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ピストルズ親衛隊が結成したスージー&ザ・バンシーズのデビュー・アルバム『The Scream』
何世代ものファンに崇拝され、PJ ハーヴェイ、モリッシー、シネイド・オコナーなどから影響を受けたアーティストとして名を挙げられるスージー・スーは今でもロックの最も偶像化されたミュージシャンの一人であり続けている。そんな彼女は一番好きなバンド、セックス・ピストルズへの献身的な愛情こそが、彼女が多くの人に注目されるきっかけとなった。
そんなスージーがボーカルをつとめたスージー&ザ・バンシーズのデビュー・アルバム『The Scream』や『A Kiss In The Dreamhouse』によって、単なるピストルズ・フォロワーではなく、自分自身のジャンルを定義するアルバムを発売することになる。
セックス・ピストルズの熱狂的なファンで結成された親衛隊をメロディー・メーカー誌のキャロライン・クーンは “Bromley Contingent”(ブロムリー・ロンドン自治区構成部隊)と名付け、そのメンバーであったスージー・スーと駆け出しのベーシスト、スティーヴン・ベイリー(akaスティーヴ・セヴェリン)はジョニー・ロットンたちの後を何処まででも追ってついて行った。二人はテームズ・テレビジョンの「トゥデイ」のインタビューにも出演し、司会のビル・グランディが堂々とスージーをナンパしたことで話題になった。
この時、すでにスージー・スーとスティーヴ・セヴェリンはステージ・デビューを果たしていた。1976年9月にロンドンの100クラブで行われたセックス・ピストルズのマネージャー、マルコム・マクラーレンがプロモーションを任された2晩限りのパンク・フェスティバルでは、ドラムにシド・ヴィシャスを、そして後にアダム&ジ・アンツのギタリストとなるマルコ・ピローニを迎え、20分間アドリブで「The Lord’s Prayer」をパフォーマンスした。
1977年初期には二人はドラマーのケニー・モリス、ギタリストのジョン・マッケイとともにスージー&バンシーズを結成することになる。4人で組んだ新バンドはロンドンで一気に注目され、パンク・ファンたちが集まる有名なヴォーテクスでのライヴは完売し、2晩続けて行われたナッシュヴィル・ルームズでのライヴも完売し、1978年の初夏にはポリドールと契約を結んだ。
スージー・スーの地元にあったテイクアウト専門の中華店でスキンヘッドたちが暴動を起こしたことからインスピレーションを得て作られた1978年8月発売の東洋風のデビュー・シングル「Hong Kong Garden」は、UKトップ10入りを果たし、シルヴァー・ディスクを獲得した。後にU2のプロデューサーとなったスティーヴ・リリーホワイトが初めてプロデュースを手掛けたスージー&ザ・バンシーズのデビュー・アルバム『The Scream』(1978年11月13日発売)もUKトップ40で12位にランクイン。今となって振り返ってみると、(度胸があり感情を露わにした「Carcass」を除いて)サビやラジオ受けしそうなコーラスが少ない作品だというのに、メインストリームで受け入れられたのは驚くべきことである。
とはいえ『The Scream』は魅力的であり、それまで単純に“パンク”と呼ばれていた音楽とは大きく違っていた。モリスのトライバルでタムを利かしたドラムと、マッケイのしゃがれたメタリックなギターを基盤に「Jigsaw Feeling」と「Metal Postcard (Mittageisen)」はありのままで単彩である。アルフレッド・ヒッチコックの映画『サイコ』から影響を受けたDVについて歌う「Suburban Relapse」は残酷なまでに痛ましい。そしてザ・ビートルズの「Helter Skelter」を不気味に分解したアルバム唯一のカヴァーでさえも、少しだけ中休みの役割を果たしている。
当時の評論家たちは全員一致で5つ星の評価を与え、サウンズ誌はアルバムを“今年最高のデビュー・アルバム”と評していた。現在は、パブリック・イメージ・リミテッドの『First Issue』とマガジンの『Real Life』と並び、ポスト・パンク時代の画期的な作品として挙げられる『The Scream』が失墜することは決してない。40年経った今でもその最初の威力はハッキリと鋭く突き刺しているのだ。
Written By Tim Peacock
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スージー&ザ・バンシーズ『The Scream』