
「ハモンド・オルガンのペダルを使ったらどうだろうと提案したんだ。俺がオルガンの下の床に寝そべって、ペダルを自分の拳で押しながら、2番目のベース・リフを倍のテンポで弾いてみた」
その結果、ビルの狙い通り、曲のボトムエンドはすぐに太くなった。しかしさらに重要なことに、曲の方向性が突然変わった。何の気なしに、ビルは刺激的なトルコ風の味付けを加えた。それによって、ストーンズがそれまで冒険してきた場所よりもはるかにエキゾチックな領域へと曲を導いたのだ。マネージャーのアンドリュー・ルーグ・オールダムは「これだ!」興奮したという。
「あのとき耳にしたのは、私たちに必要だったサウンドと躍動感だった。あの風変わりな感じは、まさしく“ラジオ向き”だった」
仕上げのタッチ
この奇妙な音楽的回り道を探る中で、ギタリストのブライアン・ジョーンズはさらなる色彩を加えることになった ―― ただし彼が使ったのは、おなじみの6弦ギターではなかった。キース・リチャーズはこう語っている。
「あのころになると、ブライアンはギターにほとんど見切りをつけていた。もし周りに [ほかの]楽器があれば、彼はそこから何かを引き出さずにはいられなかったんだ。ただ、それがそこにあったっていう理由だけでね」
当時のブライアンは、グループの主導権争いの中で苦しみもがいていた。他のメンバーが曲を作ることができたのに対し、ブライアンは曲作りができなかったのである。彼は孤立し、音楽業界への幻滅と薬物使用の増加によってグループの中での存在感がどんどん薄くなっていた。
やがて彼は、ありきたりのギター・メロディーではない装飾をミックとキースの曲に施すことに喜びを感じるようになる。有能なサックス奏者でもあるブライアンは、ダルシマー、マリンバ、琴といった楽器で『Aftermath』にさまざまな彩りを加えていった。そして「Paint It Black」の時、彼が手にしたのはシタールだった。
しばらく前の1965年12月、ザ・ビートルズのアルバム『Rubber Soul』がリリースされ、その中の1曲「Norwegian Wood (ノルウェーの森)」でジョージ・ハリスンがシタールを弾いていた。それを聴いたブライアンは、1週間後にRCAで行われた『Aftermath』の最初のレコーディング・セッションでシタールを手にしたのだ。
この楽器を調達してくれたのは、ストーンズのピアニスト兼ロード・マネージャーのイアン・スチュワートだった。それからまもなく、シタールの名手ハリハール・ラオと出会ったブライアンは、彼の指導を受けることになる。彼はこう語る。
「ニューヨークのクラブで彼に出会ったんだ。ハリは僕に [シタールの] 弾き方を教えてくれた。彼は12年間もラヴィ・シャンカールのもとで学んでいたけれども、いまだに自分のことを修行中の身だと考えている。ああいう人たちは、シタールに人生を捧げているんだ」
ブライアンはシタールの弾き方を完璧にマスターしたわけではなかった。とはいえ少なくとも、この楽器のサウンドがストーンズの音楽の中でどういう可能性を開くのかという点については理解していた。
「シタールは大好きだよ。ああいった楽器を使うと、新たな幅が広がるんだ。ギターとはまったく違う原理で鳴っていて、ハーモニクスとか、ありとあらゆる面で新境地を切り拓いてくれる」
それゆえ、ストーンズが「Paint It Black」に東洋的な要素を盛り込み始めると、ブライアンはシタールを表情豊かに使うようになった。ヴァースの部分にあるヴォーカルのメロディーを使い、ユニークで予言的なイントロのリフを作り出したのである。オールダムは次のように語っている。
「装飾的な効果以上のものだった。ときにはブライアンがレコード全体を引っ張ってくれる場面もあった」
歌詞に込められたもの
一方ミックの歌詞は極めて陰鬱としていたので、ストレートなポップ・ソングとして仕上げようとしても難しかったはずだ。しかしバックのアレンジがこのような形に落ち着くと、実にしっくりくるものとなった。ここでテーマとなっているのは近しい者との死別であり、その過程で感じる落胆である。
