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ルイ・アームストロングの言葉20選
ルイ・アームストロングは話好きだった。インタビューを多く受け、自分でも自伝を書き、テープを回して自分の話を自ら録音するほどだった。彼はどんなことでも好きなことについて語った、音楽や人生や、マリファナを吸ったこと、ニューオーリンズについて。我々は彼の人生のみならず、この男性について様々なことが分かる最高の言葉を20個集めてみた。
1. “俺は貧しい居住区として知られるストーリーヴィルで生まれた。その場所は風俗地区だったけど、俺にとっては単なる住むところ。それは記憶の中で一生変わることはないだろう。その地域はクローズすることがなかった。年中どこかで何かが起こっていた。考えてごらんよ…24時間一流ミュージシャンの誰かしらがプレイしていたんだぜ”
2. “デイジー(最初の妻)と結婚した時、彼女は川向こうで売春婦をしていた。彼女と俺は町中でよくケンカしてはムショにブチ込まれたものさ。その都度俺の親分が救い出しに来なければならなかった”
3. “初めてニューオーリンズを出た時、フェイト・マラブルのバンドと共にボートでセント・ルイスへ向かった。驚くことに、俺達ストレックファス社の蒸気船でプレイした初の有色人種バンドだったんだ”
4. “現ナマがたくさん飛び交い、面倒を見てくれる色んなタイプの美しい女性達がいた。20年代初期のシカゴでは、みんなミュージシャンには敬意を持って接してくれた…まるで神さまのような感じだった”
5. “ジョー・グレイザー(*訳注:ルイ・アームストロングのマネージャー)は俺が白人達とプレイできるってことが分かったんだ! 分かるだろう? そして白人の為にプレイできるってことがさ。彼と最初に契約を交わした時、彼は有色人種のダンス(パーティー)ばかりブッキングするなんてことはしなかった”
6. “何年も懸命に働いた。あまりにも高い音を出していたから家の犬の耳が痛めたこともあった。ジョー・グレイザーに‘きれいなプレイと歌を頼む。みんなにゴキゲンなショウを見せるんだ’と言われたものさ”
7. “ティーンエイジャーの頃フェイト・マラブルと遊覧船でプレイしていた時からカネを稼いでた。だから一日に百万ドル稼ぐようになったとしても、これまでとは違う自分になろうなんて思わないさ”
8. “なんの為に有名になりたいか? 俺は有名になることに興味はない! 世間が騒いでいるだけ。そんなの俺じゃないぜ。俺はただ吹くだけ。誰の為にプレイしているとか何処でプレイしているかは関係ない。この心はあの運河のゲートから離れたことはない”
9. “俺は自分が有色人種だということを忘れることなんてできない南部の出身だ”
10. “俺のモットーは「良く食べて、健康に気をつけて、金持ちになるのを気にかけないこと」”
11. “百万ドルなんて欲しくない。金でバカをみたミュージシャンの多いことよ。やつらはステージに立つうちに、自分達の愛する人生のことを忘れてしまう。俺は高い台の上に立とうなんて思わない。自分のやっていることをありがたく思っているだけ。俺にできるのは感じるままにプレイすることしかないと思う”
12. “ローマ法王は本当に素敵な方だった。「子供はいらっしゃいますか?」と質問されて、俺は「いいえ、ダディ―、でもふたりで努力しています」と答えたんだ”
13. “50歳になって凄く幸せだ。今でもこの小さいサッチモ・トランペットを吹いていて、人生の素晴らしい面を楽しんでいて、今でもみんなを愛していてみんなも俺を愛してくれていて、世界の端から端まで、俺にとってはみんなひとつのハッピーな家族だ”
14. “あのホルンを手にすると…世界が見守ってくれていて、自然とできてしまうんだ”
15. “それは、チャイコフスキーを無能なヤツだと呼ぶようなものだ。彼のピアノ・コンチェルトが、聴くたびいつも同じサウンドだからといって、彼が無能ということにはならない”
16. “時々さ、自宅でだらだらしながらルシールとふたりで行った場所を思い返すんだ。どんな国にも俺達はたいがい行ったよ”
17. “ひどい風邪をひいていたり、高熱があったり、口が傷ついている時も演奏してきた。唇にピンが刺さっているような痛みを感じる時も、プレイしなければならない場合もあるんだ”
18. “素晴らしい人生を送れたと思う。手に入らないものを願ったことはないし、努力してきたから、欲しいものはほとんどすべて手に入った。いま使えないものはすべて手放したから、手元にあるものはすべて今でも楽しめている”
19. “ああ、もの凄く頑張ってきた。まるで20,000年間飛行機と電車の中で過ごしてきたような気分だ。身を粉にしてきた。ああ、もちろん大喝采を浴びるのは好きだよ。でも落ち込んでいて、疲れ果てている時、ニューオーリンズの家にいたらもっと幸せな暮らしができたのかなと思ったりもするね”
20. “何かを証明しようとしたことはない。いつも良いショウをしたいと思っていただけ。音楽は人生そのものだった。何よりも音楽が第一だった。でも音楽とは人々の前で披露できなければ意味がない。本当に大切なのは観客の為に懸命にやること。だって俺は人々を喜ばせる為にいるわけだからさ”
Written By Richard Havers