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ザ・ビートルズの無名時代の録音:トニー・シェリダン&ザ・ビート・ブラザーズ名義の「My Bonnie」
1961年、ドイツに渡りハンブルグのスター・クラブに出演していたザ・ビートルズは、そこでイギリス人歌手トニー・シェリダンと出会う。トニー・シェリダンはイギリスのテレビ番組『Oh Boy!』に出演したことで有名になっていた。やがてザ・ビートルズは、トニー・シェリダンと一緒にハンブルグの別のナイトクラブ、トップ・テン・クラブに出演することになった。このトップ・テン・クラブでの演奏に、ドイツ人バンド・リーダーのベルト・ケンプフェルトが目を留める。ベルト・ケンプフェルトは当時ポリドール・レーベルのプロデューサーとしても活動していた。
1961年6月22日の夜、トニー・シェリダンはザ・ビートルズをバックにつけて民謡の「My Bonnie」を録音する。これはシングルとして発表され、そのB面には「The Saints(邦題:聖者の行進)」(ニューオーリンズ・ジャズの名曲をロック調にカヴァーしたもの)が入った。ザ・ビートルズが有名になった直後に、ジョン・レノンはこう語っている。「あれは、トニー・シェリダンが歌っているバックで僕らがドタバタ演奏してるだけ。ひどいもんだった。バックは誰でもよかったんだ」。ここでリード・ギターを担当したのはジョージ・ハリスンだったが、ギター・ソロは別のレコーディング・セッションでトニー・シェリダンがオーヴァーダビングしていた。
シングル「My Bonnie」は1961年10月にドイツで発売され、アーティスト名はトニー・シェリダン&ザ・ビート・ブラザーズとなっていた。ポール・マッカートニーはこう語っている。「レコード会社は僕らの名前が気に入らなくて、‘ビート・ブラザーズに変えてくれ。そのほうがドイツ人にはわかりやすいから’と言ってきたんだ。こちらもそれに従った」。このシングルはドイツのシングル・チャートで5位に達している。一方イギリスでは、1962年1月第1週にトニー・シェリダン&ザ・ビートルズ名義で発売された。
出来映えはともかく、「My Bonnie」は実に重要な作品になった。このレコードのおかげで、ザ・ビートルズがブライアン・エプスタインの目に留まったのである。発売後まもなく、リヴァプールにあったエプスタインのレコード店を地元の音楽ファンが訪れ、「My Bonnie」のドイツ盤シングルはないかと尋ねた。それがきっかけとなり、ブライアン・エプスタインは1961年11月9日にキャヴァーン・クラブでザ・ビートルズのライヴを観ることになった。あとはみなさんご存じの通り。
このシングルは、レコード評でも取り上げられている。イギリスの音楽誌にザ・ビートルズのレコード評が載るのはこれが初めてだった。
Written By Richard Havers
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