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80年代ポップスにおけるソウルミュージックの影響:ポップとソウルの間を自在に往来した者たち

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Marc Almond of Soft Cell - Photo: Mike Prior/Getty Images

テクノロジーの発展が音楽から魂 (ソウル) を奪ったというのが1980年代のポップ・ミュージックに関する通説となっている。しかしながら実際には真逆だった。シンセサイザーやドラム・マシンが使用されてはいたものの、1980年代ポップのサウンドは十分にソウルフルだった。元々、ポップやロックのアーティストの多くはそもそも、ソウル・ミュージックからインスピレーションを受けてそのスタイルとキャリアを形成していた。

一方でまた、ジャンルを越えて、ニュー・ウェイヴや1980年代ポップのテイストを取り入れたR&Bのミュージシャンも決して少なくなかった。そして当時の大物たちの中にも、ポップとソウルの境界を自在に往来し、一定のジャンルに収まることのないサウンドを奏でていたアーティストがいた。

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ニュー・ロマンティックの誕生

1980年代のUKポップ・カルチャーに最も大きな影響を与えたであろう音楽ジャンルは、ソウルに深いルーツを持っていた。1970年代が終わろうとしていたころ、パンクス上がりのスティーヴ・ストレンジとラスティ・イーガンの二人は、アンダーグラウンドでクラブ・シーンを立ち上げた。これが、やがてニュー・ロマンティックと呼ばれることになる革命の始まりだった。

そのうちイーガンは、元リッチ・キッズのドラマーであると同時に、流行の最先端を行くDJでもあった。彼はクラフトワークやデヴィッド・ボウイの楽曲に加え、1970年代のR&Bやディスコ・ミュージックをフロアに届けていたのである。そして、このシーンの担い手であった重要バンド、スパンダー・バレエ、デュラン・デュラン、ストレンジとイーガンの率いるヴィサージなどは一様に誇りを持って、「ソウル・ボーイ/Soul Boy」を自称していた。

スパンダー・バレエのリーダーであるゲイリー・ケンプは、1981年に雑誌Creemのイマン・ラバベディに「黒人アーティストが出したソウルのレコードしか買ったことがない」と語っている。

また、1980年のRecord Mirror誌のインタビューでは、スティーヴ・ストレンジがマーク・クーパーに向けて以下のように熱く語っている。

「ウィガン・カジノ (で行われたダンス・パーティー) に通うようになったのは16歳のころだった。あの場でノーザン・ソウルのセッションを聴くために、毎回300マイルもの距離を旅してたんだ」

また、デュラン・デュランのジョン・テイラーは往時を思い出してこんな風に話している。

「パンクスたちとシックについて語り合ったことがあるんだ。俺はこう言った。”こいつらはマジで最高だ”ってね」

デュラン・デュランの「Planet Earth」、スパンダー・バレエの「To Cut A Long Story Short」、ヴィサージの「Fade To Grey」といった楽曲は、いずれも初期のニュー・ロマンティック・シーンから生まれた代表的なヒット曲であり、彼らが影響を受けたさまざまな音楽の中でも、特にファンクとディスコの影響を色濃く受けていた。

しかし、それから2~3年後、ニュー・ロマンティックの裾野は凄まじく広がった。

Duran Duran – Planet Earth (Official Music Video)

 

広がったニュー・ロマンティック

例えばABCのアルバム『The Lexicon Of Love』はモータウンを範としたサウンドであり、スパンダー・バレエのスマッシュ・ヒット曲「True」はアル・グリーンに影響を受けたスロー・テンポの1曲だった。さらに、カルチャー・クラブのアルバム『Kissing To Be Clever』は上品な作風ながら、R&B、ポップ、レゲエを巧みに融合させた最先端のサウンドだった。これらの作品は、1980年代メインストリーム・ポップのサウンドを世界規模で一変させたのである。

1980年代前半のシンセ・ポップとニュー・ロマンティックは、イギリスのメディアが一括りに”フューチャリズム/futurism”と表現したほどで、密接に関連していた。この時期の世界的な大ヒット曲の一つに、ソフト・セルの「Tainted Love (汚れなき愛)」がある。これは、1965年にグロリア・ジョーンズが発表したソウルの名曲をカヴァーしたものだった。

Soft Cell – Tainted Love (Official Music Video)

