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ジャネット・ジャクソン『janet.』:ジャム&ルイスとのケミストリーで生まれた全米1位作
1982年にA&Mレコードでソロのレコーディングを開始したとき、ジャネット・ジャクソンJanet Jackson)は16歳の純情な少女だった。彼女は全米トップ10でR&Bのヒット曲(1982年「Young Love」や1984年「Fast Girls」など)をいくつか記録したものの、1982年に発売した大ヒットLP『Thriller』のリリース後に、爆発的な人気となった8歳年上の兄、マイケル・ジャクソンの驚異的な成功と彼女が張り合えるようには当時誰も考えていなかった。
1985年の『Control』、1987年の『Janet Jackson’s Rhythm Nation 1814』、1993年の『janet.』で、3作連続全米ナンバーワン・アルバムの幕開けを引き起こすことになるとは誰も予想できなかったのだ。そんな成功の裏には二人組のプロデューサーの影響があった。
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ジャム&ルイスとの出会い
ミネアポリス出身のファンク・グループ、ザ・タイムの元メンバーであり、SOSバンドの「Just Be Good To Me」や、 フォースMDsの「Tender Love」、シェレールの「I Didn’t Mean To Turn You On」、アレクサンダー・オニールの「Innocent」といったアメリカの大ヒットR&B曲を手掛けてきた作曲と制作担当のデュオ、ジミー・“ジャム”・ハリスとテリー・ルイスと組んでから、当時19歳だったジャネットの周辺は一変した。
ジャム&ルイスがヒット曲を生み出す実績があったとはいえ、この音楽業界で保障されているものなど何もない。ましてや、それまでのアルバムに不満を抱いているジャネット・ジャクソンとなると、今回が最後のチャンスかのようにも思えた。ジャネットは2001年、著者に当時を振り返ってこう話してくれた。
「私のキャリアにおいて、岐路のような時期でした。もし良い結果につながらなかったら、ビジネスの法律でも学びに学校に戻るつもりでした。ですが、もう一度だけ音楽を試してみようと思ったのです」
とはいえ、ジャネットは新鮮な新しいアプローチを望んていた。
「過去にそうだったように、“ほら、歌いなさい” と出来上がった曲を手渡されるのではなく、違う形でやりたかった。私自身を表現したかった。ジミーとテリーはそれを認めてくれました。ジミーと一緒にミネアポリスの街をドライブしながら、私の人生やどういった体験をしてきたかを話したんです」
『Control』の大成功
これらの会話は、その状況にふさわしく『Control』と名付けられたアルバムで共作した曲のベースとなった。1986年1月にリリースされた『Control』は、全米アルバムチャートとR&Bアルバムの両チャートのトップとなり、「What Have You Done For Me Lately」を含む5曲が、アメリカのR&B部門のNo.1シングルとなった。その時点でジャネットは、まだ『Thriller』に続く作品をリリースしていなかったマイケルよりも話題となった。
ジャム&ルイスはジャネット・ジャクソンの本当の姿を引き出し、彼女の潜在能力を発揮させる手助けをしたのだ。「彼らは私の心を開かせてくれて、私自身を表現させてくれたんです」と彼女は言った。『Janet Jackson’s Rhythm Nation 1814』から生まれた驚異的な7つのヒット・シングル曲を含む新しい音楽は、大手レーベルの入札合戦に火をつけ、うわさでは4,000万ドルでヴァージン・レコードが勝ち取ったと言われていた。
4年間の空白期間を経て、ジャネットは1993年5月18日に再度音楽シーンに現れた。彼女の過去アルバム2作と同様に、信頼できるジャム&ルイスがプロデュースを担当。ジャネットが彼らに仕事を依頼するのはシンプルな理由だった。彼女はこう語る。
「彼らは私を成長させてくれる。私を開花させてくれるんです。それに彼らと一緒に働くのが大好きなんです。私たちの関係は本当に素晴らしくて、友人のようであり、兄弟のようでもある。とても親しいし、一緒に何かをするのが大好きなんです。そこにはエゴも何もありません」
