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カーペンターズ「Please Mr. Postman」は、曲としては2度目の1位だった
マーヴェレッツがオリジナルの「Please Mr. Postman」でチャート・インしたときは、ボビー・ヴィー、バリー・マン、ロニー・ドネガンの名が全米シングル・チャートに並ぶ時代だった。カーペンターズによるこのモータウンの曲の優れたカヴァーが1974年11月のベストセラーとなったときは、ビリー・スワンは 「アイ・キャン・ヘルプ」と歌い、ザ・スリー・ディグリーズは「あなたに今度会えるのはいつかしら」と問い、そしてカール・ダグラスはカンフーの練習に勤しんでいた。1975年1月25日、2人組のカーペンターズによるカヴァーは全米チャートの頂点に君臨していた。
1961年の終わり、モータウン・レーベルにおいて初となるポップ1位を獲得した「Please Mr. Postman」。この曲がヒットした時、心を動かされたボーダレスなオーディエンスの中には当時15歳だったリチャード・カーペンター、そして11歳だった妹のカレンもいた。そしてオリジナルから13年が経った頃、この兄妹によるカヴァー曲が全米チャートに登場、彼らにとっては11枚目の全米トップ10シングルへと勢いよく駆け上がるだけでなく、彼らにとって3度目で最後のナンバー・ワンとなった。
ザ・ビートルズの「Ticket To Ride(邦題: 涙の乗車券)」を彼らの一枚目のシングルでカヴァーしていたように、カーペンターズは彼ら自身の輝かしい持ち歌に巧みなカヴァー曲をたびたび追加していた。ルビー・アンド・ザ・ロマンティックの「Hurting Each Other」やレオン・ラッセルの「Superstar」、そしてセサミ・ストリートで子供たちに人気の曲「Sing」すら彼ら自身の曲にしてしまった。彼らは「Please Mr.Postman」やその後、初めはハーマンズ・ハーミッツによって知られるようになったジェフ・スティーブンスとレス・リードによる楽曲「There’s A Kind Of Hush(邦題: 見つめあう恋)」を収録した『Horizon(邦題: 緑の地平線~ホライゾン)』でも、ニール・セダカの「Solitaire」をカヴァーしている。
リチャード・カーペンターとカレンによるモータウンのカヴァー曲「Please Mr.Postman」は全米ポップ・チャートの77位に登場。その9週間後、バニー・マニロウの「Mandy(邦題: 哀しみのマンディ)」から奪った首位の座を一週間守り続け、2つの異なるヴァージョンで第一位を獲得したポップ時代の3番目の曲となった。そのほかの曲は、スティーブ・ローレンスとダニー・オズモンドのそれぞれのヴァージョンによる「Go Away Little Girl」と、リトル・エヴァとグランド・ファンク・レイルロードそれぞれのヴァージョンによる「The Loco-motion」である。
Written by Paul Sexton
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