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イギリスのレゲエ・バンドとして初めて25万枚売れたスティール・パルスの『Handsworth Revolution』
70年代半ばにイギリスのレゲエ・ミュージックの何かが変わった。そもそもそれは才能レベルの問題ではなかった。ザ・ルーディーズ、ミュージック・ドクターズ、そしてシマロンズが60年からずっと最高のレゲエを提供し続けてきたが、殆ど注目されることはなかった。しかしボブ・マーリーがそれを変えた。レコード会社は、レゲエ・バンドの作品をロック・ファンに購入してもらえることに気付いたのだ。それもシングルだけではなくアルバムをだ。すぐにマトゥンビ、シマロンズ、そして少し遅れてアスワドなどのレゲエ・バンドにアルバム制作の予算が分け与えられた。そして最初はレゲエに興味がなくパンク・ファンに向けて活躍していたスティール・パルスは、彼等が憧れるパンク・ミュージシャンたちのように、スカやレゲエはジャンルの部外者たちによって作られていることに気付いた。そして、1978年にデビュー・アルバム『Handsworth Revolution』を発売し、ライヴ動員数は時にはポリスを超えるほどとなった。
スティール・パルスは先にシングルを数枚リリースし、ジャマイカン・ミュージックを専門的にUKで広めることを目的として設立されて自分たちを理解してくれそうなアイランド・レコードと契約を結ぶことを考えていた。アイランドはボブ・マーリーをスターにしたレーベルで、トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズにも同じ未来を約束し期待した。リー・ペリーが制作した作品もリリースしていた。しかし、ボブ・マーリーやリー・ペリーが作るようなアルバムを、イギリスのバンドにも作れるのか? もし可能なら、どうやって作るのか?
重要な戦略としてカール・ピターソンをプロデューサーに迎えた。カール・ピターソンは過去にもアイランドと仕事をしており、スティール・パルスは彼がボブ・マーリーの『Exodus』やバーニング・スピアーなどの作品をエンジニアとして手掛けてきたサウンドを気に入っていたのだ。色んな所で音楽活動を行ってきた彼等だが、アルバム『Handsworth Revolution』のジャケットには、バーミンガム地域のハンズワースをトロピカルな雰囲気に変えた描いた。カール・ピターソンとメンバーたちは会った瞬間から意気投合し、カール・ピターソンはメンバーのアイディアに耳を傾け、プロデューサーらしく作品を引き締め、磨き上げ、削り、剃り、そして火をつけた。彼等は共に素晴らしいアルバムを作ったのだ。
メンバーは多くの才能と可能性を披露した。70年代のイギリスのブラック・カルチャーは問題もアイディアも可能性も十分あったが、スティール・パルスにはその上ラスタファリズムによるスピリチャルな面も備わっていた。アルバムのオープニング・タイトル・トラックは歌にたどり着くまで時間をかけ、パーカッションがメインのイントロではボブ・マーリーの「Exodus」のような雰囲気を作り出している。比較的ゆっくりとしたメロディには、強い意欲とエネルギーが加わっている。ここで初めてシンガーのデヴィッド・ハインズの熱い印象的なヴォーカルをリスナーは経験する。スティングもそれを経験した一人のようだ。
「Bad Man」は犯罪と自由の必要性を比べている。「Soldiers」では実際に言葉では言わないが、ムソリーニのエチオピア侵略を取り上げており、銃での支配ではなく、平和なブラック・カルチャーを求めている。「Sound Check」では、ボブ・マーリーの「Trenchtown Rock」のようにレゲエを称賛している。
『Handsworth Revolution』の後半は2つのシングルから始まる。ラスタ帰還、もしくは自分のルーツを見つけて喜ぶ人についての「Prodigal Son」と、クー・クラックス・クランの格好をしてライヴで歌った「Ku Klux Klan」(それは勇敢な行動だったが、明らかに彼等はアメリカではなく自分たちの住む国のことを歌っていた)。ゴドウィン・ロギーとスティーヴ・リリーホワイトがプロデュースを手掛けた唯一のトラックでもあり、その違いは明らかである。その一方で「Prediction」はもっと深いルーツ・トラックとなっており、際立つスペイン・ギターにのせて聖書のメッセージが届けられる。そして、レゲエではお約束のマリファナへのオマージュ・ソング「Macka Splaff」が最終トラックとしてアルバムを締めくくる。
美しいハーモニーで飾られ、スティーヴ・ニスベットの指向性のある情熱的なドラムが特徴のアルバムでは、求められれば必要最小限にまで曲を削る才覚が彼等にあることを披露し、メロディ溢れる曲からパーカッションがメインの曲へと自由自在に交代していく『Handsworth Revolution』は大成功となった。発売当時25万枚が発売され、当時のイギリスのレゲエ・バンドにとっては初めてのことだった。
スティール・パルスはイギリスだけで活躍するレゲエ・バンドを目指していた訳ではない。愛するメッセージの込められた重要な音楽を世界に広めることを望んだ。未来は変化をもたらし、彼等は成功する。
Written By Reggie Mint
スティール・パルス『Handsworth Revolution』