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スクイーズの20曲
優秀なソングライティング・チーム、クリス・ディフォードとグレン・ティルブルックが率いるサウス・ロンドンの5人組、スクイーズは過去40年の間に、誰よりも羨望を集めるような究極にイギリス的なポップのカタログを創造してきた。
「Cool For Cats」や「Up The Junction」といった代表的なヒット曲で知られる彼らは、当初パンクからニュー・ウェイヴに移行する個性的なバンドとしてシーンに出現した。人生の浮き沈みは彼らにとっても無関係ではなく、彼らはバンドを解散して2度再結成している。しかし、イギリスのトップ40チャートには、定期的に曲を送り込んでいた。そのことは、非の打ち所のない20曲入りのアルバム『Greatest Hits』が証明している。彼らは北米に多くの熱狂的なファンを持ち、同郷のダニー・ベイカーの有名な自伝『Going To Sea In A Sieve』によると、5年のブレイクの後、2015年に好評を博した『Cradle To The Grave』で、リフレッシュしたサウンドを披露してくれた。
ロンドン南東部のデットフォード出身の、10代の新生ソングライターであったクリス・ディフォードとグレン・ティルブルックは、1974年にバンドを結成。バンド名は、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの、主要メンバーのルー・リードとジョン・ケイルの脱退後のあまり知られていないラスト・アルバム『Squeeze』からとった。何度かメンバーが交替し、グリニッジのザ・ブリックレイヤーズでライヴを繰り返してファン・ベースを築き上げた後、クリス・ディフォード、グレン・ティルブルック、そして強力なドラマー、ギルソン・レイヴィス、ベーシストのハリー・カクーリ(後にジョン・ベントレーが後任)、そして天才的なピアニスト、ジュールズ・ホランドというおなじみのラインナップに落ち着いた。
1977年の7月、スクイーズはレコード・デビューを飾る。激しくて、個性的にパンキッシュな「Cat On A Wall」を収録したEP『Packet Of Three』は、デットフォード・ファン・シティーから発表された。これは、オルタナティヴ・TVのフロントマンで、Sniffin’ Glueというファンジンを発行したマーク・ペリーと彼らのマネージャー、マイルズ・コープランド(ポリスのスチュワート・コープランドの兄弟)が創設したインディ・レーベルである。
『Packet Of Three』が25,000枚という良い売り上げを達成し、バンドの知名度を大いに上げたおかげで(彼らは8月17日、アコースティック・セッションを録音した)、彼らは1977年の末にメジャー・レーベルのA&Mと契約した。駆け出しのバンドは、すぐにセルフ・タイトル・デビュー・アルバムを完成させた。アルバムのプロデュースは、彼らのヒーローの一人、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルが手がけている。このアルバムのハイライトとなっている曲は、アグレッシブな「Sex Master」、ヴェルヴェッツ風の「Strong In Reason」、そして東洋の影響を取り入れた「Take Me, I’m Yours」である。「Take Me, I’m Yours」は彼らのトップ20ヒット曲となり、彼らは初めて『Top Of The Pops』に出演することになった。
1979年4月発表の『Cool For Cats』で、彼らは確実に進歩した。彼らの気取らない、したたかなコックニー訛りの魅力が、デビュー作の激しいパンクに取って代わった。多様性に富んだこのアルバムは、60年代スタイルのポップ曲「It’s So Dirty」から、シンセを入れたジョルジオ・モロダー風の「Slap And Tickle」までを収録。陽気で、イアン・デューリー的な「Cool For Cats」と、今日も共感を呼ぶ不運な恋愛を歌う、素晴らしい「Up The Junction」という2曲のトップ10入りヒット曲は、クリス・ディフォードが急速に優れたリリシストに成長していることを示していた。
『Cool For Cats』は、英国でシルヴァー・ディスクを獲得。一方、1980年の『Argybargy』は、バンドが全米で人気を広げるのを助け、全米アルバム・チャートで75位を記録し、カナダではゴールド・ディスクに認定された。新たな輝かしいポップ・アルバムとなった『Argybargy』は、「Another Nail In My Heart」と、イギリスのビーチでの休暇を鮮やかに描いた「Pulling Mussels (From The Shell)」という2曲のトップ20入りヒット曲を収録。その他にも、若い男性が彼女の実家に初めて宿泊する体験を、クリス・ディフォードが歌詞にしている素晴らしい「Separate Beds」というシングルが含まれていた。
『Argybargy』は、スクイーズがイギリスのニュー・ウェイヴ・ポップ勢よりも長続きすることを、この上なく明らかにした。しかし、ジュールズ・ホランドが、とてもうまくいっていたテレビでの仕事(彼はもともとチャンネル4の番組『The Tube』で、ポーラ・イエーツと司会を務めていた)に専念するために脱退し、元エースの才能あるキーボーディスト兼ヴォーカリストのポール・キャラックが1981年の『East Side Story』の制作から加入した。最も好評を博した彼らの作品と考えられているこのアルバムは、エルヴィス・コステロによってプロデュースされ、イギリスで19位を達成し、バンドは2度目のシルヴァー・ディスクを手にした。
クリス・ディフォードとメイン・ソングライターのグレン・ティルブルックが全力を注いだ、多様性に富む究極のポップ・アルバム『East Side Story』は、ファンに長年愛されている浮気についての素晴らしいラジオ・ヒット曲「Tempted」と、豊かなソウル・ポップ曲の「In Quintessence」を収録。また、カントリー風の「Labelled With Love」は、イギリスのシングル・チャートで4位を達成した。
