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環境問題とミュージシャン:彼らは地球の危機をどう捉え、どんな行動をとってきたのか
環境問題についての懸念が高まるにつれ、環境をテーマにした楽曲が注目を集めるようになった。それは多くの場合、環境保護に積極的なミュージシャンの活動と結びついている。ポピュラー・ミュージックは反戦運動を受け入れるのもかなり早かったが、環境保護運動を受け入れたスピードはそれを上回っていたと言えるかもしれない。
それどころか、最も古い環境保護ソングである「What Have They Done To The Rain(雨を汚したのは誰)」はベトナム戦争をテーマにした曲よりも早い時期にヒット・チャートに登場している。
「What Have They Done To The Rain」はフォーク・シンガーのマルビナ・レイノルズが1962年に作った曲で、その2年後にサーチャーズのカヴァーがヒットし、チャートのトップ40に到達。その前にはジョーン・バエズも吹き込み、マリアンヌ・フェイスフルも1965年のデビュー・アルバムでこの曲をカヴァーしている。
「What Have They Done To The Rain」は最初の「反核」ソングであり、原水爆が撒き散らす放射性物質とその悪影響をテーマとした沈鬱な曲だった。その内容から見れば、これは1964年後半のチャートに入るような曲ではなかった。何しろ当時はビートルズ・ブームの最初の波がまだ続いている時期であり、フォーク・ロックすら存在していなかったのだから(バーズが登場し、ボブ・ディランがエレクトリックに転向するのはまだ1年先のことだった)。
とはいえ、このサーチャーズによるレコードはとても愛らしくて心に残るもので、チャートでも高い順位に到達することになった。さらに言えば、この年にリバプール出身のバンドが出した曲はどんなものであろうとマージービート・ブームという追い風に乗っていたこともあり、リヴァプール出身のサーチャーズもその恩恵にあずかったといえる。
この曲の歌詞には、時事問題に即した「汚染 / pollution」のような言葉は含まれていなかった。しかしそういう言葉を読み込んだ歌は、偉大な風刺家であるトム・レーラーの手で1965年に生まれることになる。レーラーはタブーを破ることをモットーとしており、彼の画期的なアルバム『That Was The Year That Was』に収録された「Pollution」という曲は、アメリカを訪れる人へのアドバイスをカリプソ調の楽曲にのせて「あの国では水を飲むな、空気を吸うな」と歌っていた。
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最初のアースデイと70年代
1969年、サンタバーバラ海峡で起きた石油流出事故によって、環境問題に関する関心は飛躍的に高まった。この事故は大規模な環境汚染を引き起こし、1万を越える海洋生物が犠牲になった。それをきっかけとして大学を中心に環境保護運動が盛んになり、1970年に第1回アースデイが開催。こうした活動が社会のメインストリームでも脚光を浴びるようになった。
このころになると、何百万人ものアメリカ人が環境問題に関心を持つようになっていた。注目に値することだが、当時のアメリカ政府は今よりも環境問題に熱心だった。ニクソン大統領はアメリカで初となる環境政策法を制定し、そのシンボルとしてホワイトハウスの芝生に木を植えた。やがてウォーターゲート事件とベトナム戦争によって、彼は破滅に追い込まれて、そして企業からの圧力によって、彼の環境政策の一部は骨抜きになってしまった。とはいえニクソンは、環境保護を政策に取り入れることに前向きだったことは事実だ。
そうした状況を反映した結果、この時代の環境ソングには切迫感があった。つまり、「今、行動すれば環境破壊を回避できるかもしれない」という感覚である。マーヴィン・ゲイの「Mercy Mercy Me (The Ecology)」は、おそらくこの時代で最も力強い環境ソングだろう。
この曲は、彼の名盤『What’s Going On』に収録されている重要な作品のひとつである。ここには嘆きと祈りが込められている。その根底にあるのは、物事を正しい方向に戻すための時間はもうあまり残されていないという感覚だ。
