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スレイヤーの歴史とベスト・ソング:最も邪悪なスラッシュ・メタル四天王

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メタリカの方が遥かにビッグだったかもしれないし、アンスラックスの方が遥かに楽しいかもしれないし、メガデスは明らかに彼らよりも遥かに怒っているが、名高いスラッシュ・メタルの四天王(ビッグ・フォー)の一員であるスレイヤーは、その中で最もクールなバンドであった。なぜなら、彼らは最も邪悪だったからだ。殺人や拷問や悪魔についての歌う恐るべきスピードの楽曲で名声を築いたスレイヤーは、史上最も影響力のあるエクストリーム・メタル・バンドと言われている。彼らがそれをどのように達成したのか、このスレイヤーのベスト20曲で紹介しよう。

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活動初期

トム・アラヤ(ヴォーカル/ベース)、ケリー・キング(ギター)、ジェフ・ハンネマン(ギター)、デイヴ・ロンバード(ドラム)が、1981年にカリフォルニア州のハンティントン・パークにあるケリー・キングのガレージでバンドを組んだ時、彼らはメタルとパンク好きの少年の集まりにすぎなかった。

ジューダス・プリーストとアイアン・メイデンに強く影響を受けた彼らは、カヴァー曲を練習して、高校でのライブや、小さなイベントでプレイし、そこそこの腕になった。そんな時、ロサンゼルスのレコード・レーベル、メタル・ブレイドが、1983年のコンピレーション・アルバム『Metal Massacre III』への曲提供をスレイヤーにオファーした。これがなかったら、彼らはそれ以上、前に進めなかったかもしれない。その1年前に、メタリカはこのコンピレーション・アルバムで初のブレイクを手にしていたのだ。

メタル・ブレイドどの契約

コンピに収録されたスレイヤーの曲「Aggressive Perfector」に感銘を受けたメタル・ブレイドのオーナー、ブライアン・スレイゲルは、彼らにレコード契約を申し出て、スレイヤーのデビュー・アルバム『Show No Mercy』がレコーディングされた。

Aggressive Perfector

このアルバム『Show No Mercy』は、作曲もプロダクションも少々未熟であったが、彼らのアティテュードは歴然としており、非常に邪悪で超高速のスレイヤーのベスト曲のひとつ「Black Magic」のおかげで2年間で4万枚を売り上げた。

Slayer – Black Magic (OFFICIAL)

1984年、2枚のEP『Live Undead』と『Haunting The Chapel』(このアルバム・タイトル曲はスラッシュ・メタルの名曲)が、翌年の驚異的なセカンド・アルバム『Hell Awaits』と同様に、スレイヤーの破壊的なメッセージをより広めることになった。

Haunting the Chapel

野心的で、悪魔的なリヴァーブを詰め込み、スラッシュ界で最も衝撃的なジャケットのセカンド・アルバム『Hell Awaits』で、メタル・リスナーは初めて、スレイヤーを真面目に評価せざるをえなくなった。

悪魔的な逆再生ヴォーカルのイントロで始まるアルバム・タイトル曲を始めとするセカンド・アルバムの曲のおかげで、彼らはビースティー・ボーイズが所属するリック・ルービンのレーベル、デフ・ジャムと契約を結ぶことになった。

Slayer – Hell Awaits (OFFICIAL)

 

デフ・ジャムとの契約と『Reign In Blood』

メタル・ヘッズの中にはスレイヤーがこのレーベルと組むことを批判する者も少なからずいたが、1986年発表で、リック・ルービンがプロデュースした実に素晴らしい『Reign In Blood』によって、彼らはただちに沈黙させられた。

Angel Of Death

多くのファンにとって、スレイヤーのベスト曲の数々を収録した『Reign In Blood』は、全ての現代エクストリーム・メタル・バンドにとっての金字塔である。オープニング曲「Angel Of Death」やラスト曲「Raining Blood」、そして「Necrophobic」といった超高速の必殺曲を、彼らは250bpmに近い異常なテンポで、最初から最後まで90秒以内で演奏しきってみせるからだ。

Raining Blood
Necrophobic

 

世界的成功と『South Of Heaven』

ヨーロッパ・ツアーと数々のフェスティヴァル出演で、世界的なバンドとして自らを確立させたスレイヤーは、1988年の『South Of Heaven』でも勢いを緩めなかった。この時すでに、スラッシュ・メタル・ムーヴメントの機は熟しており、メジャーのレコード・レーベルまでもこのジャンルに参加していた。新しいアルバムは、デイヴ・ロンバードの驚異的なドラムにフォーカスした明瞭なプロダクションでファンを喜ばせたが、皮肉にもデイヴ・ロンバードはメンバーと仲違いをし、その後のツアーでは一時的に新ドラマーが演奏した。

