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クリス・コーネル(Chris Cornell)その並外れた才能と半生を辿る
クリス・コーネルが亡くなった時、ロックン・ロールの世界は一人のカリスマ性のあるフロントマンを失っただけでなく、並外れた歌声も失ったのだ。
2017年5月17日の夜に、MGMグランド・デトロイト・ホテルの自身の部屋で遺体が発見され、52歳で亡くなったクリス・コーネル。世界の多くは、その喪失をなんとか理解しようとしているところだろう。彼は、シアトルのグランジ・アイコンである彼のバンド、 サウンドガーデンとアメリカ・ツアーに出ており、そのパフォーマンスは、4月後半から亡くなるその日デトロイトのフォックス・シアターでのソールド・アウト公演まで熱狂的に受け入れられていた。
クリス・コーネルの突然で予想もしなかった死の衝撃は世界中で起きており、その証は、Twitter等であふれている。ジェーンズ・アディクションやレッド・ホット・チリ・ペッパーズのギタリストとして知られるデイヴ・ナヴァロは「クリス・コーネルのことを聞いて茫然としている。なんて辛く悲しいニュースなんだ。今夜は彼の家族にお悔やみを。RIP」とTweetしている。
同じような声明は他のアーティストからも寄せられており、エアロスミスのジョー・ペリーは、「クリス・コーネルの今日のニュースはとても悲しい、世界は偉大な才能を失った」とTweetし、 エルトン・ジョンは、「 クリス・コーネルの突然の死に、ショックを受け、悲しみに沈んでいる。素晴らしいシンガー、ソングライター、そして愛すべき男」と書いている。
クリス・コーネルは、ロックの歴史においてもっとも才能にあふれ、多彩なフロントマンのひとりであることは疑いの余地はないだろう。その卓越した、そして何オクターヴものヴォーカル・レンジの持ち主であり、バンドの中で重要な役割を果たしたその非凡な才能はサウンドガーデンを他のグランジ世代のライヴァルたちとは別ものにさせた。メタル・アンセム「Jesus Christ Pose」でたっぷりと披露された彼の感情を露わにしたパフォーマンスで、彼の名高いヘヴィ・ロック・ヴォーカリストであるという名声は築かれた。それだけでなく、ヘヴィ・ロックやメタル界では珍しい繊細さや感受性といったものも表したのだ。その器用さはまったく異種のものに取り組み、他をしのぎ、また憂鬱で独特の雰囲気を持った「Fell On Black Days」や辛辣な出来上がりのサイケデリア、バンドの代表的なヒット「Black Hole Sun」といった曲にも挑戦させた。
シアトルのアイリッシュ・アメリカン一家に生まれたクリス・コーネル(本名クリストファー・ジョン・ボイル)は幼いころから音楽にのめりこんでいった。ギター、ピアノ、ドラムの演奏法を学び、ギタリストのキム・セイルとベーシストのヒロ・ヤマモトと1984年にサウンドガーデンを結成した。その後、ドラマーのマット・キャメロンが加入し、きわめて重要なコンピレーション『Deep Six』にフィーチャーされる(彼らの他にはグランジを築きあげたメルヴィンズや、マッドハニーの前身ともいえるグリーン・リヴァーなどが参加)、そして88年にリリースされ、世界的な認知を広げたデビュー・アルバム『Ultramega OK』の前に、歴史的に刻み込まれているレーベル、サブ・ポップで数枚のEPを録音した。デビュー・アルバムには初期のクリス・コーネルの定番曲「Beyond The Wheel」が収録されており、それは バンドのトレードマークである雷のようなリフと彼のヴォーカルの優れた腕前を見せつけている。
サウンドガーデンはシアトルのグランジ・シーンで一番初めにメジャーと契約した開拓者となった、彼らの場合は、A&Mと契約し、1989年にバンドの最新系となる2枚目のアルバム『Louder Than Love』をリリースした。この作品は全米アルバム・チャートに初めてフィーチャーされたサウンドガーデンの作品となり、様々な批評家たちを魅了した。ローリング・ストーン誌は、「クリス・コーネルの空へ舞いあがるような力強い歌声は、The Cultのイアン・アストバリーを彷彿とさせる」と書いている。
サウンドガーデンは飛ぶ鳥を落とす勢いであったが、1990年に悲劇が彼らを襲う。クリス・コーネルの前のルームメイトであり、地元のヒーローであるマザー・ラヴ・ボーンのヴォーカリスト、アンドリュー・ウッドがオーヴァードーズでなくなったのだ。アンドリュー・ウッドの死はクリス・コーネルをうちのめし、その結果、2つのダークだが心を打つ楽曲「Reach Down」と「Say Hello 2 Heaven」が生まれている。
この曲は後に録音され、マザー・ラヴ・ボーンのバンド・メンバー、ジェフ・アメンやストーン・ゴッサート、リード・ギタリストのマイク・マクレディやサウンドガーデンのマット・キャメロン、そして当時は知られていなかったヴォーカリストのエディ・ヴェダーらの力をかり、アルバムにたる素材を作り上げ、テンプル・オブ・ザ・ドッグの名のもとリリースされた。バンドの唯一の作品となったセルフ・タイトル・アルバムは1991年にリリースされ、最終的にプラチナムに認定された。クリス・コーネルとマット・キャメロンを除いたメンバーでパール・ジャムが結成され、マルチ・プラチナムに認定されたデビュー・アルバム『Ten』が1991年にリリースされた。
