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【全曲試聴付】最高の女性ドラマー・ベスト25:様々なジャンルのミュージシャンたち

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女性ドラマーは少なくとも19世紀から存在している。たとえばイギリスのフォーク・バラード「Female Drummer」を例にとってみよう。そのタイトルからもわかるとおり、この曲の主人公は女性ドラマーだ。彼女は恋人の後を追い、男装をして軍隊に入り込む。最終的には女であることが発覚して家に送り返されてしまうが、彼女のドラマーとしての手腕については誰も文句を言わない。実のところ、彼女は”最高のドラマー”として認められていたのである。

というわけで、今回は女性ドラマーを代表する25人のミュージシャンをリストアップしてみた。ここに挙がっている人たちは、ジャズ、パンク、ロック、ポップスなどのジャンルから選りすぐった最高のラインナップである。彼女たちは、あの「Female Drummer」に描かれた女性ドラマーの伝統をしっかりと受け継いでいるのだ。

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25位 : クラウディア・ゴンソン (マグネティック・フィールズ)

USインディーの雄ステフィン・メリットのマネージャーであり、最も頻繁に音楽的なコラボレーションを行っているクラウディア・ゴンソンは、陰の実力者と言っていい存在だ。ドラムス、キーボード、ヴォーカルといったさまざまなパートをこなしながら、彼女はステフィン・メリットの曲が必要とする微妙な陰影を作り出している。ありきたりのロック・バンドではないバンドでドラマーを務めるというのは簡単なことではない。さらに言えば、ステフィン・メリット率いるマグネティック・フィールズは実のところロック・バンドですらないのだから。

The Magnetic Fields – Strange powers

 

24位 : ドティー・ドジオン

革新的なジャズ・ミュージシャンの中には、その活動の大部分が歴史の中に埋もれてしまい、あまり認知されていない人たちがいる。ドティー・ドジオンも、そんなミュージシャンのひとりだ。彼女の半世紀にわたるキャリアが始まったのは、1950年代のことだ。ベニー・グッドマン・オーケストラにも一時期在籍していた彼女は、後に西海岸のジャズ・フェスティヴァルで常連となり、ブレッカー・ブラザースのようなグループと共演するようになったが、ヴィオラ・スミスと同じように、ドジオンはあまりアルバムをレコーディングしたことがなかった。

唯一の例外と言えるのが、1996年にリリースされたヴォーカル・アルバムだ。現在見ることができる彼女のビデオ・クリップは2013年のものだ。84歳にしてこれほどエレガントなブラシ・ワークができるのであれば、若いころの彼女は最高の女性ドラマーのひとりであったに違いない。

Dottie Dodgion at Fillmore Jazz Center/July 21, 2013

 

23位 : テネシー・トーマス (ザ・ライク、ジェニー・ルイス)

パワー・ポップのファンは今すぐ、ザ・ライクの『Are You Thinking What I’m Thinking?』をチェックしてほしい。これは、過去15年間にこのジャンルの中で最も見過ごされてきたアルバムかもしれない。このバンドの核といえるのがドラマーのテネシー・トーマスとシンガー/ギタリストのZ・バーグだ。バーグはすばらしい歌唱力の持ち主で、演奏は非常に独創的だった。その後テネシー・トーマスは、自らのサイド・バンド、ナイス・アズ・ファックでもうひとりの一流ソングライター、ジェニー・ルイスと一緒に演奏している。

The Like – Wishing He Was Dead

 

22位 : デビー・ピーターソン (バングルズ)

「魅力的なドラマーがいない優れたガレージ・バンド」の存在を耳にしたことがあるだろうか? そんなバンドなど聞いたこともないはずだ。そしてバングルズは、その活動の初期は、ほぼガレージ・バンドといっていい音楽を演奏していた。当時あのバンドはステージでザ・シーズやヤードバーズのレパートリーをカヴァーしていたのだ。

やがてバンドの活動がさまざまな方面に広がるにつれてデビー・ピーターソンの演奏は成長していったが、彼女はいつも自分たちのルーツを忘れてはいなかった。その証拠として、「Hazy Shade Of Winter (真冬の散歩道) 」でのパワフルな演奏をどうか聴いて欲しい。しかも彼女は、ほぼすべての曲でバック・コーラスまたはリード・ヴォーカルを歌っている。最高の女性ドラマーのひとりに名を連ねるだけの資格は十分にある。