また、ヒューマン・リーグの「Don’t You Want Me (愛の残り火)」「Fascination」「Mirror Man」といった大ヒット曲の大半は、シンセサイザーとリンドラムの音をファンク・ブラザーズの演奏に差し替えれば、モータウンの作品にも使用されそうなサウンドだった。また、ヤズーのアリソン・モイエとユーリズミックスのアニー・レノックスは、この時代に登場したシンガーの中で最もソウルフルな歌声を誇っていた。

The Human League – Don't You Want Me (Official Music Video)

 

ソウルに影響を受けたロックアーティスト

ロック寄りのサウンドを展開した1980年代のアーティストたちも、ソウルからの影響を受けていた。例えば、スクイーズが1981年にリリースした「Tempted」(新加入のポール・キャラックがリード・ヴォーカルを担っている) は、ロンドンというよりも、むしろメンフィスのサウンドに近かった。

そして、同バンドの中心的存在であったクリス・ディフォードとグレン・ティルブックの二人が1984年にデュオとしてリリースした作品は、かなりストレートなR&Bサウンドで纏められていた。

Squeeze – Tempted (Official Music Video)

また、ザ・ジャムのフロントマン、ポール・ウェラーがモッズ由来のソウルをルーツとしていたことはもともと周知の事実だった。しかし、ジャムの解散後に結成したスタイル・カウンシルで、彼は本格的なR&B路線に転換。「Long Hot Summer」や「My Ever Changing Moods」といったヒット曲はその好例である。

The Style Council – Long Hot Summer

 

アメリカでの80年代のソウルミュージック

ここでアメリカに目を向けてみよう。

スティーリー・ダンは、1980年に「Hey Nineteen」をリリース。彼らの1980年代の楽曲として唯一、全米トップ10に入った同曲は、グループのキャリアにおいても特にR&B色が強い1曲だった。

Hey Nineteen

また、70年代にはブルース・ロック一色だったJ・ガイルズ・バンドも、1980年代には「Freeze Frame」のような楽曲で急激に注目を浴びた。そのサウンドは、彼らがもともと備えていたソウル寄りの側面に、最先端のポップ・サウンドを組み合わせたものだった。彼らのライヴ・アルバムに収録されたマーベロウズの「I Do」(1965年)のカヴァーが大好評を博したことは言うまでもないだろう。

J. Geils Band – I Do

同じく70年代からブルース・ロック界で活躍していたファビュラス・サンダーバーズ (スティーヴィー・レイ・ヴォーンの兄ジミーがギタリストとして所属) も、サム&デイヴによる淫らな内容の1曲「Wrap It Up」をカヴァーしてポップ・チャートに送り込んでいる。

Wrap it up – Fabulous thunderbirds

これまでも見てきたように、UKのシンセ・ポップ・アーティストたちは新たな時代に合わせてR&Bのサウンドを作り変えていった。その中には、英国よりもむしろアメリカで受け入れられた例もある。

ネイキッド・アイズは、サンプラーとシモンズ社の電子ドラムを駆使してルー・ジョンソンのシングルでバカラック/デヴィッドのコンビが作曲した「Always Something There To Remind Me (僕はこんなに)」をカヴァー。このヴァージョンに対する母国での評判は芳しくなかったが、アメリカでは、スパンデックスの衣装やマレット・ヘアと同じくらいの大ブームを巻き起こした。

Naked Eyes – Always Something There To Remind Me (Official Music Video)

逆に、1980年代のシンセ・ポップやニュー・ウェイヴのサウンドを参考にしたR&Bアーティストも多かった。リック・ジェームスは、シンセを活用したトラックに乗せてニュー・ウェイヴの雑誌に載っているような女の子 (the kind of girl you read about in New Wave magazines)について歌った「Super Freak」で音楽史にその名を刻んだ。良い意味でふしだらな同曲は、あえて曲名を挙げるまでもないほど象徴的なナンバーである。

1982年、彼は雑誌Blues & Soulのインタビューでジョン・アビーにこんな風に語っている。

「俺のキャリアの出発点はロックで、R&Bに本格的に取り組むようになったのはモータウンに入ってからだ」

彼はニール・ヤングらと共にマイナー・バーズというバンドを組んでいた1960年代半ばに同レーベルの一員になっていたこともあったのだ。

Rick James – Super Freak (Official Music Video)

R&B界のスターであるレイ・パーカー・ジュニアは、映画『ゴーストバスターズ』のテーマ曲で手にした成功の代償をあとになって負わされることとなった。というのもこの曲がヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの「I Want A New Drug」に酷似しているとして訴えられ、和解金を支払うことになったのである。