ジョニ・ミッチェルの最初のヒット・シングル「Big Yellow Taxi」は、もう少しユーモラスな内容だった。とはいえ「木が博物館に置かれるかもしれない」という警告は、1970年当時、それほど突飛なものには感じられなかった(実のところ、今でもそうした状況は変わらない)。
このころ政治的な姿勢をはっきりと打ち出していたシカゴは、『Chicago III』の収録曲「Mother」で母なる地球の運命を歌った。その歌詞の一節「我々の母はレイプされ、不名誉な死に方をさせられた」には、激しい怒りがこめられていた。
当時のコミックやテレビ・アニメでお馴染みの“架空バンド”であったアーチーズのアルバムにも「Mr Factory」という曲があり、それに合わせて作られたアニメではガスマスクをつけた子供たちや川から飛び出る魚と言った驚くほど強烈なイメージが描かれている(そのアニメは、土曜朝の子供向けの時間帯に放送された)。
環境問題を取り上げた歌
このころになると、さらにたくさんのアーティストたちがが環境問題を取り上げるするようになっていた。キンクスの「Apeman」では、レイ・デイヴィスが訛りの強い口調で「大気汚染で目が曇った」と訴えていた(少なくとも公式に発表された歌詞では「曇った」と書かれていたが、デイヴィスのことだから実際はもっときわどい言葉で歌っていたのかもしれない)。
またファンク・グループのタワー・オブ・パワーも「Only So Much Oil In The Ground」でこの問題を取り上げ、「sooner or later, there won’t be none around / 遅かれ早かれ、人間は誰もいなくなる」と歌っている。
スピリットのサイケデリックな名曲「Nature’s Way」は、第1回アースデイの時期に作られた曲だ。そのときこのバンドはサンフランシスコでライヴに出演していたが、滞在していたホテルに向けてスモッグが押し寄せるのを目撃したのだ。
シンガー兼ギタリストのランディ・カリフォルニアは、この曲を警告として作ったが、それと同時にサンフランシスコの人間に対する反論の意味も持たせていた。自分たちの裏庭も掃除することなく、スピリットの出身地であるロサンゼルスを馬鹿にするのはどうかしている……というわけだ。
環境問題に関して特に意識の高いバンドのひとつは、海辺でかなりの時間を過ごした人たちだった。つまりビーチ・ボーイズである。彼らはビーチを綺麗にしたいと願い、長年にわたっていくつかのチャリティー活動を行ってきた。
特にアル・ジャーディンは、1972年の『Surf’s Up』を環境保護をテーマとしたコンセプト・アルバムにしようと考えていた。結局このアルバムはそこまでの内容にはならなかったが、マイク・ラヴとジャーディンの共作曲「Don’t Go Near the Water」やブライアン・ウィルソンの「A Day In The Life Of A Tree」は、どちらも環境保護の意識が強く出た歌詞になっている。
1992年の時点でも、ビーチ・ボーイズはアルバム『Summer In Paradise』のタイトル曲を使って環境保護を訴えていた。ビーチ・ボーイズは最近になっても元気にライヴ活動を続けているが、往年の名曲以外で演奏されるのは唯一この曲だけである。そのことが多くを物語っている。
意識の高まり
1970年は、もうひとつの意味で画期的な年だった。この年、グリーンピースが設立されたのだ。この環境保護団体は、アラスカのアムチトカ島で予定されていた核実験を妨害するために、ふたりの抗議者たちが出航したことで誕生した。この航海の資金は、ジョニ・ミッチェルとフィル・オクスがバンクーバーで開催したベネフィット・コンサートで調達された。
このコンサートは、ジョニとオクスというふたりの伝説的なアーティストがジョーン・バエズ(結局コンサートには参加できなかった)とサプライズ・ゲストのジェームス・テイラーとコラボレーションを披露した唯一の機会となった。グリーンピースは、進水した船の名前にもなった。この最初の航海は成功しなかった(グリーンピースの船は沿岸警備隊に引き戻されてしまい、核実験はそのまま続行された)。しかしこれに伴って抗議の声が高まった結果、まもなく実験施設は閉鎖された。そして、ひとつのムーブメントが生まれたのである。