The Bangles – Hazy Shade Of Winter (Audio)

 

21位 : ディー・プラカス (L7)

L7に在籍したことのあるミュージシャンは、例外なく楽器の演奏力という点できわめて秀でていた。このバンドは強烈な音楽性とユーモアのミックスが特徴だった。それゆえ、メンバーは腕利きミュージシャンでなければならなかった。L7は最近再結成ツアーを行ったが、プラカスとベーシストのジェニファー・フィンチというグルーヴ感あふれるリズム・セクションを再び聴くことができるのはまたとない楽しみだった。

L7 – Pretend We're Dead

 

20位 : ジョージア・ハブレイ (ヨ・ラ・テンゴ)

現在の3人のメンバーになってから四半世紀以上に亘ってともに活動を続けてきたヨ・ラ・テンゴは、ほとんどのバンドが喉から手が出るほど求めている息の合ったコンビネーションを持ち合わせている。それによって彼らは、神秘的な即興演奏のゾーンに入ることができる。

活動初期のジョージア・ハブレイは、シンプルなパートと完璧なフィーリングが持ち味であるモー・タッカー・タイプのドラマーと評価されていた。しかし彼女は、タッカーにはなかったジャズ風の柔軟な対応力を身につけ、演奏の幅を広げていった。アルバム『YLT』のジャム色の強い収録曲を聴けば、彼女が最高の女性ドラマーのひとりであることがはっきりとわかる。とはいえバラードでの繊細なブラシ・ワークも実にすばらしく、一聴に値する。

Yo La Tengo – "Autumn Sweater"

 

19位 : リンダ・ピットモン

過小評価されているミネアポリスのバンド、Zuzu’s Petalsの元メンバーだったリンダ・ピットモンは、今ではR.E.M.のマイク・ミルズとピーター・バック、ヤング・フレッシュ・フェローズのスコット・マッコーギーとその夫スティーブ・ウィンといった顔ぶれと共に活動を繰り広げている。またバックとスレイター・キニーのコリン・タッカーを中心に結成されたグループ、フィルシー・フレンズにも参加している。

とはいえ彼女の最高傑作は、スティーブ・ウィンのバンド、ミラクル・スリー在籍中にレコーディングした4枚のアルバムかもしれない。そこでの彼女は、曲作りと即興演奏の両方で見事な手腕を見せている。

Steve Wynn – When You Make Up Your Mind – Live at McCabe's

 

18位 : ヴィオラ・スミス

いつの日か、このミュージシャンの全貌を語る何らかのドキュメンタリー作品が作られることだろう。おそらく世界初のプロの女性ドラマーであるヴィオラ・スミスは、1920年代に演奏を始めた。その後はNBC交響楽団で演奏し、『キャバレー』の初演でブロードウェイ・デビューを果たした。

彼女のトレードマークは、ジーン・クルーパと比較されるほどタムを多用した巨大なドラムズ・キットだった。彼女の活動を記録した作品は、残念ながらあまり残っていない。彼女は自分でレコードを吹き込んだことがなく、現存する映像の中で最も良い記録といえば1939年に女性ばかりのバンド、コーケッツで演奏したときのものである。2020年10月に107歳で亡くなるまで、おそらくジャズ・ミュージシャンの中で最も高齢でときおり演奏していた。最高の女性ドラマーのリストに入るのに十二分な資格を満たしている。

Frances Carroll & Her Coquettes Featuring Drummer Viola Smith

 

17位 : パティ・シュメル (ホール)

ほかのメンバーと同様に、パティ・シュメルも魅力とデカダンスにあふれたバンド、ホールの活動を駆け抜けた。仲間の多くがそうであったように、彼女ものちに依存症に苦しんだが、原始的なパンクを少し洗練させた彼女のドラミング・スタイルは決して弱まることはなかった。彼女がホールから脱退したのは、アルバム『Celebrity Skin』のプロデューサーだったマイケル・ベインホーンと激しく衝突したからだった。

ホールを率いていたコートニー・ラブはパティ・シュメルの真価をちゃんとわかっていた。自身のソロ・デビュー・アルバム『America’s Sweetheart』でシュメルをメイン・ドラマーとして起用していることがその証左である。シュメルは、今でもグランジ (そしてそれ以外のさまざまなジャンルの音楽) で最高の女性ドラマーのひとりであり続けている。

