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ブルースの名曲「Key To The Highway」は誰が作曲したのか?そして有名カバーとは?
「Key To The Highway」は、あまたのブルース楽曲にありがちな、誰がオリジナル版の歌詞を書いたのかがハッキリせず、論議を呼び続けているナンバーのひとつである。
ビッグ・ビル・ブルーンジーと結び付けて語られることが多いものの、実はこの曲を最初にレコーディングしたのは“至高の凄腕キーボーディスト”ことピアノ奏者のチャールズ・シーガーで、時期は1940年2月のことだった。その数か月後にジャズ・ジラムのヴァージョンが録音され、そのヴァージョンでギターを弾いていたビッグ・ビル・ブルーンジーが、更に1941年に自らのヴァージョンを録音したのである。
ビッグ・ビル・ブルーンジーのカヴァー・ヴァージョンではジャズ・ジラムが音楽的返礼としてハーモニカで参加している。この3名全員が同曲の作家として権利主張をしていたが、スタンダードとして定着したのはビッグ・ビル・ブルーンジーのアコースティックによる8小節のブルース・ヴァージョン(オリジナルは12小節)だった。
曲中で歌われているのは、恋人と別れた後に家を出て、ハイウェイからハイウェイへと旅を続けるひとりのブルースマンの独白である。50年代にこの曲をレコーディングしたマンス・リプスカムは、“key to the highway”というフレーズは人間の足を意味していると解説した。ビッグ・ビル・ブルーンジーは歴史研究家のスタッズ・ターケルに、自分が使ったメロディはアーカンソーで過ごした少年時代に耳にした彼の伯父がバンジョーで弾いていたものだったと明かしている。
共作者として(チャールズ・シーガーと並び)クレジットされることになったビッグ・ビル・ブルーンジーだが、その彼は作家のスタッズ・ターケルに対し、ブルースの作曲家は皆、既存の曲を「ほんのちょっとだけ変える」ことにより、別物に仕立てていたと語っているのだ。「Key To The Highway」についても彼はこう語っている。「ああ、あれは俺が書いた曲だよ、うん。ある意味ではね。俺は自分が書いたって言うけど、チャールズ・シーガーも、あいつも一役買ってたんだ」。
I got the key to the highway(俺はハイウェイの鍵を持ってる)
Billed out and bound to go (チェックアウトして出発だ)
I’m gonna leave here runnin’, (俺は走ってここを出るぜ)
Because walkin’ is much too slow(歩いてたんじゃ遅すぎる)
…
Give me one more kiss, mama(もう一度キスしてくれよ、ママ)
Just before I go (出て行く前に)
’Cause when I’m leavin’ here(何故っていっぺんここを出たら)
I won’t be back no more(俺はもう二度と戻らない)
ビッグ・ビル・ブルーンジーのオリジナル・ヴァージョンが2010年にブルース・ホール・オブ・フェイム(ブルースの殿堂入り)した際、この曲はアメリカ中をさすらうために恋人を置いて行く悲嘆のみならず、‘ホームレスのアンセム’として賞賛を浴びた。また1958年、ビッグ・ビル・ブルーンジーが亡くなる数か月前にレコーディングを完了したアルバム『The Big Bill Broonzy Story』では、彼のひときわ哀切のこもった、心揺さぶる別ヴァージョンを聴くことができる。
その後に「Key To The Highway」をレコーディングした多くの第一線級ブルース・ミュージシャンと言えば、ジョン・リー・フッカー、B.B.キング、フレディ・キング、ブラウニー・マッギーとサニー・テリー、バディ・ガイとマディ・ウォーターズら錚々たる顔ぶればかりだ。もっともブルース史上に残る名曲というステータスにも拘わらず、この曲が全米チャートに顔を出したのはただ一度、1958年のリトル・ウォルターによる絶品のヴァージョンのみである。
ハーモニカの達人リトル・ウォルターは、この曲にシカゴ・ブルース・サウンドの解釈を加え、ピアニストのオーティス・スパン、ベースに偉大なるソングライターのウィリー・ディクソン、そしてマディ・ウォーターズがスライド・ギターで参加するというタレント揃いのバンドで披露した。リトル・ウォルターのこの上なくホットな極上のヴァージョンは14週間もチャートに居座り続け、キース・リチャーズをはじめとする多くのミュージシャンたちに多大な影響を与えた。キースは2015年にこの曲を彼の無人島に持っていくレコードの1枚として挙げ、その理由をこう語っている。
「こいつはリトル・ウォルターによるリズム&ブルースの最高峰だ。もし俺が無人島にいるとしたら、ハイウェイはどこになるんだろうな?」
ザ・ローリング・ストーンズは1964年11月にチェス・スタジオで、たいそう良く出来た 「Key To The Highway」のカヴァーをレコーディングしたが、このヴァージョンはその後何年も日の目を見なかった。加えて彼らのアルバム『Dirty Work』には、イアン・ステュワートが30秒だけこの曲をプレイしている様子が隠しトラックとしてフィーチュアされており、一方キース・リチャーズはライヴでこの曲をエリック・クラプトンと共演したりしているのだ。
「Key To The Highway」はその後も様々なジャンルでカヴァーされ、世に出ている。クリフトン・シェニエによるアコーディオン・ヴァージョンや、ダイナ・ワシントンのビッグ・バンド・スタイルまであるのだ。中でも間違いなく最高傑作のひとつに数えられるのが、ジミー・ウィザースプーンによる、ジャズ界の巨匠ベン・ウェブスターのゴージャスなテナー・サックスを従えたヴァージョンだろう。
また、「Key To The Highway」の恐らく最も興味深いヴァージョンが聴けるのは、1970年のロック史における記念碑的なアルバム、デレク&ザ・ドミノズの『Layla And Other Assorted Love Songs(邦題:いとしのレイラ)』だろう。このアルバムには同曲の9分にお呼びジャム・ヴァージョンが収められており、エリック・クラプトンとデュアン・オールマンが鮮やかなコード・チェンジを繰り返して目もくらむような競演を展開している。聴いているうちにどんどん惹き込まれて行くようなパワーを持ったトラックだ。
エリック・クラプトンはその後も何度となくこの曲をカヴァーしており、B.B.キングやオールマン・ブラザーズ・バンドともそれぞれデュエット・ヴァージョンが存在する。
「14歳ぐらいの時だったかな、ビッグ・ビル・ブルーンジーをTVで観たんだけど、とにかく凄かったね」と、エリック・クラプトンは2003年にギター・マガジン誌に語っている。
「あれこそまさに本物のブルース・アーティストって感じでね、僕は天国を覗いたような気持ちになったよ。あれこそ決定版って感じだった。その後、彼の音楽を探求して行くようになってからも、僕の心にいつも響いていたのは、あの‘Key To The Highway’のとてつもなく素晴らしいヴァージョンだった。僕にとってあれはある意味、何と言うか、 ‘Crossroads’と同じくらい、ミュージシャンであること、そして旅を続けるさすらいびと(ルビ:ジャーニーマン)であることの本質を体現している曲なんだ」
Written By Martin Chilton
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