Stories
MIKAインタビュー:最新アルバムとそこにつけられた本名の意味や家族、そして椎名林檎とJ-POPまで
2019年10月に発売されたMIKAの4年ぶり5枚目となるスタジオ・アルバム『My Name Is Michael Holbrook』。自身の本名である「マイケル・ホルブルック・ペンニマン・ジュニア」からつけたこのアルバムの制作について、そして彼の家族との関係性から、2018年に参加した椎名林檎のトリビュート・アルバムについてを語ったインタビューを掲載します。(*2020年3月2日に予定されていた来日公演が延期に。詳細はこちら。2023年5月には新公演も決定)
―新作『My Name Is Michael Holbrook』は4年ぶりのアルバムですね。少し時間が空きましたが、どんな事情があったんですか? 完成までに苦労があったんでしょうか?
MIKA:いや、苦労があったというわけじゃないんです。実情はその全く逆で、ただ単に、スタートして軌道に乗るまで、少々時間を要したというだけで。というのも当初の僕は、次のアルバムで自分がどんな曲を書くべきなのか見極められずにいました。実際、1年くらい全く曲作りをしていなくて、自分から書こうという努力もしなかった。フェイクなものを書きたくなかったし、この期に及んでロサンゼルスに行って、20人くらいのソングライターたちと組んで、無理やり曲を絞り出したいとも思わなかった。僕はただ、書くべきことが自然に見つかるまで、自分の人生に何かが起きるのを待とうと決めたんです。
実際に題材になる体験を色々して、一旦アルバム制作に着手すると、状況は一変しました。だから曲作りのプロセスは全く苦労を伴わないませんでした。苦労を伴ったのは人生のほうで、それはごくパーソナルな理由からなんですが。むしろ曲作りは簡単でした。それどころか、僕の人生において曲作りは従来以上に重要なものになって、僕を癒してくれたんです。だから困難なプロセスではなくて、非常に濃密なプロセスだったと言うべきですね。
それと同時に、アーティストとしての自分自身に大いに責任を感じてもいました。何しろデビューしてから10年以上を経ているわけで、何としても、ものすごく僕らしいアルバムを作らなければと強く意識していたんです。商業的なプレッシャーがあったという意味ではなくて、アーティスティックな意味で、可能な限り誠実なアルバムを作る必要性をヒシヒシと感じていました。それを成し遂げない限り、自分はクリエイティヴな壁に直面するだろうという予感がしていて、このアルバムが自分にとっていかに大切な作品か、いやというほど分かっていたんです。
―興味深いことに、今回は先にタイトルがあったそうですね
MIKA:はい、僕は結局、インスピレーションを求めて旅に出たんです。僕は幼い頃から母の勧めで専門的な教育を受けてきて、僕みたいな仕事をしている多くの人、同じような世界に身を置いている多くの人が、きっと似た環境で育ったんだと思いますが、僕の場合はそれはクラシック音楽で、7歳の時に勉強し始めて、母は1日3時間にわたってレッスンをしてくれました。だから彼女の存在は僕の人生においてものすごく重要な位置を占めているんです。その一方で父は言わば、非常に控えめな人でした。今も相変わらず控えめなんだけど。だから僕はマイケル・ホルブルック・ペンニマン・ジュニアという父と同じ名前を与えられているのに、父自身についてあまり詳しく知らなかった。彼の生い立ちや、家族関係について無知だったんです。そこで、父について知識を深めようと、ひとつの決断を下したんです。
ある日、車に乗り込んで、フロリダにある僕のホーム・スタジオから、ジョージア州の町サバンナを目指し、北に車を走らせた。父の家族はサバンナの出身なんです。そして、サバンナに辿り着いた僕は父方の家族が埋葬されている墓地を見つけたんですが、その一区域はペンニマン家の人々のお墓に占められていて、墓碑をひとつひとつ見ていたら、自分と同じ名前に行き当たりました。“マイケル・ホルブルック”って。父の家族には昔から代々マイケル・ホルブルックと名乗る人がいたんです。とにかくその墓碑を見て僕は衝撃を受けました。「なんてことだ、僕と全く同じ名前の人がここに眠っているってことじゃないか!」って。
僕は自分が何者なのか、すっかり知り尽くしている気分でいたけど、実は全く知らないんじゃないかって気付いたんです、まだ知らないことがたくさんあるじゃないかって。それで俄然好奇心をかき立てられて、今こそ自分の出自について知識を深めて、自分が何者なのか改めてより深く知るために、これまでになく親密な自分自身に迫るアルバムを作らなければと思ったんです。創作活動を続行し、これからも変化し続けて、人間としての成長の旅を続けるために。
―実際、あなたは我々にとってこの10年間、ポップスターのMIKAであり続けてきたので、本名を耳にすると、別人のように感じてしまいます。