Huey Lewis & The News – I Want A New Drug

しかし、1984年に、彼はRolling Stone誌のマイケル・ゴールドバーグによる取材に応じ、この件に関して巧みな反論を展開している。

「俺に言わせればどちらの曲も”Pop Muzik” (Mが1979年にリリースしたニュー・ウェイヴのスマッシュ・ヒット曲で、シンセ・ポップの先駆けにもなった) に似ているね」

M – Pop Muzik (Official HD Video)

 

ブリット・ファンク

リンクスやイマジネーションを筆頭に、1980年代前半のイギリスで台頭したR&Bグループは”ブリット・ファンク”の一団として括られたが、彼らもまたポップ/ロックに精通していた。実際、リンクスの面々がスティーリー・ダンのファンだったことは、上品で洗練された彼らのサウンドからも、インタビュー記事の数々からも明らかだ。

また、同バンドのキーボディストとドラマーは、ヘイゼル・オコナーの楽曲にも参加し、ニュー・ウェイヴ界における彼女の躍進に貢献した実績を持つ。さらに、リンクスのベーシストはのちにパンク・ファンク・バンド、23スキドゥーに加わっている。

イマジネーションが1981年にリリースしたデビュー・アルバム『Body Talk』のプロデュースを担当したのは、ジョリー&スウェインの二人だ。彼らは、バナナラマの「Cruel Summer (ちぎれたハート)」やスパンダー・バレエの「True」といった世界的な大ヒット曲を手掛けたことでよく知られるプロデュース・チームである。

スパンダー・バレエの面々によれば、アルバム『True』制作時にサウンド面で影響を受けた作品がこの『Body Talk』だったという。確かに、イマジネーションの初期のシングルでは沸々と湧き上がるようなシンセの音色が特徴的だが、そのサウンドは当時の売れ線を狙ったあらゆるポップ・ソングに違和感なくマッチしたことだろう。

スパンダー・バレエが他のアーティストの音楽性を巧みに取り入れた例は、これだけではない。彼らは1981年、エッジの効いた曲調のヒット曲「Chant No. 1 (I Don’t Need This Pressure On)」をリリース。グルーヴ感が強い同曲のトラックをリードしていたのは、ブリット・ファンクの人気バンドであったベガー&カンパニーのホーン・セクションだった。

Spandau Ballet – Chant No 1 (I Don't Need This Pressure On)

それとほぼ同時期に発表されたフィル・コリンズの『Face Value (夜の囁き)』では、アース・ウィンド&ファイアーのホーン・セクションがアルバムの全編を彩っていた。この作品でコリンズは、華々しいソロ・デビューを飾ったのである。彼が1982年に発表したシュープリームスの「You Can’t Hurry Love (恋はあせらず)」のカヴァーも申し分のない出来だった。

Phil Collins – You Can't Hurry Love (Official Music Video)

そして1984年、フィル・コリンズはアース・ウィンド&ファイアーのリード・シンガーであったフィリップ・ベイリーと手を組み、「Easy Lover」を発表。アメリカとヨーロッパのチャートの上位に送り込んでいる。

Philip Bailey, Phil Collins – Easy Lover

他方、ヘヴン17の関連グループであるブリティッシュ・エレクトリック・ファウンデーションは、1982年にテンプテーションズの「Ball Of Confusion」をカヴァー。緊迫感のあるシンセ・ポップに生まれ変わった同曲は、ティナ・ターナーをリード・シンガーに起用したこともあり大きな注目を浴びた。

同シングルが評判を呼んだことで、ターナーがキャピトル・レコードとの契約を獲得し、1980年代中期に爆発的な成功を収めるきっかけになったとも言われている。

B.E.F. – Ball Of Confusion (feat. Tina Turner) (1982)

このほか、プリンスやテレンス・トレント・ダービーを筆頭に、R&B、ポップ、ロックなどの音楽ジャンルをごく自然に融合させたアーティストもいる。もちろん、こうした”雑食”な音楽家たちも、1980年代の音楽シーンを振り返る上で欠かせない存在だ。「When Doves Cry (ビートに抱かれて)」「Let’s Go Crazy」「Wishing Well」といった楽曲を抜きにして、当時のカルチャーにおける時代精神を語ることは不可能だろう。

伝統に固執する保守的な人々はテクノロジーへの拒否反応を示していたが、それでも1980年代にはポップ、ニュー・ウェイヴ、R&Bなどのジャンルが交わり合い、音楽シーンを賑わせた。そして、その影響は今もなお世界中に波及し続けているのである。

Written By Jim Allen



 

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