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【祝82歳】ポール・マッカートニーのアルバム・ジャケット写真大解説:その制作と裏話

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Cover: Courtesy of Universal Music Group

ザ・ビートルズの解散後にポール・マッカートニー(Paul McCartney)が発表してきた数多くのアルバムのジャケットには、視覚芸術に対する彼の情熱が表れている。基本的にはそれ単体でみてもアート作品として成り立つもの (『McCartney』『NEW』『Egypt Station』など) ばかりだが、中には彼のユーモアが込められているもの (『Paul Is Live』『Driving Rain』) もある。

また、彼はジャケット制作に関して、何人かのパートナーたちと長きに亘り手を結んできた。例えば、妻のリンダが撮影した写真も多くのアルバムに使用されている (『McCartney』『RAM』『Tug of War』『Pipes of Peace』) ほか、ロンドンに拠点を置くデザイン・チームのヒプノシスも多数の作品を手がけている (『Band on the Run』『Venus & Mars』『Off the Ground』『Back to the Egg』) のだ。

ただ、彼のアルバム・ジャケットすべてに共通していることが一つある。それは、一つ一つがこの上なく独創的で、ほかにはないデザインだということだ。ここではポール・マッカートニーのアルバム・ジャケットに関して、その裏話をいくつか紹介していこう。

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ポール・マッカートニー『McCartney』

(1970年/写真撮影:リンダ・マッカートニー)

ポール・マッカートニーは実に大胆な手法でソロ・キャリアをスタートさせた。それは1970年のソロ・デビュー作『McCartney』が、ザ・ビートルズの事実上の解散を宣言するプレス・リリースとともに世に出たからというだけではない。そのジャケットの表には彼の写真も使用されていなければ、名前すら書かれていなかったのである。

実際、多くのファンは裏面こそがジャケットの表だと思っていた (いまでもそう考えている人は少なくない) 。その裏面には”McCartney”という名前とともに、娘のメアリーを抱くポールの写真 ―― 彼らが家族で所有するスコットランドの農場で、妻のリンダ・マッカートニーが撮影したもの ―― があしらわれていたのだ。

だが実際のところ、それはジャケットの表ではない。世間の人びとは表裏を単純に勘違いしていたのである。他方で、正しいジャケットの表側に使用されているのもリンダが撮った写真だ。こちらは、サクランボの実と真っ赤な液体の入った容器を塀の上に置いて撮影したものである。

コントラストに富んだこの印象的な写真は、『Feeding the birds in Antigua, 1969』 (1969年、アンティグアの鳥の餌付け) というタイトルの1枚。白い塀の上にサクランボの実を置き、その上で背景を真っ黒に塗り潰すことで鮮やかな色合いが映える仕立てになっている。

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ポール&リンダ・マッカートニー『RAM』

(1971年/写真撮影:リンダ・マッカートニー、アートワーク:ポール・マッカートニー)

1970年のセルフ・タイトル作が”手作り感のあるサウンド”だったとすれば、ポールとリンダの連名で発表された翌年の『RAM』は”手作り感のあるジャケット”のアルバムだ。一方で、その中身は前作よりはるかに洗練されたサウンドだった。マッカートニー夫妻がセッション・ミュージシャンたちを迎えて制作した同作は現在、ビートルズ解散後のポールの作品の中でも特に高い評価を受けている。

そんな『RAM』に使用されているのも、リンダ・マッカートニーが撮影したポールのポートレイト写真だ。そこには、スコットランドの農場で雄羊の角を掴む彼の姿が写っている。そしてその写真の両脇を彩るカラフルな枠は、ポール自身がフェルトペンで無邪気に描いたもの。虹色のジグザグが描き込まれたその枠の中に彼は、妻へのメッセージを付け加えた。

その”L.I.L.Y.”という文字はどうやら、”Linda, I Love You (リンダ、愛しているよ) “の頭文字のようである。

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ポール・マッカートニー&ウイングス『Red Rose Speedway』

(1973年/ジャケット写真撮影:リンダ・マッカートニー、アートワーク:エドゥアルド・パオロッツィ)

『Red Rose Speedway』は、1973年にウイングスが発表した2作のアルバムのうちの1作目である。そのジャケットは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』や『The Beatles』 (通称”ホワイト・アルバム”) といったビートルズ時代の作品のように、実に手の込んだパッケージになった。

