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1968年10月、クリームのフェアウェル・ツアーがスタート
1968年10月、クリームは全米ツアーのステージに立った。当時バンドのメンバー3人はほろ苦い感情を抱いていたはずだ。クリームの活動期間はきわめて短かったが、この全米ツアーを始めた段階では人気が最高潮に達していたが、バンドの解散がすぐ間近に迫っていた。
1968年7月に発売された3rdアルバム『Wheels of Fire(邦題:クリームの素晴らしき世界)』は、当時4週連続で全米チャート1位を獲得。またイギリスではLP2枚組ヴァージョンが最高3位、LP1枚組ヴァージョンが最高7位に達している。しかし同年9月、ジンジャー・ベイカー、ジャック・ブルース、エリック・クラプトンの3人はバンドの解散を公式に認めた。そしてクリーム最後のコンサートは、最後の全米ツアーのあと、11月末に行われるロイヤル・アルバート・ホール公演と決まった。
クリームが全米ツアーをやるのは、そのツアーでまだ2度目だった。ツアーは10月4日にカリフォルニア州オークランドで幕を開け、翌日にはニューメキシコ、さらにはシカゴ市民会館での2夜連続公演と続いた。その後も全米各地をまわり、31日にはフィルモア・イーストに出演。そして11月4日のプロヴィデンスのロード・アイランド公会堂公演で締めくくられた。
このツアーは、クリームの代表曲のショーケースだった。たとえば「White Room」や「Sunshine Of Your Love」といった有名曲が取り上げられ、定番となっていたブルースのカヴァーの「Cross Road Blues」や「Spoonful」も演奏されていた。このツアーを体験できなかった人のために、1969年初頭に出たラスト・アルバム『Goodbye(邦題:グッバイ・クリーム)』には全米ツアーのロサンゼルス・フォーラム公演のライヴ音源を冒頭に3曲収録していた(「I’m So Glad」、「Politician(邦題:政治家)」、「Sitting On Top Of The World」)。
エリック・クラプトンは、2012年の雑誌アンカットのインタビューでこのフェアウェル・ツアー当時の心境を明かしている。「イギリスにいるマネージャーのロバート・スティグウッドに国際電話をかけては、こう訴えていたよ。『助けてくれ 、あいつら正気じゃない。何がどうなっているのかわからないし、もうたくさんだ』とね。そのたびにロバートは『あと1週間がんばれ』と言ってきた。他に選択肢がないのなら、そうやって耐えるしかない。でも別の道が開けてきたから、俺としてはもうこれでおしまいだった」
Written by Paul Sexton
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クリーム『Goodbye』