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シュープリームス『Where Did Our Love Go(邦題:愛はどこへ行ったの)』
「黒人にとって夢を叶えることは不可能なことだと思えた時代に、私たちは成し遂げたことがある。モータウンを有名にするお手伝いをしたの」 シュープリームスのメアリー・ウィルソンは、たった5年間で全米ポップチャートに12枚のナンバーワン・シングルを出すという驚くべき業績を残したトリオの50周年を祝うBillboard誌のインタビューでそう語っている。reDiscovered Albumとして『Where Did Our Love Go』を紹介しよう。
1964年の夏、ビートルマニアたちとイギリスからの侵入者たちは思い通りにいかないことに不満を感じていた。1位だった「A Hard Day’s Night」は、1週間前にディーン・マーティンの非常にトラディショナルな曲「Everybody Loves Somebody(邦題:誰かが誰かを愛してる)」にその座を奪われ、1964年8月22日のチャートではそれまでヒットのなかったシュープリームスが、モータウンからリリースされたホーランド=ドジャー=ホーランド作の革新的な曲で7週間連続頂点にいたのだ。
*1960年代半ばにパリで楽しそうに歌うダイアナ、メアリー、そしてフローレンスの珍しい動画↓
「Where Did Our Love Go(邦題:愛はどこへ行ったの)」がシュープリームスのその後の前代未聞となる成功を築く土台となったのは間違いない。全米シングル・チャートの1位に2週間ランクイン(UK初のヒットとなり、3位にランクイン)した2ヶ月後、再び「Baby Love」で1位に登場し、今度は4週間そのポジションを守った。
パーカッションのようなサビはまるで手拍子のように聞こえるが、実際にはモータウンのマイク・ヴァルヴァーノが足を踏み鳴らしている。元々はマーヴェレッツのためにホーランド=ドジャー=ホーランドが「Where Did Our Love Go」を書いたが、彼女たちがそれをパスすると、ベリー・ゴーディがシュープリームスにあげることを提案したと、ドジャーは言う。その提案はレーベルの歴史、そしてシュープリームスの運命を変えた。
シュープリームスの初のヒット・アルバムに収録されたトラックと、それが50年前全米チャートのトップを飾った重大な瞬間直後にリリースされた2枚目となるスタジオ・アルバムを下のリンクから視聴しよう
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