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ポリス 『Outlandos D’Amour』:デビューアルバムながらグループの活動を軌道に乗せた作品
ポリス(The Police)のデビュー・アルバム『Outlandos D’Amour(アウトランドス・ダムール)』は、一般にニュー・ウェーヴ・シーンの重要アルバムとされるきわめて評価の高い作品だ。発売以来、複数の国でプラチナ・ディスクに認定されるほどのセールスを上げてきた同作で、このバンドはスターへの階段を駆け上がり始めたのである。
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結成直後のポリスとパンク・ナンバー「Fall Out」
ポリスの面々にとって『Outlandos D’Amour』のレコーディングは、12ヶ月の険しい道のりの末にようやく掴んだものだった。グループのドラマーのスチュワート・コープランドは、ジャズとロックを股にかけ野心的に活動していたシンガー兼ベーシストのゴードン・サムナー(”スティング”の通称で知られる)と知り会ったとき、既にバンド名や音楽性、楽曲のアイデアに至るまで、新グループの構想を膨らませていたという。
その二人が知り合って電話番号を交換したのは、スティングの故郷であるニューカッスル・アポン・タインでのことだった。コープランドはそのころ、プログレッシヴ・ロック・バンド、カーヴド・エアのメンバーとして活動していた。
コープランドは、元教師という経歴をもつスティング(ハチのような黒と黄色の縞のセーターを身に着けていたことから、彼には”Sting [針で刺すの意] “というニックネームが付けられたとされる)に惚れ込み、ロンドンを訪れることがあれば必ず連絡するようにと要請。そして1977年に同地に越して来たスティングは、その言葉に従ったのだった。
結成時点でのポリスは、スティング、コープランドに、コルシカ島生まれのギタリスト、ヘンリー・パドゥヴァーニを加えたラインナップだった。彼らは時代の波に乗って、スチュワートが自身で所有していたイリーガル・レコードから攻撃的なパンク・ナンバー「Fall Out」をシングルとしてリリースした。
チェリー・ヴァニラ、ウェイン・カウンティ&ジ・エレクトリック・チェアーズといった面々とともにUKツアーも行うが、すぐに彼らは流行に便乗してスリー・コードをかき鳴らすパンク・バンドたちと競うことに疲れ、自分たちの音楽性を深めるべきだと考えるようになった。
アンディ・サマーズの加入
そして、1977年の夏にその好機が訪れる。元ゴングの中心メンバーでプロデューサーのマイク・ハウレットから、スティングとコープランドのふたりに、ストロンチウム90というジャズ・ロック・グループへの参加の誘いがあったのである。そのとき同じくこのプロジェクトに名を連ねていたのが、エリック・バートン&ジ・アニマルズやケヴィン・エアーズのバンドなどに在籍したキャリアを持つギタリスト、アンディ・サマーズだった。
幅広い演奏を器用にこなすサマーズは、コープランドやスティングに自分との共通項を見出し、ふたりに接近。やがてポリスに加入すると、難なくグループに馴染んでいったという。もともとサブのギタリストとして加わったサマーズだが、パドゥヴァーニの脱退に伴い正式メンバーになると、ポリスのサウンドを一変させることになった。
こうして不動の黄金メンバーが揃ったポリスは、ここから一気に活動を本格化させる。まずはバンドのイメージを一新すべく、メンバー3人が髪の色を抜いて金髪に変身。音楽性の面では、全員が高い技術を持ちながら、パンク少年をも満足させる攻撃的な演奏を展開した。この路線が功を奏して3人は、完成度の高い楽曲を武器とする有望なライヴ・バンドとして知名度を高めていったのである。
使いまわしのテープでの制作
この頃まではスチュワート・コープランドが実質的にバンドのマネージャーとしての役割を担い、アートワークの制作やビジネス戦略の策定なども行っていた。しかしステージで披露していたレパートリーをアルバムに落とし込んでいくにあたって、外部からの協力を得る必要に迫られた。
