Stories
ストーンズの名曲「Brown Sugar」制作秘話:この曲は当初“スカイドッグ”と歌われていた
アルバム『Sticky Fingers』のレコーディングは1969年12月に始まり、まずアラバマ州北部にあるマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオできわめて充実度の高いレコーディング・セッションが行われた。当時ローリング・ストーンズは北米ツアーを大盛況のうちに終わらせたばかりで、これに続き、無料コンサートを1回やることになっていた。そして、そのコンサートの会場として予定されていたのが、サンフランシスコ近郊のオルタモント・サーキットだった。
ストーンズは1969年12月2日にアラバマ州に着き、夕方にはシェフィールドのジャクソン・ハイウェイ3614番地にあるレコーディング・スタジオ、マッスル・ショールズ・サウンドに向かった。まぎらわしいことに、スタジオの名前には「マッスル・ショールズ」が含まれていたものの、このスタジオがある場所はマッスル・ショールズ市の隣のシェフィールド市だった。
また、さらにまぎらわしいことに、ストーンズの面々はこのマッスル・ショールズ・サウンドがソウルやR&Bの大スターたちが度々使っていたスタジオだと考えていた可能性が高い。しかしアレサ・フランクリン、パーシー・スレッジ、オーティス・レディングなどが使っていたスタジオは、マッスル・ショールズにあるリック・ホール所有のフェイム・スタジオだった。そのフェイム・スタジオで初めてレコーディングされた曲が1961年のアーサー・アレクサンダーの「You Better Move On」で、ローリング・ストーンズはのちにこれをカヴァー。そのヴァージョンは1964年1月発表の初EPに収録されていた。
一方マッスル・ショールズ・サウンドでも、スワンパーズ(以前フェイム・スタジオで働いていたミュージシャンたちが結成したハウス・バンド)が数々の名録音を手がけていた。たとえばシェール、ボズ・スキャッグスのセカンド・ソロ・アルバム『Boz Scaggs』、ルルのアルバム『New Routes』、R.B.グリーヴズの大ヒット・シングル「Take a Letter Maria」などがこれに当たる。グリーヴズはアトランティック・レーベルのボス、アーメット・アーティガンのお抱え歌手だ。アーティガンとアトランティックの重役だったジェリー・ウェクスラーのお膳立てで、ストーンズはマッスル・ショールズ・サウンドを使うことになった。当時アトランティックはメンフィスのミュージシャン、ジム・ディッキンソンとつながりがあり、マッスル・ショールズ・サウンドを推薦したのはこのディッキンソンだった可能性が高い。
ジャクソン・ハイウェイ3614番地に到着したストーンズは、それまで見たこともなかったようなみすぼらしいスタジオを目にした。たぶんリージェント・サウンドも同じくらい酷いスタジオだったが、そちらは少なくともロンドンにあった。マッスル・ショールズ・サウンドは1945年に建てられた建物に入っており、敷地面積は23メートル×7.6メートル。道を挟んだ向かいは共同墓地。しかもスタジオになる前、この建物は墓石置き場として使われていた。このスタジオには小さな「フロント・オフィス」があり、その奥のコントロール・ルームは大人が8~9人も入ればもう一杯。そしてレコーディング・ルームは幅7.3メートル、奥行き10メートル、高さ4.5メートルという狭さだった。
ミシシッピ・フレッド・マクドーウェルの「You Gotta Move」のカヴァーを録音したあと、ミックとキースはスタジオの真ん中で折りたたみ椅子に座り「Brown Sugar」を完成させた。これは、1969年夏にオーストラリアで映画『太陽の果てに青春を』の撮影中にミックが作り始めた曲だった。スタジオ内のふたりを観察していたジム・ディッキンソンは、その様子に度肝を抜かれた。彼はのちにこう振り返っている。
「僕は同時代の凄いソングライターを何人もこの目で見てきた。でもミック・ジャガーのように曲を作る人は彼以外に一度も見たことがなかった」
ディッキンソンは、身の回りからアイデアを得るミックの力に特に感心していた。ミックはスタジオに出入りしていたアメリカ南部人の口調を耳にして、それを歌詞に盛り込んだのだ。ディッキンソンによれば、「Brown Sugar」の最初のヴァースでミックは「スカイドッグのよだれ」と歌っていた(ただしオーヴァーダビングの際にその部分は差し替えられたようだ)。この「スカイドッグ」というのはスワンパーズの面々が、当時22歳だったデュアン・オールマンにつけたあだ名だった。オールマンは、ストーンズが来る前の夏、マッスル・ショールズ・サウンドでボズ・スキャッグスやルルのレコーディングに参加していた。
初めてこのスタジオで過ごした夜、ミックは「Brown Sugar」の歌入れをうまくこなせなかった。しかしマッスル・ショールズ・サウンドでのレコーディング最終日の夜、再び歌入れに挑戦。ミックとキースはバーボンを飲みながら、ヴォーカルのオーヴァーダビングを行っている。この3日間のレコーディングは熱気に満ち、参加者全員が興奮していた。レコーディングが終わるころには、「Brown Sugar」と「Wild Horses」をできるだけ早くシングルで出そうという話まで出ていた。
早朝にスタジオから出たメンバーは、何台もの車に乗った若者たちがストーンズを一目見ようとたむろしているのを発見した。それから一同はフローレンスのホリディ・インに戻って朝食を摂り、荷物をまとめて出発。金曜日にはアトランタに飛行機で戻り、別の便に乗り換えてサンフランシスコへ飛び、そしてオルタモントの悪夢を経験することになる。
そのころイギリスでは、デッカ・レーベルからストーンズのニュー・アルバム『Let It Bleed』が発売されていた。「Brown Sugar」がシングルで発売されたのはそれからほぼ17カ月もあとのことだった。1971年5月29日、この曲はアメリカのポップ・チャートの首位に立ち、その座を2週間保った。
ストーンズはマッスル・ショールズ・サウンドでレコーディングを行い、その時にこの曲が生まれ、そして以後ほぼすべてのストーンズのコンサートで演奏される定番曲となった。まさに名曲だ。その曲にひょっとするとデュアン・オールマンのあだ名のスカイ・ドッグが歌い込まれていたかもしれないなんて、どれぐらいの人が知っていただろうか?
Written By Richard Havers
ザ・ローリング・ストーンズ『Sticky Fingers』
- ザ・ローリング・ストーンズ アーティスト・ページ
- ザ・ローリング・ストーンズ「No Filter」ツアーが総収益265億円を記録
- ローリング・ストーンズに影響を与えた楽曲 ~ ブルースの名曲10選
- 【人気記事】1963年7月、ストーンズ初の歌番組出演
- 【人気記事】ザ・フーがミックとキースのために行ったキャンペーン
- 【人気記事】ストーンズが『Exile On Main St』の想い出を語る
- ザ・ローリング・ストーンズ・ライヴ!クイズ
- ストーンズの「ベロ・マーク」の誕生と歴史
- ザ・ローリング・ストーンズ『Beggars Banquet』50周年記念盤
- ザ・ローリング・ストーンズ関連記事
ザ・ローリング・ストーンズ
『Let It Bleed (50th Anniversary Limited Deluxe Edition)』
デラックス・ボックス / CD / LP