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ジャマイカ映画『ハーダー・ゼイ・カム』と『ロッカーズ』はいかにしてレゲエを大衆に広めたのか
レゲエは昔から一度としてメインストリームにいたことのない音楽だった。レゲエ・シーンきってのスターたちは、もっと広い世界から真っ当な認知を得ようと闘いを続けてきた。だがレゲエ・アーティストがチャート・ヒットを記録しても、大抵は一発屋扱いに終わり、次に出すレコードではまた無名のシンガーとして、イチから始めることを余儀なくされた。だが70年代になると、2本のジャマイカ映画が世界的な変化のきっかけを作ることになった。
そもそも問題だったのは、60年代や70年代のレゲエ・シンガーたちに関して、何ひとつ事前情報がなかったことだ。彼らの殆どはレコード会社との契約もきちんと交わしておらず、自主レーベルを運営する現地のプロデューサーたちを渡り歩き、レコードを作っては僅かばかりのギャラをもらっているだけだった。そのプロデューサーたちはアーティストのキャリアを伸ばすことにも、彼らのイメージを作り上げることにも一切興味はなかった。プロモーションのためにどれだけ時間や金を割いても、それは自分ではなく、次にそのシンガーのレコードを出す誰かの利益にしかならないことを彼らは心得ていたのである。
当時イギリスやヨーロッパ、アメリカでジャマイカン・レゲエのレコードを買っている人々にとってさえ、レゲエ界のスターたちは殆ど得体の知れない存在だった。何しろ顔も知らないのだから、たとえバスで隣に乗り合わせたとしても気づかずに終わっていただろう。彼らのギグは大抵アクセスの良い大きな会場ではなく、街の荒れた区域にあるハードコアなクラブで行なわれていた。ザ・メイタルズのレコードを10枚買っていても、彼らがどんなルックスをしているのかは知る由もなかった。レゲエは最高にエキゾティックな極上のダンス・ミュージックとして入ってきた。だがその裏で、別のショウビズ界で活躍する人々の様々なパーソナリティや、自分の意見やアイデンティティを備えた生身の人間の存在は謎のままだったのだ。
だが、70年代に公開された2本のジャマイカ映画が、目もくらむような極彩色に彩られた生のレゲエ体験をもたらしたことで、その状況は一変した。その映画ではキングストンのレコード業界の現実が描かれていた。世界で一番勢いのあった音楽シーンにおける希望、夢、笑い、そしてエネルギーが、突然一般大衆の目に触れることとなったのである。『ハーダー・ゼイ・カム』と『ロッカーズ』は当時の音楽ファンにとって必見の映画であり、生き生きとしてスリリングだったこの時代をそのまま映し出す証言だった。
『ハーダー・ゼイ・カム』はジャマイカ人監督が現地の人々をキャスティングして製作した初の長編映画である。監督はペリー・ヘンツェル、 脚本はトレヴァー・ローヌで、シンガーのジミー・クリフ(当時としては数少ない、海外でも名前を知られていた人気レゲエ・アーティスト)を主演に据えた本作は、突き詰めて言えば犯罪ものだが、内容的にはそれ以上のものがあった。典型的な不良少年から衝動殺人犯となった実在のジャマイカ人アウトロー、アイヴァンホー・ライジングがモデルとなっている、クリフ演じる田舎の少年アイヴァンは、ジャマイカの首都キングストンにやって来るが、物笑いの種にされ、ジャマイカの音楽業界でレコードを出す機会を得ながらもその希望を挫かれる。自暴自棄になった彼はガンジャ(マリワナ)売買に手を染め、パニック状態に陥って警官を撃ち、必然的に更なる転落を迎える。
