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ジミ・ヘンドリックス『Band Of Gypsys』:エレキギターの音色の可能性を明らかにした作品

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Cover: Courtesy of Capitol Records

ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)のアルバム『Band Of Gypsys』は、リリースから50年以上が過ぎた現在でも、ロック・ミュージシャンが残した最も優れたライヴ・アルバムのひとつとして認識されている。

このアルバムはアメリカと英国でヒット・チャートのトップ10圏内に入り、1970年3月25日のリリースからわずか2ヶ月でゴールド・ディスクに認定されている。雑誌クラシック・ロックで最近使用された表現を借りるなら、これは「エレクトリック・ギターの音色の可能性」を明らかにしたアルバムだった。

『Band Of Gypsys』は好調な売れ行きを示し、ブルース、ファンク、ハード・ロックを融合させたその先駆的なサウンドは現在広く評価されているが、ヘンドリックスのキャリアにおいてとりわけ波乱に満ちた時期に作られたアルバムだった。

ジミの妹ジャニーは2019年、このアルバムについて「ジミの人生におけるカタルシス的な出来事を祝う気持ち」を表現した1枚だと語っている。

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Jimi Hendrix – Band of Gypsys

 

新たな音楽的アイデンティティ

バンド・オブ・ジプシーズの物語は、1969年の夏から始まった。

既にジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとして3作のアルバム(『Are You Experienced』『Axis: Bold As Love』『Electric Ladyland』)をリリースしていたジミ・ヘンドリックスは、初期のリーダー・アルバムに当たるそれらの作品によって、時代の先を行く世界的なスーパースターというポジションを確かなものにしていた。

この段階で、ヘンドリックスは既に全世界を制覇しているように見えたが、1969年6月にエクスペリエンスが解散すると、彼はすぐに、さまざまなミュージシャンとのコラボレーションに力を注ぎ、新しい音楽的アイデンティティを築き上げていった。

まずヘンドリックスはニューヨーク州北部に身を隠し、兵役についていたころの仲間だったベーシストのビリー・コックスとギタリストのラリー・リーとともに新曲の制作を開始した。これらの非公式なセッションに続いて、ヘンドリックスは1969年8月に開催されたウッドストック・フェスティバルでヘッドライナーを務めるという大仕事をこなした。その時のバンドは、コックスとリーに加え2人のパーカッショニストとエクスペリエンスのドラマー、ミッチ・ミッチェルを加えた大人数の編成になっていた。

Jimi Hendrix – Live at Woodstock (Part 1)

 

「窮地にある友人を助けよう」

しかし、そのウッドストック・フェスティヴァルのあと、この新しいバンドはうまくいかず、ヘンドリックスはニューヨークに移り住んで再出発を図る。彼はレコーディング・スタジオにこもり、ビリー・コックスや、やはり長年の友人だったドラマーのバディ・マイルズとともに曲作りに取り掛かった。マイルズは既にエレクトリック・フラッグやバディ・マイルズ・エクスプレスの活動で世間に知られる存在だった。

3人ともこの非公式なリハーサル・セッションを楽しんでいた。そして、自分たちが作っている新しい曲があれば、ジミ・ヘンドリックスを窮地から救い出せるのではないかと考えた。ヘンドリックスは1965年にアメリカのPPXインダストリーズ・レーベルと不注意にも1ドルで契約していたため、その契約から逃れることが最大の課題となっていたのである。ビリー・コックスは2019年にこう説明している。

「ジミは昔の契約のせいで訴えられていて、そこから抜け出すには相手に何かしらレコードを作って提供するしかなかった。ジミが俺のところに来て、どういうことになったのか説明してくれた。それで俺たちは、ライヴ・アルバムを相手に提供することにした。当時ミッチはUKにいた。でもバディは俺たちと頻繁にスタジオ入りしてたし、彼も同じように、困っている友人(ジミ)を助けようと決心したんだ。こうして最終的には俺たちがバンド・オブ・ジプシーズになった」

PPXの契約に端を発した訴訟は1968年に和解が成立し、その結果ヘンドリックスはオリジナル・ナンバーで構成したアルバムをキャピトル・レコードに納品して発売する必要に迫られていた。つまりバンド・オブ・ジプシーズというプロジェクトは契約上の義務を果たすために考案されたものだったのである。それでもなお、ジミ・ヘンドリックス、ビリー・コックス、バディ・マイルスは長期間のリハーサルで準備した楽曲は驚くべきものに仕上がっていた。その内容を知る者であれば、このレコードが非凡なものになることは確信することができた。

 

「最も輝かしく、エモーショナルなエレクトリック・ギターの妙技」

3人の成果を記録するためにウォーリー・ハイダーの移動式スタジオを呼び寄せた彼らは、1969年12月31日と1970年1月1日の2夜にわたって、驚くべき新曲を初めて披露した。

