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夫ブルース・スダノが語るドナ・サマー「私の知る限り、誰よりもすばらしい人物」

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Bruce Sudano and Donna Summer. Photo: Michael Ochs Archives/Getty Images

ブルース・スダノは、妻であるドナ・サマー(Donna Summer)の人生に迫る新作ドキュメンタリー『Love To Love You, Donna Summer』の制作過程を表現するのにこの2つの形容詞を使用している。

「時にはつらいが、最終的にはすばらしい」

HBO Maxで公開されたこのドキュメンタリーはブルースの亡き妻ドナ・サマーを取り上げた作品で、ブルース自身もその制作過程に関わっていた。この映画の共同監督を務めたのは、2人の娘ブルックリン・スダノである。ブルースにとって、ブルックリンは自慢の娘だ。

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Bad Girls

 

共同制作者だった夫

「こういった類のプロジェクトを引き受けるのはいつだって大変だし、時にはつらいことだってある。けれども最終的に得られる満足感は本当にすばらしいものなんだ」

そんな風に語るブルース・スダノは、シンガー・ソングライターとしてドナやブルックリン・ドリームズの仲間たちとともに数々の大ヒット曲を作り上げた。そうした例の一つとしては、ドナのキャリアで最大のヒット・アルバムとなった1979年の『Bad Girls』のタイトル・トラックと「On My Honor」があげられる。前者はシングル・カットされ、その売り上げは200万枚を数えた。

「今回の映画に携わってくれた人たち、深い関心を持ってくれた人たち、そして娘のブルックリンが抱いていたビジョンを受け入れてくれた人たちすべてに私は心から感謝したい。ロジャー [・ロス・ウィリアムズ、共同監督] とブルックリンは、共通のビジョンを抱いていたんだ」

On My Honor

 

ドキュメンタリーの制作

「私たちはウィキペディアのようなドキュメンタリーは作りたくなかった」とブルースは語る。この映画は、いわゆる“ディスコの歌姫”というイメージにとどまらない大きな存在であった女性の人生と時代を語るため、非常にプライベートなアプローチで作られている。そしてブルースは制作をこう振り返っている。

「(娘の)ブルックリンの気持ちとしては、”この手のドキュメンタリーを作れる人はたくさんいるけれど、ここまで詳しい物語を語れるのは私たちだけ”という感じだった。だから、何らかの理由で不満を抱く人もいるはずだ。すべての人を満足させることはできないけど、こちらにできることはひとつしかない。できる限りベストを尽くして、自分が持っているものを使用して、最善の形でストーリーを伝える ―― それだけだ。そしてまさにそのままの仕事をやり遂げたのだから、ブルックリンのことは誇らしく思うよ。明らかにブルックリンは、私にいろいろなものをぶつけてきた。とはいえ、あの子は最初から最後まで全力投球だった。すばらしかったよ」

このドキュメンタリーは、既に高い評価を獲得している。ドナ・サマーはディスコやポップ・ミュージックのトップスターとして広く愛されてはいるが、十分に理解されているわけではない。そういう人物をプライベートな面から独創的な形で描き出した点が好評を得ているのである。この映画は、ドナの幅広い創造性、ユーモア、そして傷つきやすい繊細さを映し出している。ブルースは映画に寄せられた反応に喜びを隠せない。

「試写会に何度か足を運んだよ。後ろの方の席に座って、観客が最初から最後までのめり込んでいるのを見て [最高の気分だった] 。ファンの中には明らかにありとあらゆるエピソードを知っている人がいて、”どうしてあの話を出さなかったんだ”なんていう風に不満を漏らす人もいる。けれどもエージェンシーやマネージメントで働くアシスタントの中には、”ドナを尊敬する気持ちが新たに湧いてきた。ああいう人とは全然知らなかった”っていう反応をする人をもいる」

On My Honor

 

夫が語るドナ・サマー

ブルース・スダノは次のように語る。

「ドナは本当にすばらしい人間だった。私が知る限り、本当に多くの面でとてつもなくすばらしい人物だった。そして私は、特別な瞬間を分かち合うことができた。ドナは歌や自分のアート、レコーディング・アーティストであることの難しさについて話してくれて……。そういう時は、ドナの心の中やドナならではの物事の解釈を感じることができた。それは多くの人々に長きにわたって影響を与える貴重な瞬間だったと思う」

生まれついてのニューヨーカーであるブルースは、ドナと出会った日のことをはっきり覚えている。

「映画の中では話していないけれど、正確な日付まで覚えている。あれは1977年3月13日のことだった。私は、ブルックリン・ドリームスを一緒にやっていたパートナーたち、つまりジョー・’ビーン’・エスポジトとエディー・ホッケンソンと一緒だった。私たちは、ベネディクト・キャニオンにあるドナのマネージャーのアパートにいた。そのマネージャー、スーザン・ムナオの出身地はやはりブルックリンで、[私が育ったのと]同じ地域だった」

「ドナはその日、自動車の運転の練習をしようとしていた。レコード会社が買ってくれた2人乗りのメルセデス・コンバーチブルでね。初めて顔を合わせた後、私たちはすぐに曲作りを始めた。基本的にその後の1週間は一緒にいた。曲を作ったり、一緒に遊んだりしていたんだ」