新しいベーシストとしてベン・シェパードを迎え入れ、サウンドガーデンは91年のアルバム『Badmotorfinger』でメインストリームへと乗り込む。アルバムにはバンドのもっとも愛されている楽曲の数々、「Outshined」や「Rusty Cage」(のちに、ジョニー・キャッシュの『American II: Unchained』にカヴァーが収録)などがフィーチャーされ、MTV等で大きなヒットとなり、ニルヴァーナ やパール・ジャムと共に、シアトルを世界の音楽シーンの最前線に持っていく助けとなった。
『Badmotorfinger』はダブル・プラチナムに認定されたが、94年の『Superunknown』は彼らを本物の世界的なスターとした。5プラチナムに認定されたアルバムは、グラミー賞を受賞した「Black Hole Sun」、「Spoonman」、「The Day I Tried To Live」、「My Wave」、「Fell On Black Days」などが連なり、後世に残されているアルバムで、メインストリーム・ロックやオルタナティヴ・チャートをその後12か月にわたって席捲した。クリス・コーネルの手による定番曲「Pretty Noose」や「Burden In My Hand」が収録された1996年の『Down On The Upside』はバンドをまたも、全米アルバム・チャートの2位の座まで押し上げたが、その翌年サウンドガーデンは解散する。しかし、クリス・コーネルにとっては、更なる個人的な頂点がすぐにやってくる。彼がレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトリオ、トム・モレロ、ティム・コマーフォード、ブラッド・ウィルクと共に、オルタナティヴ・ロックのスーパーグループ、オーディをスレイヴを結成。その前に発売した初のソロ・アルバム『Euphoria Morning』は「Can’t Change Me」などのヒットを生みだした。
新しいグループ、オーディをスレイヴはサウンドガーデンのような極みに上り詰めた。「Cochise」や陰気な「Like Stone」を収録した彼らの起源ともいうべき2002年のデビュー・アルバムはゴールドに認定され、2005年の『Out Of Exile』は全米アルバム・チャートに1位で初登場し、その後プラチナムに認定された。オーディオスレイヴの3枚目となる『Revelations』の後、クリス・コーネルはソロ活動に戻り、2007年のスティーヴ・リリーホワイトがプロデュースした『Carry On』や過小評価されているティンバランドとのコラボレーション作『Scream』が全米チャートTOP20入りした作品となった。他の場所でも、彼の創作的な地平線は広がりを見せ、「You Know My Name」を制作し、2006年のジェームズ・ボンド映画『007 カジノ・ロワイヤル』のテーマ曲としてパフォーマンス。また映画『マシンガン・プリ―チャー』のために制作された「The Keeper」はゴールデン・グローヴ賞にノミネートされた。
彼のファンが喜んだこととしては、クリス・コーネルは2012年の印象的なリユニオン・アルバム『King Animal』に参加する。それにも関わらず、彼の多才なパレードは続き、親密なアコースティック・アルバム『Songbook』や、2015年にはまたも高い評価を得たソロ・スタジオ作『Higher Truth』をリリースした。かれは新鮮な挑戦を受け入れることに熱心で、最近では、「The Promise」というオーケストラ・ナンバーを制作し、それは同名タイトルの映画に使用された。長いこと待たれ、そして高い評価を得たテンプル・オブ・ザ・ドッグとのツアーも終え、世評によれば、サウンドガーデンの7枚目のアルバムに取り掛かっているところであった。
サウンドガーデンに関してだけ言えば、クリス・コーネルは北米だけで、1500万枚のアルバムを売り、彼の30年にも及ぶキャリアは様々な業界の賞や批評家による称賛を散見することができる。しかし、彼は穏健であり続け、威厳があり、ファンにとっても彼はいつでも尊敬に値する人物であり続けた。サウンドガーデン初期の流星のような出世の際に、彼はローリング・ストーン誌に「何かを達成することのほかに動機づけられることなどないよ。でもその達成とは、グラミーのノミネートやチャートではない。それは自分たちが音楽的に何をやったかと、自分がどのように感じたかなんだ」と語った。 また、彼は自身の真実と魂に外れるようなことは決してしなかった。彼の存在なしには、ロック・ミュージは乏しいものとなだろうというのは決して過言ではないはずだ。
Written by Tim Peacock / Photo credits: Jeff Lipsky