会場となったのは、プロモーターのビル・グレアムが開業したフィルモア・イーストだった。バンド・オブ・ジプシーズは両日とも2セットを演奏し、この画期的なライヴは歴史に残る名演として知られることになった。とはいえ当時の意見は二分されていた。ジミ・ヘンドリックスはそれまでにヒットさせていた楽曲 「Purple Haze」「Hey Joe」「Foxy Lady」「Stone Free」などをいくつか演奏したが、新年パーティーのお祭り騒ぎを期待していたファンは、自分たちの英雄が新曲にしっかりと軸足を置いていたことに驚かされた。

1970年2月、ヘンドリックスとスタジオ・エンジニアのエディ・クレイマーは、このライヴの模様をレコーディングしたテープを基に、アルバム『Band Of Gypsys』の編集とミックスダウンを行い、アルバムには、最終的に、2晩のフィルモア公演で演奏した新曲6曲が収録されることになった。

バディ・マイルズが書いた「Changes」と即興で作った「We Gotta Live Together」、ヘンドリックスの「Power Of Soul」、そして魅力的な「Message To Love」を聴くと、ファンクとR&Bの影響がヘンドリックスのブルース/ロック・サウンドとシームレスに溶け合っていたことがわかる。この4曲はどれも魅力的だが、特に革命的だったのは『Band Of Gypsys』の前半に収録されていた2曲の長尺のトラックだった。

Power To Love (Live At Fillmore East, 1970 / 50th Anniversary)

1月1日の初回ステージで演奏された9分の「Who Knows」は、スリンキーなファンク・グルーブの曲。後に作家のリッキー・ヴィンセントは、この曲を「人を責め苛むようなギター・リフと歯切れのいいリズム&ブルースのグルーヴが融合した前代未聞の曲」と評している。実際、この曲のジャンルを超えたアプローチは後に続くアーティストたちに道を開くことになった。これが、1970年代ファンクのサウンドを作り出した、のちのジョージ・クリントンのパーラメント/ファンカデリックのお手本になったであろうことは明らかである。

Who Knows (Live At Fillmore East, 1970 / 50th Anniversary)

たとえこの「Who Knows」が物足りないという人でも、次に登場する『Band Of Gypsys』の力作「Machine Gun」には打ちのめされることだろう。「Machine Gun」はこの世のものとは思われないブルースとサイケデリアの曲であり、演奏時間は12分にも及ぶ。ここでは、アメリカのアフリカ系アメリカ人の住むゲットーとベトナムで起きている理不尽な出来事がテーマとなっている。

コックスとマイルスが奏でる不吉なリズムをバックにして、ヘンドリックスはエフェクターをフル稼働させた。これに深く感動したビル・グレアムは、この演奏を「私が今まで聴いた中で最も輝かしく、エモーショナルなエレクトリック・ギターの妙技」という言葉で表現していた。

Who Knows (Live At Fillmore East, 1970 / 50th Anniversary)

 

アルバムの評価

『Band Of Gypsys』がリリースされると、評論家はヘンドリックスが再びロックと彼自身のハードルを上げたという意見で一致した。「このアルバムは、ミュージシャンとしてのヘンドリックスそのものを体現している」と雑誌ローリング・ストーンの記者は激賞した。「ベースとドラムのサポートさえあれば、彼はギター演奏の力強さで人を魅了することができるのだ」。

このアルバムは、今もなお高く評価されている。たとえば前述のクラシック・ロック誌は、「どんなに言葉を尽くしたところで、ヘンドリックスの天啓のようなギターの妙技を正しく表現することはできない」と主張している。

結果的には、バンド・オブ・ジプシースというプロジェクトは、始まった途端に終わりを迎えてしまった。ヘンドリックスは1970年の早い時期にこのトリオを解散し、亡くなる前の最後の数カ月はビリー・コックスとミッチ・ミッチェルと共にエクスペリエンスを再結成していたのだ。

とはいえ、バンド・オブ・ジプシーズが出したアルバムの先見性あふれるサウンドは、今もなお鳴り響き続けている。シックのナイル・ロジャース、ラッパーのアイス・T、ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュなど、さまざまなアーティスト/グループが、色褪せることのない名盤として、このアルバムを挙げている。

また、この未来的なサウンドをざっと聴いただけでも、ヘンドリックスの伝記を書いたジョン・マクダーモットの次のような主張に納得できるはずだ。

「バンド・オブ・ジプシーズがロック、ファンク、R&B、ヒップホップにどれほどの影響を残したのか、正確に測ることはできないほどだ」

Written By Tim Peacock



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