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ウェス・モンゴメリー・トリオ『The Wes Montgomery Trio』:素晴らしい作品の数々の根源
1948年7月にライオネル・ハンプトン・オーケストラはアメリカ横断ツアーを行ったが、その中には名前が売れ始めていた25歳のギタリストがいた。彼の名前はレスリー・モンゴメリー、ウェスという名で親しまれていた。彼のほかにもう一人若きミュージシャンがリズム・セクションにおり、そのベーシストの名前はチャールス・ミンガスといった。ハンプトン・オーケストラは当時、デンバー、リトルロック、そしてニューヨークのジュネーヴを含む広い範囲のラジオ局で定期的にオンエアされていた。
それから数年間レスリー・モンゴメリーことウェス・モンゴメリーはハンプトン・オーケストラと共に活動したが、家族を助けるためにインディアナポリスの自宅へと戻った。その後、彼は二人の兄弟=ピアニストのバディとフェンダーのジャズベースを弾くモンクと組んで、モンゴメリー・ブラザーズとしてパフォーマンスを行うようになった。1955年にはコロムビアのために「Love For Sale」のカヴァーをレコーディングしたが、当時発売されることはなかった。
その2年後にモンゴメリー・ブラザーズは、ザ・モンゴメリー・ブラザーズ ・アンド・ファイヴ・アザーズ名義でワールド・パシフィックでアルバムをレコーディング。1958年にウェス・モンゴメリーは、テナー・サックス奏者のハロルド・ランドと兄弟のバディとモンクと共にパシフィック・ジャズにてレコーディングを行っている。
1959年10月1日、3人の兄弟はウェス・モンゴメリー・クインテットとしてパシフィック・ジャズで作品をレコーディングした。その4日後の10月5日には、ウェスはドラムのポール・パーカーとオルガンのメル・ラインと共にニューヨークのリーヴス・サウンド・スタジオにてトリオとしては初のアルバムとなる作品をレコーディングする。それは、ウェス・モンゴメリー・トリオとして数ヶ月後にリヴァーサイドから発売された。
ポール・パーカーとメル・ラインの伴奏について疑問を抱く者もいたが、ウェスの素晴らしいギター演奏技術は素晴らしかった。彼は自力でギター・ソロを改革したのだ。アルバムのオープニング・トラック、セロニアス・モンクの「Round Midnight」のカヴァーでのウェスの演奏は並外れたもので、1959年よりももっと後にレコーディングされたように聴こえるほど。同様に、デューク・エリントンの「Satin Doll」は非常に新鮮で他とは異なる解釈をしており、ホレス・シルヴァーの「Ecaroh」についても同じことが言える。その他にも際立つ曲として、「Yesterdays」とウェス本人が作曲した「Jingles」が収録されている。
恐らく、当時ファンだったとしてもウェス・モンゴメリー・トリオのアルバムはそこまで印象に残らなかったかも知れない。しかしこの作品を聴きなおす価値は必ずある。なぜならその後に生まれた素晴らしい作品の数々の根源であるからだ。
Written By Richard Havers
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