また、同作のアートワークを手がけたのは、初期ビートルズ時代のポールと間接的に縁のあった人物だ。ザ・ビートルズの面々は下積み時代にハンブルグのクラブで腕を磨いていたが、その矢先に結成時のベーシストで画家でもあったスチュアート・サトクリフが脱退。彼はドイツに残り、スコットランド人の芸術家/彫刻家であるエドゥアルド・パオロッツィの指導の下で芸術を学んだ。そうしてベーシストが不在となったことで、ポールがその役目を引き継ぐこととなったのだ。

そしてそれから10年以上の時を経て、ポールはそのパオロッツィの協力を仰いだ。ポップ・アート運動の先駆者である彼に、新作のアートワーク制作を依頼したのである。

同作のジャケット写真自体はリンダ・マッカートニーが撮影したものだが、パオロッツィの手がけたアートワークは、見開き式ジャケットに12ページのブックレットが付属する豪華なパッケージ (その中にはステージの様子など、ツアー中のメンバーたちの写真も配されている) の随所を彩っている。

最後に、このパッケージを語る上で外せないのは、ジャケット裏面に記されたスティーヴィー・ワンダーへのメッセージだ。そこには「We love you, baby! (愛してるよ、ベイビー!)」という言葉が点字で刻まれているのである(*少し見づらいが以下赤枠で囲ったところに点字がある)。

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ポール・マッカートニー&ウイングス 『Band on the Run』

(1973年/写真撮影:クライヴ・アロースミス)

ポール・マッカートニー&ウイングスが1973年に発表したアルバム『Band on the Run』。ロンドン西部のオスタリー・パークでクライヴ・アロースミスが撮影した同作のジャケット写真は、『Sgt. Pepper’s…』のそれを想起させるものだった ―― つまりそこには、名だたる著名人たちに囲まれたメンバーたちの姿が写っていたのだ。

ただし、『Band on the Run』では写真を貼り付けたパネルではなく、著名人本人が撮影に参加している。ポールはこう説明している。

「”逃走するバンド”というタイトルだから、何人かの人たちがサーチライトで照らされている写真にするのはどうかと考えたんだ。刑務所から脱獄しようとしているみたいにね。だから写っている有名人たちはみんな、脱獄囚のような出で立ちをしている。でもよく見てみるとジェームズ・コバーンがいたり、リヴァプール出身のボクサーのジョン・コンテがいたりするのさ」

このほか、クリストファー・リー、マイケル・パーキンソン、クレメント・フロイト、ケニー・リンチがポール、リンダ、そしてメンバーのデニー・レインに交じって”バンド”を形成している。

しかしアロースミスによれば、すべてが計画通りに進んだわけではなかったようだ。

「僕はわけもわからず間違ったフィルムを使ってしまって、そのせいで黄色っぽい色味の写真になってしまった。その上、ほとんどの写真では誰かが動いてブレてしまっていて、全員がはっきり写っているのは3枚くらいしかなかったんだ。ポールに写真を見せに行くときは、怯えてばかりで何も言えず、ただ息をこらしていることしかできなかった」

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ウイングス『Wings Over America』

(1976年/デザイン:ヒプノシス、MPL)

1976年、ウイングスのワールド・ツアーの成功を祝して3枚組アルバム『Wings Over America』がリリースされた。だがライヴ・アルバムとしては珍しく、同作のパッケージにはツアー写真が使用されていない (見開きジャケットの内側にはコンサートの様子を再現したイラストがあしらわれているが) 。代わりにポールは、ロンドンのデザイン・チームであるヒプノシスを起用した。

ヒプノシスはピンク・フロイドやジェネシスなど、プログレッシヴ・ロック・バンドの作品を主に手がけるチームだった。結果として完成した素晴らしいパッケージは、グラミー賞の最優秀アルバム・パッケージ賞にもノミネート。リチャード・マニングが手がけたジャケットのイラストには、飛行機の扉がいまにも開こうとしている様子が描かれている。その扉の内側からまばゆい光が差し込むことで、心躍るような何かが到着したことが暗に表現されているのだ。

