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ビースティ・ボーイズ『Check Your Head』解説:サウンドも歌詞も新しく舵をきった3rdアルバム
もし1991年が、パンク(後にグランジという新しいブランドになった)が遂にメインストリームの音楽になった年だとしたら、1992年はグランジによる乗っ取りが完了した年だ。作業着がビッグ・ヘアに取って代わり、音楽シーン全体の雰囲気が、意識的により自己を認識するものに変わった。人気の音楽ジャンルの全てが、変化の時期にあったのだ。その中でもヒップホップは特に変化を迎えていた。ギャングスタ・ラップがヒップホップ界を征服し、「Cop Killer」といった物騒なタイトルの曲が世界的に有名になり、ドクター・ドレーは、西海岸のハイになるGファンク・サウンドを『The Chronic』で提示した。
アレステッド・ディベロップメントは、彼らのデビュー作『3 Years, 5 Months & 2 Days In the Life Of』で社会問題を意識したラップを吐き出した。そしてジャーメン・デュプリはラップ界初のボーイ・バンド、クリス・クロスを世に出し、無数の子供達とその親が服装について言い争う騒ぎを引き起こした。こうした状況に加わる形で1992年の4月21日に発表されたのが、ビースティ・ボーイズの3枚目のアルバム『Check Your Head』である。
ハードコア・パンク・バンドとして始まった彼らのキャリアの初期から、ヒップホップの黄金期にパイオニアとしての伝説的な地位を築くまでを振り返ってみると、ビースティ・ボーイズの歴史は、90年代における成功のための完璧なミックスになっていることが分かる。しかし当時、グランジとギャングスタ・ラップの時代において、彼らの能力は、疑問視されていた。
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今となっては伝説的な評価を獲得しているが、前作セカンド・アルバム『Paul’s Boutique』発表当時は商業的には成功しなかった。このアルバムの実験的なリリシズムとサンプリングは、80年代後半のリスナー達にとっては濃すぎたのである。彼らのデビュー・アルバム『Licensed To Ill』は商業的には怪物作で、プロデューサーのリック・ルービンの凄腕が奮われていたが、社会問題に意識的になった90年代においては、少し時代遅れになりかけていた。鋭い歌詞でも、奇をてらった歌詞でも、パーティ・アンセムと生意気なユーモアは、すでにクールではなくなっていたのだ。
チープトリックの曲のサンプリングで始まる『Check Your Head』は、頭から違うタイプのアルバムになることが明白であった。まず、彼らがビースティ・ボーイズになって以来、アルバムで楽器を演奏したのはこれが初のアルバムだったのだ。彼らはパンクの曲をパフォーマンスする時に楽器を演奏していたが、このアルバム以前の2枚のアルバムは、ローランドTR-808とサンプリングによって制作されており、このアルバムで聴ける新しいサウンドは、ライヴとサンプリングの要素の間の真のバランスを達成していた。
新しいサウンドを獲得するために、彼らはロサンゼルスに自身のスタジオを創設。アットウォーター・ヴィレッジにあるG-Sonスタジオは、トニー・ホークの裏庭とサーストン・ムーアのアパートを掛け合わせたような景観であった。そこで、1作目と2作目をプロデュースしたリック・ルービンやダスト・ブラザーズの影響を受けずに、マイクDとMCAとアドロックの3人は、彼らのルーツに忠実なサウンドを作り出すことができたのだ。
『Check Your Head』はまた、彼らが初めてプロデューサーのマルド・カルダト・Jr(マリオC)とマーク・ラモス・ニシタ(マニー・マーク)とコラボレーションをした作品でもある。このコンビは、ビースティ・ボーイズの次の2枚のアルバムもG-Sonスタジオでプロデュースした。そして『Ill Communication』と『Hello Nasty』は両方ともより商業的に成功したが、この二人はG-Sonでの形成期に制作されたビースティ・ボーイズの作品と『Check Your Head』に、彼らの遺伝子を注ぎ込んでいる。
アルバム発表の2週間前にリリースされた先行シングル「Pass The Mic」は、ビースティ・ボーイズの新しい実験的サウンドを定義したクラシックなビースティだ。この曲で彼らはEPMDの「So What’cha Sayin」をサンプリング。1988年に始まったこの2つのグループは、その後も音源を交換し EPMD は「Let The Funk Flow」という曲で、「Slow And Low」を大量に使った。ビースティ・ボーイズのアルバムのサンプリングの内容を解明するのは、1970年代のポップカルチャーからニューヨーク市の知恵までを辿るジェットコースターに乗るような行為だ。
『Check Your Head』で使われているサンプルは、曲の一部となっているために、それほどミックスで曖昧にされていない。その結果、音楽界のあらゆる影響を取り入れながらも、曲を拝借することで行き詰まったような感じはない作品となった。
テッド・ニュージェント、ジミ・ヘンドリックスのアルバム『National Lampoon』、そしてバッド・ブレインズ、ビッグ・ダディー・ケン、ボブ・ディランまでが、このアルバムで取り上げられている。「俺はニューヨーク市に帰る、もう充分に経験したと思う」というボブ・ディランの歌詞の使用は、当時ロサンゼルスに移住した彼らの居場所のない感情を語っている。また、サンプリングから離れようとする努力も見て取れる。「Live At P.J.’s」(クール&ザ・ギャングのライヴ盤を参照)で、彼らは生楽器の演奏の上にラップを乗せている。また「Pow」「Groove Holmes」「In 3’s」といった曲は完全にインストゥルメンタルである。
『Check Your Head』には、ハードコアな側面もある。スライ&ザ・ファミリー・ストーンの「Time For Livin’」のカヴァーは、1980年代のハードコア・バンド、フロント・ラインのギターリフを拝借しており、「Gratitude」はビースティ・ボーイズの最大のヒット曲「Sabotage」の萌芽として捉えることができる。そしてアルバムは「Namaste」で幕を閉じる。ラップというよりもスポークンワードのような曲で、MCAが、中国の思想家である荘子の最も有名な説話、「胡蝶の夢」にチャネリングしている。
ああ、蝶が天気のいい日に風に乗って飛んでいた
この現実が次第に消えて行く感じがした。
れがどこからやって来たのか知るために思考に乗ってみた
時の思い出を通っての変化は、まだ訪れない
このライムは、デビューアルバムに収録された「Paul Revere」でのラップ「俺の名前はMCA、俺は殺しのライセンスを持ってるぜ」からはかけ離れている。そして、この発展はつかの間のものではなかった。
『Check Your Head』のレコーディングで沸き上がった彼らの感性は、当時は完全に形成されてはいなかったが、最終的にビースティ・ボーイズの残りのキャリアにおいて彼らの駆動力となり、その後10年間に登場する全てのラップ・ロック挑戦者達の青写真となったのである。
Written By Chris O’Brien
ビースティ・ボーイズ『Check Your Head』
1992年4月21日発売
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