そこで、スチュワートの兄で、のちにIRSレコードを設立するマイルス・コープランドが専任のマネージャーに就任。このとき、彼は同時に500ポンドをバンドに貸し付けている。この資金で彼らは、サリー・サウンド・スタジオという小さなスタジオを営業時間外の間だけ借り、地道に少しずつ楽曲をレコーディングしていった。2008年にスティングは当時のことをこんな風に回想している。
「俺たちの最初のアルバムは、使い古しのマルチトラック・テープにレコーディングしたんだよ。当時は自分たちでテープを買うお金もなかったからね。医者でレコーディングを趣味にしていたナイジェル・グレイが自分で造ったスタジオで、俺たちはアルバムを作っていた。壁には一面、防音用の卵のパックが貼られていたよ。彼が熱心に自宅を改造した何よりの証拠だ」
そうした環境ではあったが、サリー・サウンド・スタジオは野心的で激しい当時のポリスの演奏をレコーディングするのには申し分のない環境だった。たとえば「Next To You」やアンセム調の「Truth Hits Everybody」は、パンキッシュな荒々しさと攻撃性が満ち溢れた仕上がりになっており、一方、「So Lonely」や跳ねるようなリズムの「Hole In My Life」では、バンドはほかれに例のないポップ・ミュージックとレゲエのハイブリット・サウンドを完成させている。このサウンドはその後ほどなくして、ポリスの代名詞として知られていくようになる。
アルバム収録曲と「Roxanne」のヒット
ほかにも、「We were the class they couldn’t teach ‘Cause we knew better / 大人が俺たちに教訓を垂れることなんて出来ない/俺たちの方が分別があるんだから」と歌う「Born In The ’50s(俺達の世界)」は若者の心の解放や、1960年代に世界を揺るがした出来事を鮮烈に描き出した1曲だった。この曲は、当時のスティングが作詞家として急成長を遂げていたことを示している。
他方、不安感を表現した「Can’t Stand Losing You」や「Roxanne」は、ヒット・シングルに必要な要素をすべて持ち合わせた楽曲だった。このうち、パリの風俗街を訪れた実体験と同地の性風俗産業をモチーフに書かれた「Roxanne」のサウンドは、一度聴いたら忘れられないキャッチーなもので、ザ・ポリスにA&Mレコードとの長期契約をもたらしすことになった。
1978年4月7日にA&Mよりリリースされた「Roxanne」は、当初、その歌詞のテーマを問題視され、BBCのラジオ1から放送禁止処分を受けている。しかし、1978年11月2日に『Outlandos D’Amour』(タイトルは大雑把に言えば”愛の無法者たち”といった意味)がリリースされるころには、グループの評判は英米両国で高まりをみせていた。
UKでは、BBCの”Old Grey Whistle Test”で披露したテレビ番組における最初のパフォーマンスが圧倒的な評価を受けて「Can’t Stand Losing You」がマイナー・ヒットを記録。前後してリイシューされた「Roxanne」は1979年4月に英チャートのトップ20入りを果たすヒットを記録し、バンドのブレイクを決定付けた。
小細工なしの精力的なライヴ活動や、ロサンゼルス・タイムズ紙が『Outlandos D’Amour』を「ザ・カーズの『The Cars』以来、メインストリーム・ロック界で最も魅力的なデビュー・アルバム」と評したようなメディアでの絶賛のおかげで、アメリカでもスティング、コープランド、サマーズの3人が立つステージは日に日に大きくなり、チケットは各地で完売となった。
そして、「Roxanne」はアメリカのチャートでもトップ20に入るヒットを記録。1979年4月に彼らは北米への凱旋を果たすが、その後間もなく、彼らは2作目となる名盤『Regatta De Blanc(白いレガッタ)』で世界にその名を轟かせることになる。
ポリス『Outlandos D’Amour』
1978年11月2日発売
CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music
ドキュメンタリー作品
ポリス『Around The World』
2022年5月20日発売
Blu-ray+CD / DVD+CD
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