写真のように精巧なこのイラストは、文字通り”苦痛を伴う”作業により描かれたものなのだという。マニングはこう回想する。

「遠近法を用いながら、2千個以上のリベットを描き込んだんだ。全部終わったあと、ストーム (ヒプノシスの創設者、ストーム・ソーガソン) が首と肩の痛みを取るための鍼治療の費用を出してくれたよ」。

また、同作では3枚のインナー・スリーヴにも粋な工夫が施されている。ジャケットにも描かれた”光”が、表裏を合わせた6つの面に一つずつ描かれているのだ。さらに、その光が”Side 1″から”Side 6″に向かうにつれて大きくなることで、ディスクの順番が一目で分かるような仕掛けになっている。

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ウイングス『Wings Greatest (ウイングス・グレイテスト・ヒッツ) 』

(1978年/写真撮影:アンガス・フォーブス)

1978年にリリースされた編集盤『Wings Greatest』のジャケットには、見かけによらず相当な予算がかけられている。ザ・ビートルズが『Sgt. Pepper’s…』のジャケット制作に約3千ポンドを費やしたと聞いても合点がいくが、『Wings Greatest』のジャケットに関しては、完成に至るまでの苦労が非常に伝わりづらい。

このジャケットは、ロンドンのデザイン・チームであるヒプノシスの助力を得てポールとリンダがデザインしたものだ。雪山を背景に、布をまとった腕を羽のように伸ばす女性の彫像が写っているが、この像はアールデコ期の彫刻家であるデメートル・シパリュスの作品で、サイズはかなり小ぶりだ (ウイングスの1979年作『Back to the Egg』のジャケットで暖炉の上に置かれているのも同じ彫像である) 。

そう聞けば大したことはなさそうだが、問題は撮影の方法であった。マッカートニー御一行はこの写真の撮影のためにスイスへと飛び、スイス・アルプスの山頂に彫像を注意深く配置。そして、飛行するヘリコプターの中からこれを撮影したのである。

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ポール・マッカートニー 『McCartney II』

(1980年/写真撮影:リンダ・マッカートニー)

ポール・マッカートニーのソロとしては2作目となるこのアルバムのジャケットには、妻のリンダが撮影した飾り気のないポートレイト写真が使用された。そこには、驚きのあまり呆然としているような表情のポールが写っている。リンダは複数の角度から照明を当てることで彼の背後に複数の影を作り、犯罪者の顔写真のような1枚を撮影した。

なお、『McCartney II』の宣伝用ポスターでは、この写真の上に太文字で”ON HIS OWN. (単独作) “と書かれていた。60年代をビートルズの一員として、70年代をウイングスのメンバーたちとともに過ごした彼は、ついにソロ・アーティストとしての道を歩み出したのである。

[このアルバムはこちらから試聴可能]

 


ポール・マッカートニー『Tug of War』

(1982年/アートワーク:ブライアン・クラーク、写真撮影:リンダ・マッカートニー)

ポール・マッカートニーの1982年作『Tug of War』は批評家たちに絶賛され、ローリング・ストーン誌には”最高傑作”と評された。青と赤の配色が印象的な同作のアートワークは、ジャケット写真を撮影したリンダ・マッカートニーと、イギリス人芸術家、ブライアン・クラークのコラボレーションにより作られたものだ。

ステンドグラスやモザイク画の作品で知られるクラークは、リンダが撮った写真の透明なフィルムに油性のインクをのせてこのデザインを実現させたのだという。なお、マッカートニー夫妻とクラークはこの作品を皮切りに、1989年作『Flowers in the Dirt』のジャケットや、1997年に行われた展示会などで度々コラボレーションをしている。

『Tug of War』の発表から7年後、ポールはクラークが同作のジャケットにあしらったブロック状の模様に再び目を向けた。アリーナでのライヴから10年間遠ざかっていたポールは、1989年から90年にかけてのワールド・ツアーの舞台セットをクラークに依頼したのだ。そうして完成したステージの背景は、『Tug of War』のジャケットのデザインを彷彿させるものだった。

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ポール・マッカートニー『Pipes of Peace』

(1983年/写真撮影:リンダ・マッカートニー)

ポール・マッカートニーの1983年作『Pipes of Peace』のジャケットは、”新しいもの”と”古いもの”を組み合わせて作られていた。そして同作の収録曲のほとんどは、前年のアルバム『Tug of War』の楽曲と同じ時期に作曲/録音されたものだった。ポール本人はこう説明している。