MIKA:まさにそこが気に入っているんです。僕自身、マイケル・ホルブルック・ペンニマン・ジュニアという名前に違和感を抱くし、自分の本名が嫌いなんです。だからこそタイトルとして敢えてこの名前を提示することは、ひとつの挑発になる。何しろ、僕はこの世に誕生して1時間後には、“MIKA”って呼ばれていたんです。母がそう決めたんです。だから僕は間違いなくMIKAなんだけど、マイケル・ホルブルックも僕の一部分であり、ふたつが醸すテンションというか、そのせめぎ合いや自分の中に引き起こす葛藤が、僕にとってすごく重要なんです。そこに目を向けることで、自分自身が何者なのか再検証できる。それと同時に、自分の名前を取り戻すこともできるというか。僕は、小さなアパートの部屋で曲を書いていた18歳のMIKAを取り戻したかったんだと思うんです。あの時の自分となんとかして交信して、当時の気持ちに立ち返ってこのアルバムを作りたかったんです。
―では、このアルバムを作る前と作ったあとのあなたは、どういう点で異なるのでしょう?
MIKA:見失っていた本来の自分を取り戻せたんだと思います。しかも最強の状態で。僕は本来の自分を取り戻し、エモーショナルであると共に喜びに満ちたアルバムを作り上げた。そこには深く沈思する瞬間もあれば、躍動感溢れる瞬間もあります。そして僕は、これまで正面から向き合うのを恐れていた自分の家族のひとつの側面を、受け入れることができました。それまで心の中でずっと避けていたけど、アルバムを通じて曲に綴ることで、敢えて公の形で向き合うことにしたんです。プライベートな部分に秘めていたことを人目にさらすなんて、クレイジーに聴こえるかもしれないけど、それを実践するのは僕にとって本当に重要なことでした。独りで向き合うより、曲に書いて白日の下にさらけ出すほうが、実はよっぽど簡単なんです。
―でもあなたは本作を、父親ではなく母親に捧げていますよね。それはなぜですか?
MIKA:自分が父と共有する名前を使ってアルバムを作るというアイデアを思い付いて、最初の1曲を書き終えた日に、本当に偶然なんですが、母が病気になってしまったんです、深刻な病気でした。その後どんどん病状は悪化していって、今現在もものすごく苦しんでいます。だからこそ、僕はその苦しみや悲しみを、何かしら美しいもの、何かしら詩的な表現に転化したいと考えるようになったんです、苦しみの向こうに光や美が生まれるようにと願って。それはもちろん僕自身のこだわりであって、僕の家族と母以外の人たちには関係のないことですが、僕にとって、母にとって、これ以上に大切なことはなかったから構わなかった。母は僕にとって錨のような存在なんです。1年前まで僕の活動に深く関わって、そばで支えてくれていました。そういう風にずっと陰に隠れていたひとりの女性に、僕の人生と僕の仕事の陰に隠れていた彼女に、ここで光を当ててあげたかったんです。そうするだけの価値があるから。
―ほかにもお姉さんに捧げた曲「Paloma」がありますし、「Tiny Love Reprise」にはそのお姉さんのパロマとお母さんがゲスト・ヴォーカルで参加していますし、あなたの全家族に関するアルバムなんですね。
MIKA:というよりも、あくまで僕に関するアルバム、僕が愛する人たちと僕自身に関するアルバムですね。ひとりの人物を真の意味で理解するには、その人物が愛する人たちをも理解する必要がある。だからこそ、僕が愛する人たちのことを、彼らのストーリーを伝えることが、ものすごく重要だと思うんです。究極的には、僕にとってほかのことなんかどうでもいい、全てをはぎ取ったあとに残るのは、自分が愛する人たちだけだから。でも僕はそれを、哀しみをもって表現してはいません。メランコリックな表現もしていない。危険なほどにパーソナルで危険なほどにオープンなストーリーテリングと、この上なく不遜なアティチュードと、溢れんばかりの喜びをもって表現しています。これらのエモーションが変容していくプロセスに、このアルバムの力強さがあるんだと思います。これらのエモーションは、センチメンタルにはなりませんでした。逆に、パワフルに転化されているんです。そして燃え盛っていて、聴く人は涙することもあるだろうし、踊らせることだってできるんです。
―だからこのアルバムを満たすサウンドにはぬくもりがあって、カラフルで、生き生きしているんですね。
MIKA:その通り! 重要なのはコントラストでした。そういう矛盾が備わっているんです。なぜって、人生はコントラストの連続ですから。人生は激しいアップダウンを繰り返すわけで、いかにしてそれを乗り越えて生き延びるかということが問われます。間違いなくそういうサバイバルにまつわるアルバムなんです。
―ヴィンテージ・シンセの音色も相俟って、ある種の甘い、地中海的なフィーリングがあるように感じました。曲作りはマイアミとトスカーナで行なったとのことですが、そういう温暖な環境の影響なんでしょうか?
