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ローリング・ストーンズ「Jumpin’ Jack Flash」解説:苦しい時期から抜け出すことを歌った曲
ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)が、18年ぶりとなる新作スタジオ・アルバム『Hackney Diamonds』を2023年10月20日に発売することを発表した。
この発売を記念して彼らの過去の名曲を振り返る記事を連続して掲載。
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1年という期間があれば、さまざまなことが起こるものだ。1967年、“サマー・オブ・ラヴ”が色鮮やかに花開くと、万華鏡のように目くるめく楽曲の数々がその文化を彩った。そしてそういった楽曲群は、複雑なサウンドと現実離れした世界観によって、五感を刺激するドラッグの幻覚状態を再現していた。
この年、ジェファーソン・エアプレイン、ピンク・フロイド、バーズ、グレイトフル・デッド、ジミ・ヘンドリックスといったアーティストたちは、こぞって、この世のものとは思えないような大胆な音楽を作り上げていった。しかしながら、サイケデリアの流行から生まれた最高傑作を挙げるとすれば、やはりザ・ビートルズのアルバム『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』ということになるだろう。
そして、ザ・ローリング・ストーンズもそんな時代に活躍したグループの一つだった。1960年代半ばには華やかなバロック・ポップ・ナンバーを次々に発表した彼らだったが、1967年ごろには、より内容の濃い実験的な作風へと音楽性を進化させていた。「Ruby Tuesday」をはじめ、ジャンルに縛られないブライアン・ジョーンズの楽器選びが光る楽曲が多くリリースされたのもこの時期だった。
そうした流れの中で、12月にはアルバム『Their Satanic Majesties Request』をリリース。脇目も振らずサイケデリアの世界に身を投じたこの作品は ―― 絢爛なオーケストレーションは特筆に値するものだったが ―― ザ・ローリング・ストーンズがヒット作を生み出すのを諦め、流行に乗ることを選んだ、という印象を与えることになってしまった。
1968年に入ると、自由で楽天的な平和主義のムードが一転、政治情勢の悪化が社会に暗い影を落とすようになった。そして、音楽界にも同様の変化が訪れた。ボブ・ディランは1968年が幕を開ける5日前に、アルバム『John Wesley Harding』を発表。この作品のアコースティック楽器を基調にした飾り気のないサウンドと素朴な世界観は、その後の音楽シーンを予見しているかのようだった。
音楽性の刷新
1968年に入ってから数ヶ月のあいだ、ストーンズの面々は次の動きについて慎重に検討していた。というのも、彼らは1966年5月に「Paint It Black (黒くぬれ!)」をチャートのトップに送り込んだのを最後に、イギリスのヒット・チャートの首位から遠ざかっていたのだ。その上、彼ら自身がプロデュースを手がけた『Their Satanic Majesties Request』の制作過程は混迷を極めた。このアルバムのレコーディングが始まったあとで、彼らはグループのマネージャー兼プロデューサーを務めてきたアンドリュー・ルーグ・オールダムと袂を分かっていたのだった。
結果として彼らが次のプロデューサーに選んだのは、ジミー・ミラーだった。スペンサー・デイヴィス・グループやトラフィックの作品での仕事がストーンズの面々の目に留まったのだ。話し合いの場がもたれると、ミラーは見せかけだけのサイケデリック路線は捨て去るべきだという考えをきっぱりと示した。そうした方向性を離れ、彼の考えるグループの本質的な部分を伸ばすべきだというのがミラーの主張だったのである。その当時、ミラーはこう語っている。