「このアルバムの曲はもともと『Tug of War』に収録するはずだったんだけど、そのあとで、ある種の”アンサー・アルバム”を作ろうと考え始めた。そうして僕は”平和のパイプ/pipes of peace”というアイデアを思い付いた。”激しいつばぜり合い / tug of war”の対義語は何かと考えていたら、”平和のパイプ”に行き着いたんだ。それで、パイプを”吸う”んじゃなく、パイプを”演奏する”ことにしたというわけさ」

また、ジャケット写真の中央に置かれているのは、フィンセント・ファン・ゴッホの絵画『Van Gogh’s Chair with Pipe (ファン・ゴッホの椅子)』をモデルにしたクロム合金のアート作品、その名も『Van Gogh’s Chair I』である。これはポップ・アーティストのクライヴ・バーカーの作品で、1966年にロンドンのロバート・フレイザー・ギャラリーで初公開されたもの。

そのフレイザーがポールの旧友であることを考えれば、これは興味深い巡り合わせである。フレイザーはポールに数多くの芸術家を紹介した張本人であり、『Sgt. Pepper’s…』のジャケットのアート・ディレクターを務めたのも彼だったのだ。

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ポール・マッカートニー『Off the Ground』

(1993年/デザイン:ヒプノシス、写真撮影:クライヴ・アロースミス)

1993年作『Off the Ground』のジャケットは、ポール・マッカートニーの作品史上もっとも遊び心に満ちたものだといえるだろう。そこではバンド・メンバーの足だけが、雄大な風景の上に広がる青い星空に浮かんでいるのだ。ポール本人はこう説明している。

「僕は『Off the Ground』というタイトルに合うイメージを考え付いていた。それは、写っている人たちの頭から上が意図せず切れてしまった写真だった。でもそのあとで、”いっそ全身をフレームから切って、足だけがCDの上からぶら下がっているようにするのはどうだろう”と思い立ったんだ。つまり、バンド・メンバーの足だけが写っているってことさ。僕はそのイメージをずっと心に留めていた。そうすれば”バンドのちゃんとした写真はないんだけど、足の写真ならあるよ”なんて話ができるだろう?」

メンバーたちはブルー・バックの背景の前に吊るされたベンチから足をぶら下げて撮影に挑んだ。そしてこのジャケットには、ポールの古い友人たちも携わっていた。パッケージのデザインを担当したのは、ウイングスの諸作のほか『Tug of War』にも関わったヒプノシスだ。

ジャケット写真は、この20年前に『Band on the Run』の写真を撮ったクライヴ・アロースミスが手がけた。また、このアルバムにも『Red Rose Speedway』と同様、エディンバラ出身の彫刻家/芸術家であるエドゥアルド・パオロッツィのアート作品を掲載したブックレットが付属していた。気になっている人のために補足しておくと、ポールの足は6人いるうちの左から3番目で、その左隣はリンダの足である。

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ポール・マッカートニー『Paul Is Live』

(1993年/写真撮影:リンダ・マッカートニー [ポールの写真のみ] )

60年代の後半から、ファンたちはビートルズの楽曲やアートワークの内容を”深読み”するようになった。そこから生まれた噂でもっとも有名なのは、ポールが1966年に命を落とし、彼とそっくりな人物がその後を継いだ (しかもそれがたまたま、世界レベルのシンガー・ソングライターだった) というものだ。ポールはこう説明している。

「”ポールは死んでいる”という噂がずっとあったんだ……。1992年、僕はアビー・ロードに戻ってアルバムを作った。それがライヴ・アルバムだったこともあって、『Paul Is Live』 (ポールは生きているの意) と名付けることにしたのさ」

『Paul Is Live』のアートワーク制作をポールが楽しんでいたことは明らかだ。それは『Abbey Road』のジャケット写真を加工した背景に、新たに撮影した彼の写真を重ねたものだったのだ。ビートルズのファンは、彼が愛犬のアローに引かれてアビー・ロードの横断歩道を渡る姿に笑みをこぼしたことだろう。アローは、「Martha, My Dear」に歌われたことで知られるマーサの子孫なのだ。