ごく低予算で制作され、パトワ語で書かれた脚本による本編は、ハリウッド映画とは比べるべくもないが、とにかくエキサイティングでリアリティに満ちていた。映画にはザ・メイタルズの歌う「Sweet And Dandy」 と、クリフの歌うタイトル曲がフィーチュアされ、プリンス・バスターも顔を見せている。この映画を通してジャマイカ以外のレゲエ・ファンは初めて、その音楽を本来の環境において目にし、耳にしたのだった。そして、そのスターたちがごく普通の人々であることを発見したのである!『ハーダー・ゼイ・カム』は1972年に公開され、英国では成人映画指定を受けたために、当初のターゲットと目されていたオーディエンスの目に触れることを阻まれたが、子供たちというのはいつの時代も抜け道を見つけるものだ。英国でもアメリカでも話題を集めるまでにはしばらく時間がかかったが、リリース直後から傑作と言われ続けたサウンドトラック・アルバムの後押しもあり、 アートシアターでは何度となく上映される一篇となった。
英国では70年代初期には既に、少なくとも多少の人気を博していたレゲエだったが、アメリカでは認知度が上がるまでに更に長い時間を要していた。しかし幸いなことに、70年代2本目の映画が次世代のレゲエ・スターたちを世界にお披露目し、アメリカでのこの音楽のブレイクの呼び水となった。セオドロス・“テッド”バファルコ監督による『ロッカーズ』は、製作開始当初は70年代後期のレゲエ・シーンのドキュメンタリー になるはずで、タイトルのロッカーズとは当時最も幅を利かせていたレゲエのスタイルの呼称であり、ダブのレジェンドであるオーガスタス・パブロのレコード・レーベルと、彼の弟ガースのサウンド・システムから派生した名前だった。
しかしながら、ジャマイカの音楽業界においてありがちな展開通り、ひとつのアイディアから始まったものが次から次へと違う花を咲かせ、映画は戦後すぐに作られた有名なイタリア映画『自転車泥棒』の延長上にあるような物語へと形を変えて行き、正義のレゲエ・フォークがアップタウンのディスコの悪魔を凌駕し、貧しい者たちが栄光を手にするという内容に仕立て直されたのだった。
メイン・キャラクターのリロイ・“ホースマウス” ・ウォレスは、当時ジャマイカでは最も有名なドラマーで、トーキング・アーティストでありシンガーであり、メロディカ奏者でもあった。その豊かな個性を武器に、ホースマウスは盗まれた自分のバイクを探し回りながら、ジャマイカのゲットーから音楽業界へと案内し、その過程で我々をジェイコブ・“キラー”ミラー、グレゴリー・アイザックス、ビッグ・ユース、ウィンストン・ロドニー(ザ・バーニング・スピアー)とディリンジャーといった大勢のレゲエ・アイコンと引き合わせてくれた上に、キッダス・アイによる「Graduation In Zion」のレコーディング風景までも見せてくれるのだ(忘れてはいけないのは、この当時キッダス・アイは無名のカルト的存在にすぎなかったわけで、この映画がどれほどディープかが分かるというものだ)。プリンス・ハマー、セオ・ベックフォード他、レゲエ・プロデューサーもこの映画には多数出演している。
快活で、無理にそう見せようとしているわけではないのにヒップだが、洗練などとは無縁の『ロッカーズ』は、100分間のジャマイカ的愉楽である。1980年にアメリカで封切られたこの映画は、音楽シーンにおけるレゲエの地位を確立する手助けとなった。勿論、ザ・ヘプトーンズやジュニア・マーヴィン、ジ・インナー・サークル、 そしてバニー・ウェイラーによる映画のタイトル・トラックをフィーチュアした佳曲揃いのサントラ盤LPもよく売れた。
レゲエをテーマにしたジャマイカ映画が実は殆ど作られていなかったことを考えると、これらの僅か2作品がジャマイカ人離散以降に果たしたこの音楽の広報活動的役割はいささか驚くばかりだ。とは言え、少ないからと言って侮ってはいけない。滅多にない稀少な作品だかこそ、見逃す手はないのである。
By Reggie Mint