MIKA:それもやっぱり苦しみに起因してます。苦しみと悲しみから生まれたものであり、ソングライティングとアルバム制作が、一種の薬になるようにとの願いを込めたんです。
―傷口に塗る膏薬みたいなものですね。
MIKA:まさにそうですね(笑)。
―ところで、昨年あなたは椎名林檎のトリビュート・アルバム『アダムとイヴの林檎』に参加しましたよね。日本人アーティストの作品をカヴァーするというのはどんな体験でしたか?
MIKA:オー・マイ・ゴッド、僕は彼女が大好きなんです! 素晴らしいと思います。一筋縄ではいかないアーティストですよね。彼女が作る曲は複雑だし、歌手としてハードルが高い。だからこそ僕は単純にカヴァーするのではなく、別の言語に完全に置き換えることにしました。そうすることで、さらに面白くなると思ったんです。しかも、英語よりフランス語のほうが適していると感じてて、そして「シドと白昼夢」という曲が含む遊び心には、1960年代の実験的な音楽を想起させる部分があって、そういうスタイルで再解釈することにしました。彼女のトリビュート・アルバムに参加できるなんて名誉なことだし、うれしかった。
そもそも僕がどれだけJ-POPを愛しているかってことは、秘密でもなんでもないですよね(笑)。その昔、『カウボーイビーバップ』のサントラなんかを手掛けた菅野よう子に夢中になって、それ以来J-POPの複雑で飽和したサウンドに惚れ込んでしまいました。でも、そんな洗練された音楽であるJ-POPのどこが特に好きかって言うと、その折衷性なんです。J-POPの核の部分には一種の好奇心と折衷性があって、だからこそ僕は惹かれるんだと思います。
―最後に日本のファンへメッセージをお願いします。
MIKA:まずは、忍耐強く待ってくれたことにお礼を言っておかないと(笑)。今更ながら気付いたんですが、ポップ・ミュージックの世界においてアルバムとアルバムの間に4年半も空けるなんて、とんでもなく長い時間ですからね。でもそれだけの空白が生まれてしまったのは、僕という人間をよりたっぷりと見せるアルバムを携えてカムバックするため、みんなにかつてないほど、自分の多くを差し出すためでした。音楽はもちろん、ミュージック・ビデオやライヴ・パフォーマンスからも、それが伝わると思っています。だから次に日本に行く時には、来年(2020年)になると思いますが、みんなに新しいタイプのこれまで以上に親しみやすくて力強い、僕のパーソナルなエネルギーを感じてもらえるんじゃないかなと思います。そのエネルギーを使って、みんなといっそう緊密な関係を築き上げることになるはずです。そんなわけで、今回で僕が自分がやりたいことを成し遂げるためには、これだけの時間が必要だったと分かって欲しいです。お互いにとって最高の結果に辿り着くと思ったからこそ、時間をかけたんです。
Interviewed by 新谷 洋子
MIKA『My Name Is Michael Holbrook』
2019年10月4日発売
CD / iTunes / Apple Music / Spotify
最新ライブ盤
『Live At Brooklyn Steel』
iTunes / Apple Music / Spotify
- MIKA アーティスト・ページ
- 新作を控えたMIKA(ミーカ)とのインタビューを振り返って
- ケイティ・ペリー、約2年ぶりの新曲「Never Really Over」配信開始
- 新人ルイス・キャパルディ、デビュー・アルバムが全英初登場1位