また、ポールの服装は『Abbey Road』のそれと似ているが、このアルバムでは靴を履いている。というのも、『Abbey Road』のジャケットに裸足で写っていたことが”ポール死亡説”の裏付けに使われてきた経緯があるのだ。アルバム・ジャケットで”間違い探し”をやるなら、この作品で決まりだろう。

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ポール・マッカートニー 『Run Devil Run』

(1999年/写真撮影:デイヴ・ファイン)

『Run Devil Run』の収録曲の大半は、往年のロックンロール・ナンバーで構成されていた。ロックンロールへの愛は、ポールと前年に亡くなった妻リンダとの共通点の一つだったのである。他方で同作の表題曲とジャケットは、神 (あるいは悪魔) に導かれたかのような運命的な出会いから生まれたものだった。ポールはこう語っている。

「息子とアトランタにいたとき、彼が街のディープな地区にも行ってみたいと言い出したんだ。そういう地区に行って歩き回っていると、どんな薬でも売っているヴードゥー教の薬屋のようなものがあった。そしてその店のショー・ウィンドウを覗いてみたら、”Run Devil Run”というバス・ソルトの瓶を見つけたんだ。それで、曲のタイトルにしたら面白そうだと思ったのさ」

アルバムのジャケットに写っているのは、まさにその”ミラーズ・レクソール・ドラッグス”という店だ (ただし、ミラー[Miller]の名はアール[Earl]に差し替えられている) 。そしてこの話が公になると、店の売上は急増し始めたという。この店は家族経営でありながら、同アルバムのリリースから10年ほどで、インターネットを通じて100万ドル以上を売り上げたと言われている。

なお、このバス・ソルトの行方について、ポールは冗談半分にこう話している。

「追い払わなきゃいけないほどの悪魔が憑いているわけじゃないけど、お風呂で使ってみるつもりだよ」

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ポール・マッカートニー『Driving Rain』

(2001年/写真撮影:ポール・マッカートニー)

ポール・マッカートニーが2001年にリリースしたアルバム『Driving Rain』。解像度の低いそのジャケット写真は一見、薄暗い場所にいるポールが手を出して撮影を妨害しようとしているようにも見える。新曲で構成されたアルバムを彼が発表するのは、1998年に妻のリンダをがんで亡くして以来、同作が初めてだった。そう考えれば、彼が影の中に身を潜めていたいと思っていたとしても無理はないだろう。

実はこの写真は、当時の最新式だったカメラ内蔵型のカシオ製時計で撮影されたもの。このアイデアに関してポールは、前年に友人のニール・ヤングが発表したアルバム『Silver and Gold』の影響を受けた可能性がある。というのも、同じく画質の粗い同作のジャケット写真は、ヤングの娘がゲームボーイに取り付ける”ポケットカメラ”で撮影したものだったのだ。

ともあれ実際のところは定かではないが、『Driving Rain』では解像度の低いジャケット写真に加え、同じ時計で撮影された飾り気のないスナップ写真がアートワークのほかの部分に多数掲載されている。

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ポール・マッカートニー 『Chaos & Creation in the Backyard (ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード〜裏庭の混沌と創造) 』

(2005年/写真撮影:マイク・マッカートニー)

ポール・マッカートニーは、アルバム・ジャケットを身内で完成させてしまうことが多かった。妻のリンダが撮影したジャケット写真も数多くあるし、『Driving Rain』や『Egypt Station』など、アートワークを彼自身で手がけた作品もあるのだ。そして2005年作『Chaos & Creation in the Backyard』のジャケットには、ポールの弟であるマイク・マッカートニーが撮影した印象的な写真が使用された。

この1枚は、リヴァプールのフォースリン・ロード20番地にある彼らの子ども時代の家で1962年に撮影されたものだ。キッチンの窓から撮られたこの写真にはもともと『Paul Under Washing』 (洗濯物の下に座るポール) という題が付けられたが、のちに『Our Kid Through Mum’s Net Curtains』 (母さんの網のカーテン越しの兄貴) と改められた。そこには、まもなく世界的スターへと変貌を遂げる初期ビートルズ時代のポールが、デッキ・チェアに座ってギターを弾く姿が収められている。

現在、この家は第二級指定建築物となっており、英国のナショナル・トラストによって所有・管理されている。2018年、ジェームズ・コーデンがホストを務めるテレビ番組の特別企画”カープール・カラオケ”の一環で、ポールは1960年代ぶりにこの家を再訪。その際、彼はこうコメントしている。

