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解散後もチャートに何度も再浮上したジャム
最後のシングルとなった「Beat Surrender」をリリースし、1982年12月11日にバンド最後のライヴを行ったジャム。ではその後、彼らの名前がイギリスのシングル・チャートに再び浮上するのにどれぐらいの時間がかかったのか。答えは1ヶ月だ。
ポリドール・レコードは過去5年間で最大のイギリス出身のバンドのひとつを失うところだったが、ジャムのファンは大好きなバンドの思い出をとどめるためのネタには困らなかった。「Beat Surrender」は発売後すぐに首位の座を獲得、続いたライヴ盤『Dig The New Breed』は年明けと同時に2位となり、そしてこの3人組はそれぞれ別の道に進んだ。しかしレコード会社はもう一つ、取っておきの切り札を用意していた。
新年には、ジャムのイギリス盤シングル全16枚を再発し、チャートでも初めての現象がおきた。1983年1月22日、そのうちの9枚がトップ75に再びチャート・イン、中でも「News Of The World」は45位と最上位に登場した。また「Down In The Tube Station At Midnight」と「All Around The World」も再びトップ50に登場した。その一週間後には、1981年にドイツのみで発売されていた「That’s Entertainment」がイギリスのシングルとしては初のオフィシャル盤として第21位に再浮上。そして次の週、さらに3枚のシングルが75位内にチャート・インした。
4曲が全英ナンバー・ワンに、そして6曲以上がトップ10ヒットになっていたジャムの全盛期に比べると、この再発のシングル16枚は、そこまでの記録ではなかったが、再発にも関わらずチャートを圧倒したその記録は、いかにバンドが国民に愛された強力な存在だったかが分かる。そして1983年10月にはザ・ジャムはベスト盤『Snap!』で再び2位に返り咲いていた。決して機会を逸さないボール・ウェラーは、この頃にはすでにスタイル・カウンシルとして3枚のシングル・ヒット、そしてアルバム2位を獲得している。
Written by Paul Sexton
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