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ダイアナ・ロス「Upside Down」解説:シックによって変身した歌姫のヒット曲
1980年、ダイアナ・ロス(Diana Roaa)は“シック”に変貌したと言う以外にない。「Upside Down」は、同年9月6日に米ビルボードのヒット・チャートの首位に達し、以降、4週にわたってそのポジションをキープ。彼女にとって最も長いチャートインの記録を残した。
それはダイアナがアメリカのトップ10から全く姿を消してしまって以来、実に4年ぶりのことだった。1976年に「Love Hangover」が2週連続1位という大成功を収めたが、その後の19位に入った「The Boss」以降は、連続で6曲がなんとかBillboard Hot 100チャート入りという状態だった。また、UKでは「Love Hangover」が10位を記録したがそれ以降はトップ20位以内に入っていない。彼女は新しい方向性を模索する時期に来ていたのだ。
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シックによるプロデュース
ナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズは、自分たちのグループであるシックで生み出した見事に独創的で刺激的なソウル・ダンス・サウンドによって、当時アメリカで最も注目を集めていたプロデューサーだった。ダイアナの子供達がこのグループのことをしきりに話題にし、サンタモニカでの彼らの公演を観に連れて行ってほしいと母親に頼み込んだのがそもそもの始まりで、その後に彼ら2名は、ニューヨークでの新生活を反映できるフレッシュなサウンドを探していたダイアナに招かれたのである。
後に大きく報じられた通り、ダイアナと彼らのスタジオでのやりとりは決して大成功とは言えなかった。ダイアナは彼らのセッションの出来栄えが気に入らず、リミックスについて彼らに細かい口出しをした。彼らはわずかな変更を加え、まだ気に入らなければ自分でリミックスすればいいと提案すると、ダイアナはそれを実行したのだ。モータウンのプロデューサーであるラス・テラーナと一緒にアルバム全体を作り直し、ファンクの要素を減らして彼女の声がより際立つようにした。
ロジャースとエドワーズは当初、この行為に激怒し、自分達のクレジットを削除することを検討した。しかし、サウンド面で妥協はしたものの、シングルの「Upside Down」やダイアナのアルバム全体から鳴り響くのは紛うことなきシックのサウンドだった。結果は見事なもので、アルバムはアメリカのチャートでリリース後1年かけてプラチナ・セールスの2位を記録することになった。
ダイアナはその後間もなくしてモータウンを離れてRCAに移籍するが、彼女は自身のキャリアのランドマークとなるようなレコードを残していったのだ。事実、「Upside Down」は2018年に新たにリミックスされ、「I’m Coming Out」とのカップリングでリリース。ビルボードのダンス・チャートでトップに立ってその衰えることのない魅力を再び証明している。
Written By Paul Sexton
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