アースデイの活動は、関連する問題への意識の高まりと連動していた。そうした関連問題のひとつが絶滅の危機に瀕していたクジラの保護だ。ミュージシャンたちはその活動にも積極的に参加している。その代表格がジュディ・コリンズだった。
1970年に発売されたジュディのアルバム『Whales & Nightingales』ではクジラ漁師の伝統的な歌である「Farewell To Tarwathie」が取り上げられているが、その伴奏では通常の楽器は一切使われておらず、ザトウクジラの悲しげな歌声だけがバックに鳴り響いていた。このザトウクジラの声は、同じ年に驚きのベストセラーとなったアルバム『Songs Of The Humpback Whale』に収録されていた音声だった。同じ音源は、後のパンク時代にも何度かサンプリングされている。
根っからの慈善活動家であるデヴィッド・クロスビーとグレアム・ナッシュは、最高に感動的なクジラの保護のプロテスト・ソング「To The Last Whale…」を作った。とはいえ、マウンテンがレコーディングしたハードロックの名曲「Nantucket Sleighride」も評価されるべきである。これは、銛を撃ち込まれたクジラが船を海の中へ引きずり込んでいたという伝説にちなんだ曲だった。
パンクとヒッピーの共通点
1970年代後半にはミュージシャンのあいだでクジラの保護活動が盛んになった。たとえばグレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアは、1977年にサンフランシスコで行われたグリーンピースのためのチャリティー・ライヴで2万ドルを集めている。最近はクジラの保護を訴える歌はあまり作られていないが、それでもミュージシャンたちは関心を失っておらず、2019年には、ブライアン・アダムスがカリブ海のリゾート島の沖合で自ら海に出て、クジラを狙うハンターの邪魔をしたことが話題になった。
年を追うごとに音楽ジャンルの細分化が進んでいく中で、環境保護はパンクとヒッピーの数少ない共通点のひとつとなっていった。グレアム・ナッシュの「Barrel Of Pain」とデッド・ケネディーズの「Cesspools In Eden」は音楽的にはあまり類似点はないかもしれないが、この2曲は同じことをテーマとしている。
グリーンピースが1980年代半ばに発表した2枚のコンピレーション・アルバムのトラック・リストは、さながら当時の社会意識の高いスーパースターの紳士録のようだった。その中には、ピーター・ガブリエル、U2、クイーン、ジョージ・ハリスン、R.E.M.、ミッドナイト・オイルなどが名前を連ねていた。
その中でもふたつのバンドは、さらに先を行くことになった。R.E.M.は、大ヒットしたアルバムに『Green』というタイトルをつけており、これにはいくつかの意味が含まれていたが、環境保護の意味も重ねられていた。
またミッドナイト・オイルは、地球環境をテーマとした痛烈なプロテスト・ソングをたくさん作っている。彼らのベスト・アルバム『Red Sails in the Sunset』は、大部分がそのような曲で占められていた。このアルバムのリリースから数年後、ミッドナイト・オイルはニューヨークにあるエネルギー企業エクソン本社の外でゲリラ・コンサートを行い、エクソン・バルデックスの原油流出事故とそれに対する同社のおざなりな対応に抗議している。
このコンサートはジョン・レノンの「Instant Karma」の1回限りのカヴァーで締めくくられ、それに合わせて「ミッドナイト・オイルは人を踊らせる。エクソンは人を病気にする」と書かれた横断幕も掲げられた。数年前にミッドナイト・オイルが現役復帰したとき、エクソン社の一部の人はさぞかし震え上がったことだろう。
様々な対策
曲を作ることは意識の表れのひとつと言える。とはいえ1980年代は、アイデアを行動に移すという活動の全盛期だった。派手なベネフィット・ショーだけでなく、草の根の小さな活動が積み重ねられていったのだ。CDが流通し始めたころ、LPサイズの陳列棚に合わせて縦長の箱に封入されていたのを皆さんはご記憶だろうか? あの箱は、購入後にすぐに捨てられていた。こうした資源の無駄となるパッケージは、すぐに廃れることになった。プリンス、スティング、R.E.M.などの大物アーティストが契約先のレコード会社に圧力をかけて、パッケージの形態を変えさせたのだ。