確かに、『janet.』に記されたすべてのクレジットは、制作も作詞作曲も、ジャネットと2人のプロデューサーと均等に分けられていた。
『janet.』の収録内容
『janet.』のトラック・リストをざっと見たところ、通常のアルバムと比べて桁外れに多い28曲が収録されており、CDフォーマットの80分という収録時間を最大限活用した、壮大で豪華なショーを示しているかのようだ(実際には、正式な曲は12曲しかなく、残りは短めの間奏曲が収録されている)。
『janet.』に収録された音楽は、オールド・スクールでシャッフル・ビートなポップ・ソウルの「Whoops Now」から非常に精巧なニュー・ジャック・スイングの「You Want This」まで、それまでの2枚のアルバムよりもはるかに様々な要素を含んでいた。ギター主導の「What’ll I Do」はロックからスタイルのヒントを得た曲であり(R&Bスタイルのホーンも特色だが)、一方で、猛烈なダンス・グルーヴの「Funky Big Band」には昔のジャズ・サンプルがちりばめられている。
過去を称賛した曲もある一方で、ジャネットはドナ・サマーの「Love To Love You, Baby」をまねたエロティックなうめき声を入れたエレクトロなトランス・ダンス曲「Throb」で、未来にも目を向けている。当時の音楽界で優勢だったヒップ・ホップを「New Agenda」で表現し、ラップ・グループ、パブリック・エネミーのMC、チャック・Dがゲスト参加している。
アルバムの大部分はエネルギッシュなダンス・トラックが占めてはいるものの、ジャネットはちょっとした安らぎの瞬間も含めていた。特にアルバム終盤に収録した「Again」は、ジャネットがトゥパックと一緒に出演した映画『ポエティック・ジャスティス/愛するということ』に使われ、歌手ジャネットのより繊細な側面を見せるR&Bバラード曲である。
その一方で、「The Body That Loves You」はよりジャズ色の強い、より官能的な曲であり、さらに「Any Time, Any Place」はエロティックなグルーヴへと掘り下げたR&B色を帯びたスロー・ジャムでもある。
そして紛れもなく、『janet.』の最大の目玉は、同アルバムからのファースト・シングルで魅力的なグルーヴのバラード曲「That’s The Way Love Goes」だろう。この曲はグラミー賞のベストR&Bソング賞を受賞した。
わずかなジャズ風の曲調とつい口ずさんでしまうコーラスを備えた「That’s The Way Love Goes」は、1993年の夏、全米シングル・チャートで8週間1位を獲得、UKでも2位となっている。この曲の成功は、その年の6月にリリースされた『janet.』を推進する手助けとなり、アルバムは一気に全米R&Bとポップ・アルバムのチャートのトップへと駆け上がった。驚くべきアルバム・セールスとなった『janet.』は、全米アルバム・チャートに106週間も残ることになり、最終的にアメリカ・レコード協会より6xプラチナ(600万枚売上)と認定された。
『Control』が自己決定の主張、『Rhythm Nation 1814』が社会的不公正を批判した一枚だったのに対して、『janet.』は歌手ジャネットのセクシーな魅力を率直に解放した一枚だった。
厳格なエホバの証人として育てられたアメリカ初のエンターテイメント一家、ジャクソン・ファミリーで生まれたジャネット・ジャクソンの愛とセックスに対する率直な探求にはショックを受けた者もいただろう。しかし、『janet.』での表現は1997年発売の『The Velvet Rope』と比べると、まだおとなしいものだった。それでも、人として、そしてアーティストとして、『janet.』は、ジャネット・ジャクソンの進化において新たな1ページを開いたのである。
Written By Charles Waring
ジャネット・ジャクソン『janet.』
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ドキュメンタリー『ジャネット・ジャクソン 私の全て』
放送局:「CSヒストリーチャンネル」
放送日時:2022年6月12日20時から第1話が放送(全4話)