そしてブルース・スダノは次のような点を強調する。

「今回のドキュメンタリーでは、はっきりさせたかったポイントがもうひとつある。それは、ドナがさまざまな面でアーティストだったということだ。ドナはメロディー、詩、歌詞の面で優れた感覚を持っていた。画家としてもすばらしくて、とてつもないスケッチを描いていたし、ステージ用の衣装をデザインすることもできた。さらにはとても愉快な人でもあり、そういったユーモアのセンスを使って興奮を冷ますことがよくあった。というのも、とても大きく強力なカリスマ性を持ち合わせていたからだ。ドナが部屋に入ってくると、中にいる人はそれを感じることができた。本人もそれを自覚していた。だからそういう状況を、”ほら、私もあなたと同じ人間だよ”という風に変えようとしたんだ」

63歳という、あまりにも若い年齢で妻がこの世を去ってから11年経った現在、ブルースはミラノとロサンゼルスを行き来する生活を送っている。今年の夏はカリフォルニアで過ごし、次のソロ・アルバムのリリースに向けて準備を進める予定だ。アルバムの題名は『Talkin’ Ugly Truth, Tellin’ Pretty Lies』となっており、制作はプロデューサーのケン・ルイスと組んで行われることになっている。「本当にワクワクしているよ。これまでで最高のアルバムになると思う」とブルースは言う。

Love to Love You, Donna Summer | Official Trailer | HBO

 

ゾンビーズとのツアー、ヴァレリー・シンプソンとのコラボ

2023年のブルース・スダノはとりわけ多忙だった。ザ・ゾンビーズのツアーで前座を担当して世界中を回るかたわら、自らのシングル「Make The World Go Away」を発表し、さらに「Two Bleeding Hearts」も出している。

この「Two Bleeding Hearts」は高く評価されているソングライター、ヴァレリー・シンプソンとの見事なコラボレーションであり、ミュージック・ビデオも制作された。ヴァレリーは、今は亡き夫ニック・アシュフォードとの共作でモータウンの名曲を多数作り出し、かつては2人でレコードも吹き込んでいた。ブルースは次のように語る。

「すごくよく知っている知り合いとは言えないんだけれど、随分前から顔見知りではあった。数年おきにどういうわけかすれ違ったり、知り合い経由で軽くやり取りしたりしていたんだ。やがてこの曲を作った時、デュエットにしなければいけないような感じがした。デュエットの相手として誰がいいか、見当もつかなかった。するとマネージャーのシンディが”知り合いの中で誰か良さそうな人はいないの? 先入観を捨てて考えて!”と言ってきた。それでヴァレリーのことが頭に浮かんだんだ。曲を送ってみると、”すごく気に入ったから、やりましょう”という前向きな返事がもらえた」

この曲は、長い月日にわたる人間関係の難しさを成熟した大人の目から見た作品だ。これを聞けば、ソングライターとしてのブルース・スダノが多種多様な指向性を持っていることがよくわかる。

「自分の生い立ちを振り返ってみると、’60年代から’70年代にかけてブルックリンで育ったわけで……。最近、ちょっと時間をかけて自分自身を分析したんだ。私はドゥーワップの全盛期の人間ではないんだけれど、それでもドゥーワップ育ちだったし、ブリル・ビルディング (のソングライター) になりたいと思っていた。そんな若い頃に影響を受けたのは、キャロル・キング、ニール・ダイアモンド、ジェリー・リーバー&マイク・ストーラーだった」

Bruce Sudano Valerie Simpson – Two Bleeding Hearts (Official Music Video)

 

 ブルース・スダノが語る若き時代

「9歳のころ、ブルックリンのフォックス・シアターに行き、マレー・ザ・Kのロックンロール・ショーを見た。それからありとあらゆるものを見たよ。テンプテーションズもモータウンも見た。ボブ・ディランも大好きだった。ほとんどのソングライターにとって、ディランは評価の基準になっているんだ。この話はしたことがなかったと思うけれど、フレッド・エッブという人がいる。[ミュージカルや映画のソングライター・チームだった]カンダー&エッブの作詞担当だね。私の母がマンハッタンでスポーツクラブを経営していたんだけど、フレッドはそこに通っていた。それは私が少しばかり成功し始めた頃、’60年代の末から1970年代初頭あたりのことだ」

「そのフレッドがいろいろ面倒見てくれて、歌詞の作り方について指導してくれたんだ。駆け出しのころに親切に世話をしてくれた人は、本当にたくさんいる。トミー・ジェイムス [トミー・ジェイムス&ザ・ションデルズのリード・シンガー] もそうだ。トミーが本物のレコーディング・スタジオに初めて連れていってくれたんだ。そうして、レコード作りを実際にやっているところを見せてくれた。というのも、こちらはほんの小僧だったし、自分の曲を録音する手立てなんかなかったからね」

Ball of Fire

1969年、まだ21歳にもなっていなかったブルース・スダノは、ジェイムスの全米トップ20ヒット「Ball of Fire」で共作者を務めている。それから長い年月が過ぎ、脳裏にはドナの強烈な記憶が刻み込まれているが、それでもブルースはあのブルックリンで過ごした少年時代のような好奇心を保っている。

「自分をどう分類したらいいのかわからないね。基本的にはポップ・ソングを作るソングライターだと思う。今もソングライターとして進化し、自分の作品を磨き続けている。そして自分の人生を生き、いろんな物事に反応しているんだ」

Written By Paul Sexton


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2024年4月24日
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