インディーズ・レーベルのライコディスクが最初にこのボックスを完全に廃止し、ほかの重要なインディーズ・レーベル(ラウンダー、ライノ、SSTなど)もそれに追随。やがて子供向けの大人気アーティストだったラフィがMCAと再契約する際にロングボックス禁止条項”no-longbox clause”を契約書に盛り込んだことでドミノ効果が生まれ、数え切れないほど多くの木が救われることになった。
また環境問題に関心のあるアーティストたちは、独自の環境保護活動も行っている。バーモント州出身のフィッシュは、ツアーを環境に配慮したものにするため、ありとあらゆる対策をとっている。たとえば公演先の地元の農場から食材を調達したり、Tシャツにリサイクル・コットンを使用したりといった具合だ。
ウィリー・ネルソンは、バイオ・ディーゼル燃料の自社ブランドを立ち上げることまでやっている(燃料に「バイオウィリー」などと命名されたら、誰だってその燃料を使わずにはいられないだろう)。彼は、今もライヴ・エイドの主要な支援者のひとりだ。
コールドプレイとデイブ・マシューズは、自分たちのツアーがカーボン・ニュートラルであると主張している。またU2は、現在でもグリーンピースの非常に熱心なサポーターだ。1992年には、メンバー全員が放射能防護服を着て凍てつくアイルランド海に入り、原子力発電所の開設に抗議した。これは、その20年前のグリーンピース設立時の抗議活動を彷彿とさせるものだった。
ヘヴィ・メタル・シーンからの環境保全の声
ヘヴィ・メタルは、環境保護を訴えるプロテストとしては最適の音楽ジャンルだった。なぜなら、ほとんどのメタル・バンドがこの世の終わりを憂える終末論的なビジョンと馴染み深かったからだ。
環境保護メタルの名曲の中には、オゾン層の破壊について触れた最初期の曲のひとつであるブラック・サバスの「Hole In The Sky」、怒りに満ちたメタリカの「Blackened」、フランスのデスメタル・バンド、ゴジラのほぼすべての曲がそれにあたる。
スコットランドのバンド、ゴッドイーターは、環境問題をメタルに取り入れるという点においては新たな代表格と言える。その理由は、バンド・メンバー4人全員が徹底的な菜食主義者だという点にある。
このような展開が進んでいた一方で、意外なことに気候変動をテーマにした世界規模の慈善コンサートは2007年になるまで開催されなかった。とはいえ、その年のライヴ・アースは、不完全ながらも画期的なものだった。それなりに豪華な顔ぶれが揃い、集まった観客の数も多く、少なくともその週末には地球温暖化について誰もが考えるようになった。とはいえ、ジェネシスやポリス、マドンナなどが出演したあと、実際にどれだけの変化があったのかと問われる場合、その疑問に対する答えはなかなか出てこない。
フェスティバルのエコ化
何人かの皮肉屋たち(その中には、”ライヴ・エイド”の仕掛人であるボブ・ゲルドフも含まれていた)は、「”ライヴ・アース”はあまりにも効果が少なく、あまりにも時期が遅すぎた」と発言している。とはいえ、ライヴ・アースが成し遂げたことのひとつは、挑戦ではあった。
あれ以降、メジャーな音楽フェスティバルは、環境問題に取り組まざるを得なくなった。とはいえボナルー・フェスの主催者たちには何も言う必要はなかった。なにしろこのフェスは、ヒッピー、フレンドリー、ジャム・バンドのムーブメントにルーツを持っていたのだ。
ボナルーは音楽的にはさまざまなジャンルに手を広げているが、大規模なフェスの中では最も環境に優しいフェスだと言える。というのもボナルーは、太陽光発電を導入したり、地元の井戸から水を調達したり、小さな都市ほどの規模で発生するフェスのゴミをリサイクルしたりといった取り組みを最初に行ったフェスのひとつであるからだ。
今ではほかのフェスも追随して、同じような努力を行っている。最近では、コーチェラがリサイクル商品や再利用可能な水筒の販売を開始すると発表した。週末に25万人もの人々がさまざまな飲み物を飲むことを考えると、これでかなりの量のプラスチックが節約できる計算になる。
今も続く果敢なる戦い
社会的な活動に積極的に取り組んできた1960年代のロック・ミュージシャンの多くは、今でも果敢なる戦いを見せている。ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアは、2019年、所有するギターを何本もオークションにかけ、収益金2100万ドルをヨーロッパ最大の環境法チャリティー団体クライアント・アースに寄付したことで話題になった。
