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「マージー・ビート」の誕生とジョンが執筆したビートルズのバイオグラフィ

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「マージー・ビート」という現象と同名の雑誌が生まれたのは、その隔週新聞紙の初版が発行された1961年7月6日~20日の頃のことだった。ビル・ハリーが編集を務めただったこの隔週誌の最初の号には、表紙にジーン・ヴィンセント、そして2ページ目にはジョン・レノンが執筆したザ・ビートルズのバイオグラフィが掲載された。

この定期刊行誌のアイデアは、ジョン・レノンと当時ザ・ビートルズだったスチュアート・サトクリフの友人だった編集者のビル・ハリーの発案だった。ビル・ハリーと当時の彼女でのちに妻となったヴァージニアは、50ポンドを借りて事務所を立ち上げ、リヴァプールのキャヴァーン・クラブから約800mほどのところのレンショー・ストリートのワイン屋の上に小さなオフィスを構えた。初版の5,000部はすぐに完売した。

ビル・ハリーはのちに、新聞のタイトルであり、ザ・ビートルズやその他大勢のリヴァプールのポップ・サウンドを象徴し世界中に知れ渡ることになるこの「マージー・ビート」という名前は、最初は少し異なる意味合いを持っていたと明かした。「午前2時頃、一人オフィスで座ってタイトルを考えようとしていたんだ」と彼は話す。

「リヴァプール、ウィラル、サウスポート、クロスビー、セント・ヘレンズ、ウィドネス、ウォリントンなどなど、マージーサイド(*訳注:英国北西部の州)の地域を全部網羅しようと決めて、急に警察官の巡回(ビート)を連想したんだ。警察官がその周辺の地図上を歩き回っているのが頭に浮かんで、それで‘マージー・ビート’という名前が湧いてきたんだ」

ジーン・ヴィンセントはその頃にはすでにロックン・ロールスターになって5年が経ち、「She She Little Sheila」で全英トップ30入りを果たしていたが、スカウス(リヴァプール)独特のユーモアを大事にしていた「マージ―・ビート」の最初表紙を飾った。ビル・ハリーはジョン・レノンに自分のバンドについて記事を書いて欲しいと頼んだことを振り返る。「ザ・ビートルズがドイツから戻った時、ジョンがバイオグラフィをくれたんだ」と話す。「ジョン独特のスタイルで書かれたその文章を僕は‘本当か嘘かザ・ビートルズの始まり、ジョン・レノン訳’とタイトルをつけたんだ」。

その非常に面白い文章の中では、ジョン・レノンが半分ふざけてかたちでグループについて語っている。「昔々、ジョン、ジョージポールと名付けられた3人の少年がいた。」という一文で始まり、「ある日彼らは一緒に集まることにした、つるむタイプの人間だったからだ」と続く。

記事の後半には、のちにポール・マッカートニーのアルバム・タイトルともなる言葉も記されている。「”ザ・ビートルズ”は何だ?とよく聞かれる。なぜ”ザ・ビートルズ”なんだ?と。ああ、”ザ・ビートルズ”、どうやってその名前にすることにしたのかって?教えてあげるよ。幻を見たんだ – 男が燃えているパイ(Flaming Pie)に乗って“今日からあなたたちは”Beetles”じゃなく「A」の文字で綴るビートルズ”Beatles”だ”と言ったのさ。“ありがとう、ミスター・マン”と言って彼らは礼を伝えたんだ」

the Beatles Bibleに感謝をささげます

By Paul Sexton



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