South Of Heaven

『South Of Heaven』は、ソングライティングの良さを際立たせるためには、もはや純粋なスピードだけでは足りないとスレイヤーが認識したアルバムでもある。このアルバムとこの次のアルバムは、スラッシュ・メタルの速いスピードの曲を十分含んでいたが、ヘヴィなミドル・テンポの曲も同時に、前面に押し出されていた。アルバム・タイトル曲と兵士の死を哀悼する「Mandatory Suicide」は、今なおスレイヤーのライヴで演奏されている。

Mandatory Suicide

スレイヤーは、1990年のアルバム『Seasons In The Abyss』で商業的なピークに達した。この作品はMTVで取り上げられ、アルバム発表後、彼らはアンスラックスとメガデスと共にクラッシュ・オブ・タイタンズ・ツアーで世界中を回った。

アルバムのオープニング曲「War Ensemble」は、再び猛スピードで演奏されたパワフルな曲だったが、ここから、スレイヤーの運勢とスラッシュ・メタルをひとつのものとして牽引するパワーが減退し始めてしまう。

Slayer – War Ensemble

 

グランジの波

90年代半ばまでに、グランジ、オルタナティヴ・ロック、そしてニュー・メタルの始まりがヘッドバンガー達の注目を集めるようになっていた。だが、1991年のダブル・ライヴ・アルバム『Decade Of Aggression』と1994年の破壊的なアルバム『Divine Intervention』(突出している曲は「Killing Fields」と「Ditto Head」)は、カート・コバーンの熱狂的信者達にも評価された。

Killing Fields
SLAYER – Dittohead (OFFICIAL MUSIC VIDEO)

しかし、1996年発表の平均点以下のパンク・カヴァー・アルバム『Undisputed Attitude』の発表は、彼らの状況を好転させることにはならなかった。しかし「Gemini」という曲だけは、彼らがスローでヘヴィなドゥーム・メタルでも最高の演奏を披露できることを証明してみせている。

Slayer-Gemini

失速からの復活

1998年、スレイヤーは苦闘していた。アルバム『Diabolus In Musica』には、スレイヤーのオールド・スクールな高速曲(「Bitter Peace」「Point」)が収録されていたが、ニュー・メタルのグルーヴの影響を取り入れたことに、失望するファンもいた。

Bitter Peace
Point

スラッシュ・メタルのサウンドはニュー・ミレニアムに再び新しい居場所を獲得していたが、スレイヤーは不吉な偶然で2001年の9月11日に発表された『God Hates Us All』にて、スラッシュ・メタルの魔力を取り戻した。このアルバムで突出していた曲は「Disciple」と「Payback」である。

'Disciple' Live From The Sonisphere Festival: Sofia, Bulgaria
Payback

 

円熟期

それ以来、スレイヤーは『Christ Illusion』(2006年)、『World Painted Blood』(2009年)、『Repentless』(2015年)とアルバムを出し続けている。その中から、十分に凶暴な「Cult」と「Psychopathy Red」を、スレイヤーの往年のベスト曲を彷彿とさせる曲としてプレイリストに入れた。彼らのキャリア後期のアルバムにある激しいヴァイブは、彼らの初期の作品の鋭い強烈さには及ばないかもしれないが、それは予期されていたことであった。

Cult
Psychopathy Red

それよりも深刻なことに、バンドは昨今、個人的な問題に悩まされていた。90年代に、1度ならず2度までも、ドラマーのジョン・デットとポール・ボスタフに取って代わられたデイヴ・ロンバードが、2013年にバンドを再度脱退。

その翌年、2010年に毒蜘蛛に噛まれて壊死性筋膜炎を発症してしまった後、エクソダスのゲイリー・ホルトにツアー・ギタリストとして代わりを務めてもらっていたジェフ・ハンネマンが肝不全になり、亡くなった。トム・アラヤが狂ったようにヘッドバンギングすることも、彼が50代で首の手術を受けた後は無くなってしまった。ヘヴィ・メタルはその若さを食うものだとは、よく言ったものだ。

これらの困難が何をもたらしたかは、明らかだった。トム・アラヤ、ケリー・キング、ゲイリー・ホルト、ポール・ボスタフのラインナップは底知れぬパワーとスキルを持っているが、2018年1月、スレイヤーは最後のワールド・ツアーを発表、2019年にその活動の幕を閉じたのであった。

Written By Joel McIver





 

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