「音楽に関する俺のアイデアや考え方をストーンズに押し付けるつもりはない。彼らが本来持っている才能をすべて引き出したいだけなんだ。ストーンズにストーンズらしくあってほしいっていうのが私の考えだ」
こうしたミラーの意見を容れ、ストーンズの面々はよりシンプルなサウンドを目指すことに決めた。そしてその決断は、彼らのルーツであるブルース・サウンドに回帰することを意味していた。ザ・ローリング・ストーンズは、かつてメンバー自身がミュージシャンを志すきっかけとなった音楽に立ち返った。そして、ブルースに含まれるさまざまな要素から生まれうる素晴らしい可能性を、ミラーとともに一から探求していったのである。キース・リチャーズはこう話す。
「突然、まったく新しいアイデアが俺たちの中で花開き始めた。俺たちは以前の自分たちの勢いを取り戻したんだよ。それからは楽しくなる一方だったね」
この名曲が生まれた瞬間
ある晩、サリー州モーデンにあるRG・ジョーンズ・スタジオでリハーサルが行われることになっていた。だが、定刻に現れたメンバーは3人だけだった。そこで、ブライアン・ジョーンズ、ビル・ワイマン、チャーリー・ワッツの三人は、キースとミック・ジャガーが現れるまでジャム・セッションをして時間を潰すことにした。そのとき、ビルがピアノで特徴的な新しいリフレインを考え出し、チャーリーとブライアンもそれに合わせて演奏したという。ビル・ワイマンは次のように回想している。
「すごくクールだった。とてもいい感じだったんだ。そこへミックとキースが入ってきてこんな風に言ったんだ。“そのまま演奏を続けてくれよ。忘れないようにしてくれよな。最高じゃないか”ってね」
当のキース自身もそのとき聴いたものを忘れてはいなかった。それから間もなく、彼は縁起の良いある雨の日に、不意にそのフレーズを思い出すことになる。その日、彼とジャガーはレッドランズ (キースがウェスト・サセックスの田舎に所有していたコテージ) でくつろいでいた。すると、居眠りをしていたミックは、外から突然聞こえてきた物音に驚いて目を覚ました。キースはこう話す。
「窓の近くから、長靴を力いっぱい踏み鳴らす音が聞こえたんだ。音の主は、俺が雇っていた庭師のジャック・ダイアーさ。サセックス出身で、まさに田舎者という感じの男だよ。そのせいでミックは目を覚まして、“いまのは何だい?”と聞いてきた。だから俺は“ああ、ジャックだよ。ジャンピング・ジャックさ”と返したんだ。そのあと俺は、オープン・チューニングにしたギターであのフレーズを弾き始めた。ギターを弾きながら“ジャンピング・ジャック”というフレーズを歌っていると、ミックが“フラッシュ”と言った。その瞬間、リズムも響きも良い、このフレーズが生まれたんだ。それから、二人で曲作りに取り掛かったってわけだ」
レコーディングのプロセス
プロデュースにミラーを迎えて行われた「Jumpin’ Jack Flash」のレコーディングは、バーンズにあるオリンピック・サウンド・スタジオで4月に始まっている。ミック・ジャガーはこう振り返る。
「あの曲は、これ以上ないってほど独特なやり方でレコーディングしたんだ。まず、キースとチャーリー・ワッツの演奏をカセットで録音した。それから、そのカセットを再生して、その音をマルチトラック・レコーダーで録ることであの音の歪みを生じさせたんだ」
キースはこう語っている。
「アコースティック・ギターを使用して、誰も聴いたことのない音を作ることのできる方法がわかったんだ。音が歪むまでフィリップスのカセット・プレイヤーの負荷を上げると、再生したときにエレキ・ギターみたいに聴こえる。カセット・プレイヤーを、ピックアップ兼アンプのような役割で使っていたんだ。……スタジオでは、カセット・プレイヤーを小さな外付けスピーカーに繋げて、その外付けスピーカーの前にマイクを立てた。そうすると少しは音に広がりとか奥行きが出るからね。そして、それをテープに録るんだ。……みんなは俺の気が違ったと思って、俺の好きにさせてくれていた。だけど俺には、それであの状況を脱却できる予感がしていた。ジミーもすぐにそれを感じ取ってくれたよ」
