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ジョージ・ハリスン「Bangla Desh」バングラデシュの現状を伝えた一曲

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ジョージ・ハリスンは、意識を高めていくことをその生涯のテーマにしていた。40年以上も前、彼は南アジアの深刻な人権侵害の解決に向けた資金集めと、そのことをテーマにしたヒット作を生み出すことという尋常ではない組合せを、見事に実現してみせた。

Bangla Desh back

ジョージ・ハリスンが彼の持つ影響力を利用して東パキスタンの窮状を訴えてなかったとしたら、おそらく当時のほとんどのラジオ番組制作者やレコード購買者は現地のことについて知ることはなかっただろう。ジョージ・ハリスンは、友人であるラヴィ・シャンカールから、1970年に現地を見舞ったボーラ・サイクロンと内戦によって故国を捨てた何百万もの難民が飢餓にあえいでいるという人道危機を知らされ、深く心を揺さぶられていたのだ。

1971年7月の末、ジョージ・ハリスンはアップル・レーベルからシングル「Bangla Desh」(現在は国名表記は「Bangladesh」となっているが、当時はこの表記が使用されていた)をリリースした。世界の注目を集めることのできる‘元ザ・ビートルズ’という経歴を生かし、彼はこの人道危機の窮状を広く知らしめたのだ。そしてレコードの発売日にジョージ・ハリスンとラヴィ・シャンカールは記者会見を行い、数日後に大規模なコンサートを行うことを発表する。

1971年8月1日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで‘バングラ・デシュ・コンサート’2回公演が行われ、ジョージ・ハリスンをはじめ、リンゴ・スターエリック・クラプトン、ボブ・ディラン、ラヴィ・シャンカール、バッドフィンガー、その他多くのアーティスト達が出演した。飢餓に苦しむ難民を救うために合計4万人に上る観客がコンサートを訪れ、約25万ドルが集まったと言われている。現代なら150万ドル(約1.6億円)近くになる額だ。

George Harrison ticket stub

そしてシングルだ。ジョージ・ハリスンとフィル・スペクターが共同プロデュースし、レコーディングにはドラムのリンゴ・スターとジム・ケルトナーのほかビリー・プレストンやレオン・ラッセルなどジョージ・ハリスンの盟友達が参加した。当時いかに現地のことが知られていなかったかが如実にわかると思うが、Billboard誌による「Bengla Desh(ングラ・デシュ)」という綴り間違いによるタイトルでシングルはHOT100(全米シングル・チャート)の67位に初登場する。これは、ポール・マッカートニーの初期のソロ・ナンバーで、後に全米1位を記録することになる「Uncle Albert/Admiral Halsey(邦題:アンクル・アルバート~ハルセイ提督)」のわずかに2ランク下というポジションだった。

George-Harrison-Bangla-Desh

「Bangla Desh」はその後数週間好調にセールスをキープしたが、アメリカでは9月、ポール・マッカートニーのシングルが1位になったのと同じ週の23位がピークであった。イギリスでは10位であったことを考えるとやや寂しい気もする。ちなみに、ヨーロッパでも同曲はヒットし、各国のチャートでトップ10入りを果たしている。

Written by Paul Sexton



ジョージ・ハリスン / Living In The Material World【輸入盤】【アナログ】

ジョージ・ハリスン『Living In The Material World』

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