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“天才”レイ・チャールズを偲んで:取って代わられることのないジーニアス
今日、私たちは取って代わられることのない天才という表現にふさわしい音楽の巨人を追悼する。レイ・ チャールズ(Ray Charles)は1930年9月23日、ジョージア州、オールバニでこの世に生を受けた。
5歳の時に部分的に盲目となり、7歳の時には全盲となる。それにもかかわらず、レイ・チャールズはどの20世紀のピアニスト兼歌手よりもより明確に音楽を見ていた。実際に、彼は55年間というレコーディング経歴の中で、深く魂のこもったゴスペルの影響が色濃いピアノを弾き、歌いながら現代のR&Bの発展を手伝った。
2004年の伝記映画『Ray/レイ』による大成功は、現代音楽における彼の影響と名声を示すひとつの手掛かりにすぎない。レイ・チャールズを演じたジェイミー・フォックスはオスカーで主演男優賞を受賞、その翌年、レイ・チャールズの「I Got A Woman」をサンプリングしたカニエ・ウェストの大ヒット曲「Gold Digger」にゲスト出演し、全米シングル・チャート10週間1位となった。
レイ・チャールズ自身による最初のチャート・インは第二次世界大戦後から4年経った時だった。彼がマキシン・トリオ(別名: マクソン・トリオ)として活躍していた時だった。彼らの「Confession Blues」は1949年、R&Bのヒット曲となり、彼自身の名義としてはスイング・タイム・レコードからリリースした「Baby Let Me Hold Your Hand」が1951年に初のチャート・インを果たしている。カニエ・ウェストのシングルに使用されヒップホップの時代に登場した日から50年前の1955年、「I’ve Got A Woman」はレイ・チャールズのR&B初1位の曲となっていた。
その後、クインシー・ジョーンズの「I’ll Be Good To You」でチャカ・カーンとデュエットした1989年までの34年に渡り、「Drown In My Own Tears」「What’d I Say(邦題: 何と言ったら)」「Hit The Road Jack(邦題: 旅立てジャック!)」「I Can’t Stop Loving You(邦題: 愛さずにはいられない)」など無敵の作品が10曲ほど続いた。
1963年、初のイギリス・ツアーを目前に、レイ・チャールズは彼につけられた”天才 / Genius”というニックネームに対して、こう反応した。
「天才だって言われることに、全く後ろめたく感じてないよ。だが、責任感は感じるね。僕はやりたい事があるならば、誰でも成し遂げることが可能なんだという事実の一例にすぎないから」
「僕の歌は “感情的” だとか “感情に満ちている” と言わるけど、僕にとっての歌とはそういうものだ。レコーディングする前に曲の感じを掴もうとして、感情を込めると、僕は突き動かされるんだ。何も感じられない曲だったら、忘れ去って、レコーディングもしないよ」
Written by Paul Sexton
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レイ・チャールズ『Genius Loves Company』 (10th Anniversary Edition)
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