キースはこの曲で、ギターを多重録音している。一つめはカポを使用したオープンEチューニング、二つめはナッシュヴィル・チューニングで録ることで、チャーリーのドラムを引き立てる効果を狙ったのである。チャーリー・ワッツはこう話す。
「キースは俺のフロア・タムで、“ブンダ、ブンダ”というリズムも刻んでいるよ」
キースはまた、あとからベースもオーヴァーダビングしており、ベーシストのビル・ワイマンはここで代わってオルガンを担当。ブライアン・ジョーンズはギターを担当している。
チャーリーはこうも語っている。
「“Jumpin’ Jack Flash”はすごく密なサウンドになっている。実際、俺たちはスタジオで近くに寄り集まっていたからね」
歌詞とその意味
「Jumpin’ Jack Flash」の無骨な演奏はどこを切り取っても、ジャガーがとげとげしく歌い上げる歌詞と見事にマッチしていた。彼が新たに編み出した凶暴な人格は、この曲で圧倒的な存在感を放っている。
曲名にもなっているその人物は、「歯がなく、ヒゲを生やした鬼婆 / toothless, bearded hag」に育てられた幼少期や、学校での厳しい体罰、そして (文字通りのものからそうでないものまで) 聖書で語られるような肉体的拷問にも耐え抜いてきた。そうして彼は、強靭で、無慈悲で、何事にも動じない人間へと成長を遂げたのだ。「だけどもう大丈夫 / But it’s alright now」と彼は力強く言い放つ。「むしろ、いまじゃ笑い話なのさ/ in fact, it’s a gas」。
大衆文化が花開いたことで1960年代の若者たちが戦後の質素な生活から脱却できたのと同じように、「Jumpin’ Jack Flash」はザ・ローリング・ストーンズを過去の呪縛から解放する1曲になった。ジャガーはこう話す。
「苦しい時期を経て、そこから抜け出すことを歌った曲だ。サイケデリアから抜け出したことの比喩になっているのさ」
「Jumpin’ Jack Flash」は、そのころの時代性を映し出す1曲だった。当時はストーンズの面々だけでなく、彼らを取り巻く世界全体が、不安感や将来への不透明性を抱えていたのだ。ジャガーがこう話している通りだ。
「“Jumpin’ Jack Flash”に愛とか平和とか花のことは何一つ登場しない」
リリースとPVと財政破綻寸前
「Jumpin’ Jack Flash」がシングルとしてリリースされる2週間前の1968年5月12日、ストーンズの面々はウェンブリーのエンパイア・プールで行われたNME誌主催のポールウィナーズ・コンサートにて、同曲を先行でお披露目している。そしてこのステージは、ブライアン・ジョーンズにとって最後のライヴ出演となった。
丸1年ぶりとなったこのライヴで彼らが演奏したのは同曲と「Satisfaction」の2曲のみだったが、彼らは革命的なこの新曲が、望んでいた反応を得られたことに興奮と安堵を覚えていたようだ。NME誌のニック・ローガンはこうレポートしている。
「歓声が轟くと、エンパイア・プール全体が揺れるのを感じた。まるで以前に戻ったようなステージだったが、それどころか、以前よりも進化していた」
同24日にシングルとしてリリースされた同曲には、二つのプロモーション・ビデオが作られた。いずれもマイケル・リンゼイ=ホッグが監督を務め、バンドの演奏を捉えた内容になっているが、そのうちの一方ではメンバーが色とりどりのフェイス・ペイントや派手なメイクを施し、最先端のアクセサリーを身につけている。
二つのビデオを比べると、こちらの方が断然エネルギッシュな仕上がりだといえよう。ペイントやアクセサリーを身に纏ったジャガーはカメラを追い回しながら、悪魔のような同曲の主人公を完璧に演じ切っている。
また、このビデオは重大な事態を引き起こすことにもなった。監督への報酬の2,453ポンドなどが財源を圧迫したことから、ストーンズの面々は弁護士を雇い、アラン・クラインのマネジメント下におけるグループの財務状況を調査させることにしたのだ。これがきっかけとなり、グループの財政が逼迫しているという恐ろしい事実が発覚。結果として1971年、彼らは税金対策のために母国イギリスを離れることになる。