この曲の主人公は突然恋人を失い、その恋人のいない人生が続くことに耐えられないでいる。死者を弔ううちに周囲の鮮やかな色彩を楽しむことができなくなり「全部黒くなってほしい/I want them to turn black」、今の状態では新たな恋など考えることさえできない。だから「この暗闇が消えるまで、首を振らなければ / I have to turn my head until my darkness goes」と彼は歌う。
チャーリー・ワッツが打ち鳴らすタムのように、歌い手の悲しみに休息はない。曲が進むにつれて、彼は苦しみの中に深く沈んでいくように思える。「世界全体が黒くなってしまったら、顔を上げるのは簡単じゃない/ It’s not easy facing up, when your whole world is black」と彼は嘆く。
発売後の影響
『Aftermath』のリリースの1月後に「Paint It Black」はシングルとして発表された (アメリカでは5月7日、イギリスでは5月13日)。そして英米両方のチャートで首位に立った。この後、ザ・ローリング・ストーンズが再びシングルをチャートのトップに送り込むのは2年後のことだった。
一方、「Paint It Black」のインパクトは、さまざまな形で感じられた。このシングルはジャガー/リチャーズの共作曲として発表され、そのことがストーンズのメンバーたちには悔いの残る結果となった。彼らは、即興的に進化したこの曲をグループ全体の作品だと感じていたのである。
とはいえ、少なくともアメリカでは、「Paint It Black」の世間的な認知度を象徴するのはブライアンだった。その年の9月、ストーンズが「The Ed Sullivan Show」でこの曲をライヴ演奏したとき、ブライアンは他のメンバーから離れた場所であぐらをかき、白い服を着て金色の髪を輝かせながら、崇高なるシタールを至福の表情で弾いていた。それを見ていたアメリカ全土の視聴者の目には、ブライアンこそがストーンズの画期的なサイケ・ポップの冒険を極めて優美に体現しているように映った。
一方ベトナムでは、「Paint It Black」の不吉なエネルギーがアメリカ軍の兵士に伝わった。彼らはこの曲に潜む激情と絶望に共感しながら、次第に悲惨さを増す無意味な戦争の中で果敢に生き抜こうとしたのである。
シタールが奏でる不穏な持続音の下でドラムが鳴り響く「Paint It Black」は、危険なサウンドだった。これは、差し迫った恐怖の冷ややかな前触れだ。この曲の生々しい表現力は、さまざまな映画の中で魔性の象徴として活用されてきた。その最たる例は、スタンリー・キューブリック監督がベトナム戦争を描いた『フルメタル・ジャケット』のラスト・シーンだろう。キースは、「この曲は、他とは明らかに違う聞かれ方をしている」と認めている。
歪で不穏な「Paint It Black」は、精神を拡張させる薬物の最も恐れられている副作用、つまりバッド・トリップを音で表現したような作品かもしれない。ミックはこう語る。
「あのころはLSDをしょっちゅうやっていたんだ。あれは、悲惨なサイケデリック体験の始まりのような曲だった。ローリング・ストーンズはああいう音楽の創始者だった。俺たちは、ああいう音楽をまた復活させるべきかもしれない」
Written By Simon Harper
最新アルバム
ザ・ローリング・ストーンズ『Hackney Diamonds』
2023年10月20日発売
① デジパック仕様CD
② ジュエルケース仕様CD
③ CD+Blu-ray Audio ボックス・セット
④ 直輸入仕様LP
iTunes Store / Apple Music / Amazon Music
シングル
ザ・ローリング・ストーンズ「Angry」
配信:2023年9月6日発売
日本盤シングル:2023年10月13日発売
日本盤シングル / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music
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