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バンド内不倫&メンバー交代の後に作られたママス&パパスの作品に残された謎
ママス&パパスの2枚目のアルバム『The Mamas & the Papas』は謎と論争に覆われた作品だが、それでも全米ベストセラーに1年半以上もの間留まり、バンドの最も愛されたシングル「I Saw Her Again」と「Words of Love(邦題:愛の言葉)」の2曲が収録されている。両シングルはともに全米シングル・チャート5位を達成し、アルバムの売上にも貢献した。
1966年9月にリリースされた本作の論争の中心は、どれだけミシェル・フィリップスがアルバムで歌っていたのかということだ。レコーディング半ばに22歳のミシェル・フィリップスとデニー・ドハーティの不倫が発覚し、彼女はすでに同じバンド・メンバーのジョン・フィリップスと結婚していたことから、バンド内に緊張感が生まれ、怒りを買った。結果的にミシェル・フィリップスは1966年6月にグループを解雇された。バンドのプロデューサーをつとめたルー・アドラーが救いの手として、彼のガールフレンドでありシンガー・ソングライターのジル・ギブソンの参加を提案し、新たにバンドに加入させた。ジル・ギブソンはすでにサーフ・デュオのジャン&ディーンとレコーディングに参加しプロの経験があったこともあり、バンドがロンドンに出発している間のたった3週間でミシェル・フィリップスのすべてのパートを覚えた。
ミシェル・フィリップスが解雇された時点ですでにアルバムの半分はレコーディングされていた。「I Saw Her Again」と「Words of Love」もその中に含まれていた。すぐさまジル・ギブソンはデニー・ドハーティ、ジョン・フィリップス、そしてキャス・エリオットと共にレコーディングを開始し、すでに収録していたミシェル・フィリップスのヴォーカルを録り直すという作業もあった。当時のリリース・スケジュールと生産に要する時間を考えれば、これは意図を持ってなされたことかもしれない。
マシュー・グリーンウォルドの著書『Go Where You Wanna Go』では、ジル・ギブソンはアルバムの内10曲歌ったと話している。ルー・アドラーは6曲ぐらいではと話し、さらにミシェル・フィリップスは、自分もジル・ギブソンも多くの同じ曲をレコーディングし、お互いのヴォーカルの上にダビングしたため、最終的に完成した作品に誰が歌っているかを知っているのはエンジニアのボーンズ・ハウだけだと話している。実際のところ、複数の楽曲で5つのヴォーカルがあってもおかしくはないのだ。
しかし、髄までカリフォルニア・ハーモニーを感じる本作を聴いた純粋な喜びは紛れもなく本物だ。ビーチ・ボーイズも頻繁に5つのパートからなるハーモニーを歌っていたこともあり、ママス&パパスが同じ手法を用いるのもふさわしいように感じる。
シングルとしてリリースされなかった楽曲も、それぞれに強みがある。特にオープニング曲「No Salt On Her Tail」はドアーズのレイ・マンザレクをオルガンにフィーチャリングしている。これは1966年8月の1週間でレコーディングされたドアーズのデビュー作のリリース以前のことだった。シンガー以外にも、LAのセッション・ミュージシャンの最高峰が集まっており、ドラマーのハル・ブレイン、オルガンとピアノにラリー・ネクテル(彼はドアーズのデビュー作やサイモン&ガーファンクルの「Bridge Over Troubled Waters(邦題:明日に架ける橋)」でピアノを演奏)、そしてベースのジョー・オズボーンも含まれている。「Strange Young Girls」も聴き逃してはならない作品だ。グループの通常の楽曲とは異なるが、非常に印象深く美しい。
本作では、ミシェル・フィリップスのメンバーとしての立ち位置の不安定さから、カヴァーも何度も撮り直された。誰がどこを歌っているか、ご自身で判断してみてほしい。
Written by Richard Havers
- 1966年、ママス&パパスの1stアルバム『If You Can Believe Your Eyes And Ears』
- ママス&パパス3枚目のアルバム『Deliver』
- ママス&パパスの定番曲「Monday, Monday」
- ビーチ・ボーイズが最も輝いていた瞬間『1967 – Sunshine Tomorrow』
ママス・アンド・パパス『The Mamas & the Papas』
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