そのオークションに出されたギターの中には、ピンク・フロイドの名作アルバムの全てで使われていた1969年製の黒いストラトキャスターも含まれていた。ギルモアとロジャー・ウォーターズが一緒に作った最後のフロイドのアルバム『The Final Cut』が「Two Suns In The Sunset」で終わっているのは偶然ではないだろう。
ニール・ヤングも独力で環境保護運動を続けているひとりだ。その始まりは、1990年のアルバム『Ragged Glory』に収録されている沈痛な曲「Mother Earth」だった(この曲を除けば『Ragged Glory』は全体的に陽気な仕上がりだった)。それ以来、彼は環境保護をテーマとした楽曲をたくさん作っている。
その例としては、コンセプト・アルバム『Greendale』(ヒロインは気候変動に抗議する10代の少女)や、2019年のアルバム『Colorado』に収録されている「Green Is Blue」などが挙げられる。とはいえ、そうした面で彼の最強の作品となったのは2015年のアルバム『The Monsanto Years』である。彼は過去数十年にわたってファーム・エイドに関わってきた。その活動の中で貯め込んだ怒りが、このアルバムですべて放出されている。
このアルバム『The Monsanto Years』は、アメリカの農家に破壊的な影響を与えている特定の企業、つまりモンサント(アメリカの多国籍のバイオ化学で遺伝子組み換え作物や発がん性が指摘される成分を含む除草剤を販売したことで批判されている)を激しく非難している。
当然のことながら、このアルバムに対して反撃する企業も現れた。一番激しく反応したのはモンサントだったが、アルバム中の1曲で批判されていたスターバックスも不満の意を表した。しかしヤングは自分を貫き、続いて2枚組ライヴ・アルバム『Earth』リリースしている。これは史上稀に見る風変わりなライヴ・アルバムで、曲間や演奏中に観客の歓声の代わりに動物の鳴き声や自然の音が聞こえてくる。
現代の環境保護の旗手たち
とはいえ、環境保護運動はニール・ヤングの世代だけのものではない。現代のアーティストたちは、環境に配慮したコンサート・ツアーを行おうと努力し、切磋琢磨している。その中でもテーム・インパラとThe 1975は、そうした試みの新たな基準を作り出そうとしている。
テーム・インパラは、未使用のケータリング・フードやホテルのアメニティ・グッズをツアー先のホームレス支援施設に寄付したり、再利用可能な水筒を使用したりするといった個人的な取り組みを行っている。さらには、温室効果を和らげるための二酸化炭素削減推進団体に収益を寄付することもしている。
一方The 1975は、ツアー全体の二酸化炭素排出量を削減するため、燃料は欧州産のものを調達している (同時に、太陽光発電も使用)。また、チケットを1枚販売するごとに世界のどこかに1本の木を植えている。さらに2019年の楽曲「The 1975」では、環境活動家のグレタ・トゥーンベリとコラボレーションし、この若き活動家が環境保護を訴える音声を曲中に取り入れている。
曲に本人の声が登場するかどうかはともかく、グレタ・トゥーンベリがこれからもたくさんの曲に影響を与えることは間違いない。恐れを知らない10代の女性である彼女は、世界を変えることができる人物のように思える。そして、ヒッピーやパンクスが夢見ていたことの多くを象徴する存在でもある。
やはり恐れを知らないティーンエイジャーであるビリー・アイリッシュは、グレタ・トゥーンベリの気候変動ストライキを支持し、インタビューで「彼女は道を切り開いている」、あるいは「鈍感な人間の尻にケリを入れている」といった言葉で賞賛している。ビリー・アイリッシュの「All Good Girls Go To Hell」のビデオは、明らかにグレタの影響を受けた作品だ。これを見れば、気候変動に関するはっきりとした主張をシュールで芸術的な方法で表現できることがわかるだろう。これは、今後のアーティストの取り組みがどうなるのかという点について、ひとつの有望な可能性を見せている。
Written By Brett Milano
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