ともあれ「Jumpin’ Jack Flash」は、長らく失敗続きだったストーンズのシングルの呪縛を打ち破った。英国、アメリカ、オーストラリア、ドイツ、オランダのチャートで見事1位に輝いたのだ。さらに、5月から6月にかけて大勢の学生や労働者による抗議運動がパリの都市機能を麻痺させた際には、開け放たれた建物の窓から「Jumpin’ Jack Flash」が流れる光景も見られた。
リリース後の影響
「Jumpin’ Jack Flash」はストーンズにとって、キャリアの新章の幕開けを告げる1曲になった。同曲で彼らは、自分たちの根幹に宿るパワーを駆使し、彼らの代名詞ともいえる激しいサウンドを作り出した。彼らはそのサウンドによって、のちに“世界最高のロックンロール・バンド”の称号を得ることにもなるのだ。
他方、同曲は変わりゆく音楽シーンを反映してもいた。音楽にリアリズムが求められるようになったこの年には、多くのグループが直感的な作品作りを志向するようになった。例えば、同年の7月にはザ・バンドがデビュー作『Music From Big Pink』を発表。牧歌的・素朴でありながら本格的なそのサウンドは、非常に大きな反響を呼んだ。つまり、原点回帰が時代のトレンドになっていたのである。
実際、ザ・ビートルズもそれと同様の道を歩んでいた。彼らはその夏、断片的なレコーディングを重ねて通称“ホワイト・アルバム”と呼ばれる2枚組アルバム『The Beatles』を完成させていたが、そのあとで同グループの真髄ともいえる演奏スタイルに回帰。『Get Back』のレコーディングでは、“一発録り”の手法を採用した。
その後
偉大な楽曲である「Jumpin’ Jack Flash」は、アナンダ・シャンカール、テルマ・ヒューストン、ピーター・フランプトン、フォー・トップス、モーターヘッド、アレサ・フランクリンなど、実に幅広いアーティストにカヴァーされてきた。中でも“クイーン・オブ・ソウル”と称されるアレサ・フランクリンのヴァージョン (ウーピー・ゴールドバーグが主演した同名の映画に使用されている) では、キース・リチャーズがプロデュースを務めてもいる。
それでも、横暴なほどの激しさを持つオリジナル版を超えるどころか、それに匹敵するカヴァーさえ一つとして存在しない。ストーンズのヴァージョンは現在でも、史上もっともスリリングで、刺激的で、影響力のあるシングルの一つであり続けているのだ。
そうなれば、ストーンズの楽曲の中でもっとも演奏回数が多いのが「Jumpin’ Jack Flash」だということも不思議ではない。同曲は、ほかのどんなヒット曲よりもライヴで多く披露されているのだ。キースはこの曲についてこう話す。
「ギターを持ってこの曲のリフを弾けば、この腹の中で何かが起きるんだ。生きている中でも特に気持ち良い瞬間だ。リフを弾き始めさえすれば、勝手に演奏が進んでいく。言ってしまえば、体が乗っ取られるような感じだ。“爆発”というのが一番しっくりくる表現かもしれない。極楽の気分を味わいたいなら、俺は真っ先にこれをやってみるね」
Written By Simon Harper
最新アルバム
ザ・ローリング・ストーンズ『Hackney Diamonds』
2023年10月20日発売
① デジパック仕様CD
② ジュエルケース仕様CD
③ CD+Blu-ray Audio ボックス・セット
④ 直輸入仕様LP
iTunes Store / Apple Music / Amazon Music
シングル
ザ・ローリング・ストーンズ「Angry」
配信:2023年9月6日発売
日本盤シングル:2023年10月13日発売
日本盤シングル / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music
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