「あれからどれだけ長い旅をしてきたか実感したよ。まだ終わりじゃないけどね」

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ポール・マッカートニー 『NEW』

(2013年/ジャケット画像:ベン・イブ)

ニュー・アルバムのタイトルとして、ポール・マッカートニーの16作目のソロ・アルバムほど直接的な名前も珍しい ―― その名も『NEW』である。アデルの『21』を手がけたポール・エプワースや、エイミー・ワインハウスとの仕事で知られるマーク・ロンソンら4人のプロデューサーが関わったこのアルバムのジャケット写真は、同作の現代的なサウンドを象徴するように、文字通り”明るい”デザインとなった。

このデザインは、蛍光灯を使用することで有名なアメリカのミニマリズム芸術家、ダン・フレイヴィンの作品をヒントに考案されたもの。そのコンセプトは、蛍光灯で”new”という単語を表現するというシンプルなものだった。そこでポールは、デザイン・チームのレベッカ・アンド・マイクを起用。そして彼らはこのコンセプトをCGで形にするため、ベン・イブに声をかけたのだった。「ポールの指示の下で、最高のチームと一緒に仕事ができたよ」とイブ本人は振り返っている。

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ポール・マッカートニー『Egypt Station』

(2018年/アートワーク:ポール・マッカートニー)

ポール・マッカートニーの2018年作『Egypt Station』は彼のソロ・アルバムとして初めて、米ビルボード・チャートで”初登場1位”に輝いた。LPにして2枚組の同アルバムは、批評家からの評価も高い1作でもある。

そのアートワークのコンセプトとアルバムの中身は、本質的に深く結びついていた。ポールはモジョ誌の取材に対してこう話している。

「あるとき、ずいぶん前に描いた『Egypt Station』という絵のことをふと思い出した。その題名が”良い響きの言葉だな”と思ったんだ。そしてその絵の写真を見返してみると、”アルバムのジャケットにしたら面白そうだ”と思った。大写しになった僕の笑顔をジャケットにするなんて嫌だしね。この絵は突飛だし、どこか謎めいた場所を描いたものだったから、面白そうだと思ったのさ」

そのあとでポールは、アルバムの全編が”駅”を舞台に展開されるというアイデアを膨らませていった。完成したアルバムでは、作品の冒頭と終盤に『Sgt. Pepper’s…』を思わせる効果音が加えられ、駅という場面設定を演出している。

「タイトルが決まったら……あとは迷うことはなかった。すべてを形にしていっただけさ。駅から出発して、それぞれの曲を通して駅から駅へと移動していき、最後には目的地に着くような感じだ」

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ポール・マッカートニー『McCartney III』

(2020年/デザイン:エド・ルシェ、写真撮影:メアリー・マッカートニー、ソニー・マッカートニー)

ポールの名字を冠したアルバムは、ソロ・キャリアのスタートから現在までに3作発表されている。そしてその3作目である 『McCartney III』についてポールは、ダジャレを交えて「Made in rockdown (“ロック”ダウン中に制作したアルバム) 」と説明している。

新型コロナウィルスの影響で英国民が外出を制限される中、ポールは『McCartney』 (1970年) や『McCartney II』 (1980年) と同じように自宅でレコーディングを行っていたのだ。彼はこう説明している。

「ロックダウン中は、家族と一緒に農場で過ごしていた。そのあいだ、毎日スタジオに入っていたんだ」

また、『McCartney』と『McCartney II』のジャケットにリンダ・マッカートニー撮影の写真が使用されたように、ポールは2020年の同作でも家族の力を借りることにした。アートワークに掲載されている写真は娘のメアリー・マッカートニーによるものがほとんどだが、ポールの甥であるソニー・マッカートニーが撮影したものも一部使用されている。

そして、ジャケットのアートワークとそのデザインは、ポールが娘のステラを通して知り合ったというアメリカ人ポップ・アーティスト、エド・ルシェが手がけた。ルシェはこのアルバムで、サイコロをモチーフにした特徴的なデザインを考案。このサイコロは、数多く存在する同作の別ヴァージョンにも色違いで使用されている。

[このアルバムの視聴はこちらから]

 




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