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“惨事と呼ぶ以外にない”と議員に言われたものの約35万人が訪れた1974年のオザーク・ミュージック・フェスティヴァルとは?
最も有名なロック・フェスティヴァルと言えばウッドストックということになるのだろうが、1974年7月19日から21日にかけての週末に開催されたオザーク・ミュージック・フェスティヴァルもまた同様に大規模なものだった。ミズーリ州セダリアのミズーリ・ステイト・フェアグラウンドには推定約35万人が訪れたと言われている。このイベントを企画した会社は当初、チケットの売上が5万枚を超えることはないだろうと言っていた。しかも当日の金曜日になるまでは最初に登場するバンドのスケジュールが決定しなかったという状況にもかかわらず、木曜日の夕方から人々が四方八方から来場し始めていた。
豪華なラインナップの実質上のヘッドライナーは、シングル「You Ain’t Seen Nothing Yet(恋のめまい)」がナンバー・ワンを目指してビルボードのチャートを駆け上がっている真っ最中だったバックマン・ターナー・オーヴァードライヴや、「A Horse With No Name(名前のない馬)」で既に2年前に2位を記録し、その後、さらに2曲をヒット・チャートのトップ10に送り込み、「Tin Man」ではTop 5となったアメリカなどだ。アメリカのデューイ・バネルがオザーク・ミュージック・フェスティヴァルについて以下のように語っている。
「1974年夏の、延々とツアーを続けていた中でのどこかの一つみたいな感じしかないな。僕らは酔っぱらってただけだからね。ただ、最後の日にヘリコプターで到着したことははっきり覚えているよ。とにかく暑い日だった。誰もが汗だくで日焼けもしていたよ。空から見えた様子で、かなり大きなフェスだというのはわかった。ヘリから降りて最初に見たのがバックステージのガラクタの中にあった血まみれのTシャツだったのを覚えているよ。ミズーリ出身のダンは自分の故郷での大きなイベントに出られるというので喜んでいたね。確か親戚を呼んでいたんじゃないかな。それまでの2日間で観客はかなり参っていたのは間違いなかったけれど、みんなとても楽しんでいた。僕達がステージに上がった時にクルーがオーディエンスに向かって水やらビールやら浴びせていたね。笑顔で半分裸の大勢の人達と一緒になって僕達も盛り上がったよ」。
イーグルスも、アメリカの最初の2枚のアルバムの売り上げがあまりにもよかったせいで見劣りがしてしまうものの、ヘッドライナーを務めるのにふさわしいだけのシングルの売り上げを記録していた。
同様にジョー・ウォルシュのバンド、バーンストームも、彼らのセカンド・アルバム『The Smoker You Drink, The Player You Get(ジョー・ウオルシュ・セカンド)』がアルバム・チャートで好調な成績を収めていた。そしてサウスカロライナ州スパルタンバーグ出身のマーシャル・タッカー・バンドは、“サザン・ロック”という看板をひっさげていよいよ存在感を増すところだった。
このフェスティヴァルではロックと並んでブルーグラスのアーティストもラインナップされており、アール・スクラッグス・レヴューやニッティ・グリッティ・ダート・バンドが参加していた。その他、ポスターに掲載はされなかったものの、オザーク・マウンテン・デアデヴィルズや、サウザー・ヒルマン・フューレイ・バンドも出演している。バーズ、バッファロー・スプリングフィールド、そしてフライング・ブリトー・ブラザーズといったカリフォルニア・カントリー・ロックの粋からの流民だ。
その他ポスターに掲載のなかった出演者には、エアロスミス、ブルー・オイスター・カルト、ボズ・スキャッグスなどもいた。イギリスのハード・ロック・バンド、ベイブ・ルースもどうやら出演している。言うまでもなくあの野球選手ではないのは明らかだが、それにしてもどのような経緯で出演に至ったのかは興味深いところだ。そしてイタリアのプログレ・バンドであるプレミアータ・フォルネリア・マルコーニの唐突感が凄い。他の出演者達の顔ぶれから考えてもなぜ彼らがと思わずにいられない。せめて彼らのステージがブルーグラス・バンド側でなかったことを祈ろう。
出演したアーティスト達の幅の広さと奥の深さを考えれば、オザーク・ミュージック・フェスティヴァルが時代を代表するイベントのベスト・テンに入るのは間違いない。最後に、ミズーリ州のとある上院議員とイベントに関する委員会の報告を紹介したい。
「オザーク・ミュージック・フェスティヴァルは惨事と呼ぶ以外にない。アメリカ全土から引き寄せられたドラッグの売人達の絶好の場所だった。あの景色はソドムとゴモラの町すら穏やかなものに思わせた。自然なものであれ不自然なものであれセックスは観客を擁するスポーツになった。頻繁に、身体に広告を書いて薬物のプロモートを行う全裸の女性が頻繁に見られた」。
Written By Richard Havers