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1964年2月、ザ・ビートルズが初上陸したアメリカの熱狂と複雑な発売レーベル事情
EMI傘下の米キャピトル・レーベルは、当初ザ・ビートルズの素晴らしさをなかなか理解できず、契約を見送っていた。そのため、アメリカ盤の最初の配給契約はヴィージェイ・レーベルと結ばれた。ヴィージェイはインディアナ州ゲーリーで一組の夫婦が始めたインディ・レーベルで、主に黒人アーティスト/グループのR&Bを扱っていた。こうしてシングル「Please Please Me」、さらには「From Me To You」が同社から発売されることになった。しかしヴィージェイが資金難に陥ったため、その次のシングル「She Loves You」はスワン・レーベルからリリースされることになった(この楽曲についても、キャピトルは当初発売を渋っていた)。
やがてキャピトルもザ・ビートルズに将来性があるということに気づき、1963年のクリスマスの翌日、シングル「I Want To Hold Your Hand(邦題:抱きしめたい)」を発売。3週間後、この曲はBillboard誌のヒット・チャートに入り、1964年2月1日には首位に到達。7週間に亘ってその位置をキープした。この「I Want To Hold Your Hand」から首位の座を奪ったのは、スワンから出たシングル「She Loves You」で、こちらは2週間に渡って1位を保っている。当時の弱小インディ・レーベルというと短命に終わるものが多かったが、ヴィージェイは「She Loves You」がヒットしたおかげで競合他社よりも長続きしたと言われている(と、このあたりはあくまでも余談)。
1963年のクリスマス前の時期に、キャピトルは既に宣伝キャンペーンを始めていた。ニューヨーク・エリアだけで5万ドルという過去に例のない額の予算を投じ、「ザ・ビートルズがやって来る」と告知したのである。その宣伝文句通りに、ザ・ビートルズは姿を現した。まずテレビ番組『ジャック・パー・プログラム』に出演。それから『エド・サリヴァン・ショー』で生演奏を披露している。
やや出遅れたキャピトルは、その遅れを取り戻すため、1964年1月20日に慌ててザ・ビートルズの米国盤アルバムを出すことにした。その『Meet the Beatles!』のジャケットには“ザ・ビートルズ初の米国盤アルバム”という謳い文句があった。なるほど、確かに、キャピトルから出た最初のザ・ビートルズのアルバムだったことは事実である。このアルバムは1964年2月15日にBillboard誌のアルバム・チャートの1位に到達。それから11週間ものあいだその位置に留まったあと、『The Beatles’ Second Album』に首位の座を明け渡している。全米アルバム・チャートの首位を同一アーティストが続けざまに獲得するというのは、それまでに例のないことだった。
しかしながら『Meet the Beatles!』は最初の米国盤アルバムではない。なぜなら、これが発売される10日前、ヴィージェイが『Introducing… The Beatles』を発表していたからである。カルヴィン・カーター(ヴィージェイのオーナーだったヴィヴィアンの弟)は当時のことをこんな風に振り返っている。「ヴィージェイがあのアルバムを出すと、EMIがキャピトルを通して販売停止を求める法的措置を執ってきた。毎週のように販売停止命令が来たよ。月曜日にその命令が来たら、こちらも裁判所に訴え出て、金曜日には命令が取り消される。だから週末にレコードをプレスして月曜日に出荷してしまう。週末になるたびに、休みなしでプレスを続けていた」。
『Introducing… The Beatles』はアルバム・チャートで2位に達し、そこに9週間留まった。ヴィージェイはアルバムを出すだけに飽き足らず、まだ販売権を有していたシングルもリイシューすることにした。1964年1月30日、ヴィージェイから「Please Please Me」と「From Me To You」をカップリングしたシングル(VJ581)が発売される。このシングルのプロモ盤には特製のピクチャー・スリーヴが付いており、‘ザ・ビートルズ旋風に火を付けたレコード’との売り文句が書かれていた。またこのスリーヴでは、『エド・サリヴァン・ショー』にザ・ビートルズが出演することも宣伝されていた。
1964年1月、ザ・ビートルズはフランス・パリのオランピア劇場に3週間出演している。それからロンドンに戻り、次の旅支度に1日だけ費やしたあと、2月7日にアメリカに向けて出発。ロンドンのヒースロー空港からパンアメリカン航空のボーイング707で飛び立ち、ニューヨークのJFK空港に到着すると今度は記者会見に臨んだ。アメリカのメディアは、このリヴァプール出身の若者4人組をどう扱うべきかまだ迷っていた。そのためこの時点では、皮肉から騒々しい疑いの声に至るまで、ありとあらゆる声が記者から浴びせかけられていた。
こうしてブリティッシュ・インヴェイジョンが幕を開けたのだ。
Written by Richard Havers
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