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最初はかすりもヒットしなかったビル・ヘイリーの名曲「Rock Around The Clock」
それはよくある音楽の奇妙な出来事のひとつであった。イギリスにロックン・ロールを持ち込んだと広く認められているレコード「(We’re Gonna) Rock Around The Clock」は最初はイギリスのトップ・テンにかすりもしなかった。そして10代の反抗となるこの重要なメッセージを伝えていた男、ビル・ヘイリーはその時すでに30歳近くになっていた。それでもなお、1955年1月7日、イギリスのチャートにこの曲がランクインしたことは大きな一歩だった。このレコードはその前年の4月12日にピューティア・テンプル・スタジオで行なわれた。
同時期に4位に上昇し、14週間もチャートに残り続けたより大きなヒット曲「Shake Rattle and Roll」に恵まれていたビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツにとって、「Rock Around The Clock」は初めてのUKチャート・インですらなかった。新しいヒット曲は最高17位まで上昇、ちょうど2週間、ベストセラーにも並んでいた。
ロックン・ロールの商業的ヒットを象徴するようになった曲の作曲者名を知るには、ちょっとしたトリビアの達人になる必要があるかもしれない。この曲は、第二次世界大戦の終わりに幾つかの成功を収めたフィラデルフィアの作曲家、マックス・C・フリードマンと、遡ること1940年代にキャリアのあった出版者でありプロモーターのジェイムス・E・マイヤーズによって書かれたものだった。彼はこのコラボレーションのためにジミー・デナイトというペンネームを使っていた。
「Rock Around The Clock」が初めてレコーディングされたのは1954年3月、アーケイド・レーベルのソニー・ダエによってだ。遅れて同年5月にビル・ヘイリー版が発売された。実際には「Rock Around The Clock」はアメリカより先に、2週間だけイギリスでチャートインしたレコードだったという話がもうひとつの奇妙な面である。そして翌年の1955年の映画『暴力教室』でこの曲が使われたあと、5月にこの曲はアメリカで評判となり、6月にはロックン・ロールの時代を飾った最初のナンバーワンの曲として幅広く支持され、首位の座を8週間守り抜いた。
デッカ・レコードでのこの成功は、イギリスでブランズウィックからの再発に繋がった。そしてこの時、曲は爆発的人気となり、11月と12月と3週間続いて第1位となった。そして「Rock Around The Clock」はチャート上でその持久力を見せつけながら、1956年9月に再びイギリスでチャートインし5位に登場した。この楽曲が持つ重要さに次の新しい世代が気付いたことから、1968年には20位、1974年に12位にランクインしている。アメリカでもこの曲がリバイバルヒットのきっかけとなった大ヒット映画『アメリカン・グラフィティ』の効果で39位まで再度上昇。この最後のチャート登場に繋がったのだった。
Written by Paul Sexton
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