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ジョージ・ハリスン「My Sweet Lord」: ビリー・プレストンが最初に録音し、ビートルズの元メンバーが英米で初めて1位を獲得した曲
ジョージ・ハリスンの傑作アルバム『All Things Must Pass』に収録され、1971年にイギリスで最も売れたシングルであると同時に、ビートルズの元メンバーがイギリスとアメリカで初めて1位を獲得した曲として、特別な意味を持つ楽曲「My Sweet Lord」。ジョージが書いたのは間違いないが、初めてレコーディングしたのは彼ではなかったということをご存知だろうか? その最初とは、1970年リリースのビリー・プレストンのアルバム『Encouraging Words』をジョージがプロデュースした際に、アルバム収録曲として提供したものなのだ。
ビリーのアルバムに参加したミュージシャン達の多くは、当時のジョージの人脈によって集められていた。エリック・クラプトンを始め、程なくしてデレク・アンド・ザ・ドミノスを結成することになるボビー・ウィットロック、カール・レイドル、およびジム・ゴードンなど、ジョージのアルバム『All Things Must Pass』のレコーディングにも参加していたミュージシャン達だ。ボビー・キーズとジム・プライスがホーンを演奏しているビリーのヴァージョンになる「My Sweet Lord」では、エドウィン・ホーキンス・シンガーズのバッキング・ヴォーカルが実に印象的だ。
ジョージ・ハリスンが「My Sweet Lord」の作曲を始めたのは、彼がビリー・プレストンやエリック・クラプトンとともにデラニー&ボニーのバンド・メンバーとしてツアーを行っていた最中、デンマークのコペンハーゲンにいた1969年12月の頃だった。自身のソロ作品のために宗教的なテーマの楽曲を書き溜め、ビリー・プレストンの「That’s the Way God Planned It(神の掟)」やラダ・クリシュナ・テンプルのマントラ「Hare Krishna」をプロデュースするなどして、ジョージがスピリチュアルな創作意欲に満ちていた時期だ。写真は、ジョージが「My Sweet Lord」を書く数日前、イギリス・ツアーの最中のエリック・クラプトン、デラニー・ブラムレットと一緒にいるジョージの様子を撮影したものだ。
コペンハーゲンはデラニー&ボニーのヨーロッパ・ツアーの最終地で、12月10日から12日までの3日間連続してファルコナー・シアターでコンサートが行われた。ジョージによれば「My Sweet Lord」は、バンドのメンバー達が記者会見を行っている最中に上階にある部屋で「ハレルヤ」を「ハレ・クリシュナ」に変えたりコードを探したりしながら時間を過ごしていたのが作曲の始まりで、その後、他のメンバー達にアイデアを話し、コーラスなどを付け加えていったという。
ジョージはエドウィン・ホーキンス・シンガーズによる賛美歌「Oh Happy Day」にヒントを得てさらに楽曲を発展させ、最終的にビリー・プレストンの手を借りて完成させた。プレストンのアルバムにエドウィン・ホーキンス・シンガーズが登場しているのにもそうした経緯がある故だ。
ジョージのヴァージョンによる「My Sweet Lord」は、フィル・スペクターとの共同プロデュースによってアビーロード・スタジオで制作された。ビリー・プレストンはこちらにも参加しており、彼の他にエリック・クラプトン、リンゴ・スター、ジム・ゴードン、アップルと契約を交わしたバッドフィンガーの全メンバー4名もセッションに参加している。ジョージとフィル・スペクターは何種類もあるリズム・トラックから最終ヴァージョンを選び、クラウス・フォアマンのベースとゲイリー・ライトのセカンド・キーボードをフィーチャーしたマスター・テイク(メインのセッション後にピーター・フランプトンがアコースティック・ギターを追加録音していると思われる)を決定している。そして、ジョージのスライド・ギターとジョン・バーラムのスコアになるオーケストラがロンドン中心街にあるトライデント・スタジオでオーヴァー・ダビングされた。
ジョージとしてはアルバム『All Things Must Pass』からシングルをリリースするつもりはなかったが、結局折れてアルバムに先行してイギリスを除き全世界に向けてリリースしたのが「My Sweet Lord」だった。アメリカでのリリース日は1970年11月23日。このシングルは『All Things Must Pass』に収録されているものとはミックスが異なり、サウンド全体はエコーが抑えられ、バッキング・ヴォーカルも若干異なっている。「Isn’t It A Pity」との両A面でリリースされ、全米シングルチャートでは1970年12月26日から1位の座に4週間居座り続けた。ラジオでのオンエアがひっきりなしだったイギリスでもシングル・カットすることが決まり、1971年1月23日にリリースされたシングルの「My Sweet Lord」はその1週間後に1位になっている。この曲は、1971年のメロディ・メイカー誌での読者投票によるその年の”シングル・オブ・ザ・イヤー”と”ワールド・シングル・オブ・ザ・イヤー”の双方で1位にも選ばれ、1972年7月には、優れた作曲家に対して与えられるアイヴァー・ノヴェロ賞をもジョージにもたらしてもいる。
2001年1月、ジョージはリマスター・エディションの『All Things Must Pass』にこの曲の新ヴァージョン「My Sweet Lord (2000)」をボーナス・トラックとして追加した。ここでのジョージは、彼の息子であるダーニ・ハリスンによるアコースティック・ギターやレイ・クーパーのタンバリンなどほぼ全てが新たにレコーディングされた演奏に乗って、彼の友人のジョー・ブラウンの娘サム・ブラウンとヴォーカルをシェアしている。このヴァージョンはジョージの死後2002年にリリースされたオリジナルの「My Sweet Lord」にも収められており、シングルは2002年1月26日にイギリスで1位になっている。同一アーティストによる同一曲が1位を複数回獲得するという極めて稀なケースの楽曲の一つになったわけで、過去にはエルヴィス・プレスリーが3回、それ以外にはクイーンの「Bohemian Rhapsody」があるだけだ。
そんな大成功を収めた楽曲だが、1971年、ジョージはザ・シフォンズの「He’s So Fine」の出版社から著作権侵害だとして訴えられた。1976年の判決で判事はジョージの著作権違反としたが、その際に述べた言葉が以下のようなものだった。「ジョージは意図的に”He’s So Fine”を剽窃したのかと考えた場合、私にはそうは思えない。しかしながら、歌詞は異なっているが”My Sweet Lord”が”He’s So Fine”と同じ曲であることは明らかであり、またジョージが”He’s So Fine”を事前に知ることは可能であった。したがって、これは法的に著作権法違反に該当し、恐らく無意識下のことであったとしてもそのことに変わりはない」。損害賠償の裁判がその後何十年も続いたが、法律の細々としたことはあまりにも複雑過ぎるので、ここでこれ以上触れることはどうかご勘弁願いたい。
多くの人々を幸せにし、また困難や悲しみ苦しみにある者を勇気づけてくれる曲の一つとして、歓喜に満ちたジョージのこの曲は忘れてはならない作品であるということ、それは間違いのないことだ。ミュージシャンにとってはそれがすべてだろう。
Written By Richard Havers