ポール・キャラックに代わってドン・スノウが加入した後にレコーディングされた1982年の『Sweets From A Stranger』には、過小評価されていたストリングスを取り入れた「When The Hangover Strikes」や、ビーチ・ボーイズ風の素晴らしい「The Elephant Ride」、熱望的なシングル「Black Coffee In Bed」など、何曲もの名曲が入っている。このアルバムの発表によって、彼らはまた新たに全米で人気を博したが(全米チャートで32位を記録)、この成功には代償があり、彼らはワールド・ツアーでストレスを抱え、突然に解散してしまった。
彼らの解散に合わせてA&Mはシングル曲を集めた『45s And Under』を発表し、皮肉にも、このベスト盤は全米と全英の両方でプラチナムに認定された。しかし結果的には、彼らの解散は短期間で終わった。1984年、クリス・ディフォードとグレン・ティルブルックが、『Difford & Tilbrook』で再び組んだ後、ギルソン・レイヴィスと、戻って来たジュールズ・ホランドと、ベーシストのジョン・ベントレーの代わりに入ったキース・ウィルキンソンと共に、スクイーズを再結成した。
この新編成で、1985年の『Cosi Fan Tutti Frutti』がレコーディングされ、子供時代がテーマの鮮やかな「King George Street」が誕生。そして1987年9月発表の素晴らしい『Banylon And On』は、全英チャートで14位を記録し、全米で最もヒットした彼らの2曲、「853-5937」と「Hourhglass」(コメディアンのエイドリアン・エドモンドソンが監督した幻想的な映像の驚異的なミュージック・ビデオがプロモーションを後押しした)が収録されていた。
『Banylon And On』の成功と比べると、1989年の『Frank』は、素晴らしいシングルの「If It’s Love 」や「Love Circles」、クリス・ディフォードがフェミニストに賛同する「She Doesn’t Have To Shave」等が収録されていたにも拘らず、チャート入りを果たせずに残念な結果に終わった。そして、彼らは長年在籍していたレーベル、A&Mを去ることになった。ワーナー/リプリーズと契約して発表された1991年発表の洗練されたアルバム『Play』は、ジュールズ・ホランドの脱退後に加入したエルヴィス・コステロのキーボーディスト、スティーヴ・ナイーヴと共にレコーディングされた。ジュールズ・ホランドは1992年から、BBC2の人気番組『ジュールズ倶楽部(原題:Later…With Jools Holland)』の司会者として活躍する。
成熟した堅実なアルバム『Play』からは、「Satisfied」と、ホーンを導入した「Crying In Your Sleep」という2曲の全米ラジオ・ヒット曲が生まれたが、困難な状況下で制作されたことが、アルバムの最後を飾る「There Is A Voice」から伺えた。
1992年、長年ドラムを担当していたギルソン・レイヴィスが脱退し、その後のスクイーズは、主にクリス・ディフォードとグレン・ティルブリックのバンドとなって、一緒に組むミュージシャン達は定期的に入れ替わった。1990年代の半ばに、A&Mから2枚のアルバムが発表された。『Some Fantastic Place』(復帰したポール・キャラックとエルヴィス・コステロのドラマー、ピート・トーマスが参加)と、1995年の『Ridiculous』は、両方とも多くの名曲を収録していた。
全米チャートで最高26位を記録した『Some Fantastic Place』 は、陽気なトップ40シングル「Third Rail」や、グレン・ティルブルックの初めてのガールフレンド、マキシーン(その頃、白血病で他界した)に捧げた、胸に刺さる「Titular Song」を収録。その後も強力なアルバム『Ridiculous』でスクイーズの再復興は続き、ブリットポップの全盛期に発表されたことも関係していると考えられたが、切ない「This Summer」と、哀愁と楽しさを併せ持つ「Electric Trains」という2曲の輝かしいヒット曲を残した。
しかし、A&Mが彼らとの契約を更新しないことを決めたために、『Ridiculous』は、スクイーズがポップのメインストリームに入った最後の作品となってしまった。バンドはこれに続けて、グレン・ティルブルックの自主レーベルであるクイックソティックより、1998年に『Domino』を発表。このアルバムの後は、17年間リリースが途絶えることになった。同アルバムは、素晴らしいアルバム・タイトル・トラックの他に、感動的な「Without You Here」といったハイライトがあったが、見過ごされて終わってしまい、クリス・ディフォードの不参加で不利になった困難なツアーの後、スクイーズは再び解散したのである。
クリス・ディフォードもグレン・ティルブルックも、音楽業界で活動を続け、彼らのソロ作品は高く評価された。そして2010年、彼らは3度目のスクイーズ再結成を実現させた。イギリスとアメリカで長期ツアーを行なった後、『Spot The Difference』(再レコーディングされた彼らのヒット曲を収録)を発表。しかし、新曲を望んでいたファンは、2015年の傑作『Cradle To The Grave』でようやく報われた。このアルバムには、高揚感のある、タムラ・モータウン風のアルバム・タイトル曲から、気分が上がる明るい「Snap, Crackle & Pop」まで、多くの傑出した曲が収録されており、最高の評価を獲得した。全英チャートでは12位を記録し、偉大なバンドは消し去ることができないということを証明したのである。
Written By Tim Peacock