Hole – Celebrity Skin (Official Video)

 

16位 : サマンサ・マロニー

ドラマーとしてのサマンサ・マロニーは堅実なプロのプレイヤーであり、メンバー交代やフレッシュな人材を必要としているバンドへの参加を専門としていた。たとえばパティ・シュメルが脱退した際にはそのあとを受け、ホールに加入しており、トミー・リーの活動休止中にはモトリー・クルーに加わっている。さらにはジョシュ・オムがあまりに多忙な時にはイーグルス・オブ・デス・メタルのツアーにも参加していた。

彼女はバンド内の人間関係が緊迫したものになった時期に新たに加わったメンバーなので、上に記した一連のバンドが残した傑作群には参加していない。しかし彼女の安定した演奏は、バンドの活動を継続させるのに重要な役割を果たした。そうした中で培った音楽ビジネスのノウハウは、2014年3月から約3年間ワーナー・ブラザース・レコードの制作担当副社長だったという職務にも欠かせないものとなっている。

Motley Crue – Kickstart My Heart

 

15位 : ケイト・シェレンバック (ルシャス・ジャクソン)

1979年、多くの最先端のニューヨーカーたちと同じように、ケイト・シェレンバックはファンクやパンクを取り入れたバンドに所属し、サウス・ブロンクスで流行している新しいサウンドに耳を傾けていた。彼女のバンドはビースティ・ボーイズという名前で、やがて大物になる運命にあった。彼女はパンク・グループ時代のビースティ・ボーイズで演奏した後、ジャンルを超えた画期的な活動を繰り広げてきた。

とはいえ最も有名なのは、1990年代のオルタナティブ・ガール・バンド、ルシャス・ジャクソンでの演奏だ。現在のシェレンバックはザ・レイトやレイト・ショーのプロデューサーとして注目を集めているが、そうした仕事の合間を縫って、今でもバンドでドラマーを務めている。

Luscious Jackson – Here

 

14位 : ハニー・ラントリー (ハニーカムズ)

ハニーカムズのドラマーだったハニー・ラントリーは、おそらくヒット・シングルで演奏した初の女性ドラマーということになるに違いない。「Have I The Right」をヒットさせたハニーカムズは、ブリティッシュ・インヴェイジョンの偉大なる一発屋のひとつだったが、伝説的なプロデューサーであるジョー・ミークは、自分がスターを手にしていると気付いていた。なぜなら、彼女のドラムをベースにして「Have I The Right」を作り上げていたからだ。

この曲のドラムは、ブリッジのところで轟音を響かせている。この曲の演奏映像を見たことがある人はわかるだろうが、ラントリーはオタクっぽい外見のメンバーが並ぶ中、例外中の例外として人目を引く、際立った存在だった。

Honeycombs – Have I The Right (Best Quality)

 

13位 : ジーナ・ショック (ゴーゴーズ)

彼女が叩き出すビートはすばらしかった。ゴーゴーズが最初に登場したとき、ジーナ・ショックが楽器の演奏の面でこのバンドの中で最も優れたミュージシャンなのは明らかだった。ほかのメンバーは決めフレーズやメロディを上手にこなしていたが、このバンドの曲がダンス向きのトラックに仕上がっていたのはジーナ・ショックのおかげだ。

シャーロット・キャッフィーとジェーン・ウィードリンがギターを担当するようになってからは、ショックがゴーゴーズをさらにハードな方向へと駆り立てて行った。このバンドの2曲の大ヒット・シングルがいずれもドラムズスのイントロに導かれて始まるのは果たして偶然なのだろうか?

The Go-Go's – We Got The Beat (Official Music Video)

 

12位 : ジャネット・ワイス (スリーター・キニー)

ポスト・パンクを標榜する優れたドラマーは、パワーと創意工夫を結びつけ、曲作りのセンスとソリッドなグルーヴを兼ね備えていなければならない。ジャネット・ワイスは、史上最高の女性ドラマーのひとりであるというだけでなく、上記のすべてを体現している見事な実例でもある。

スリーター・キニーはベースの代わりにギターを使うという変わった編成だったが、ワイスはそんなバンドをドラムズスの立場からうまく機能させていた。また二人組バンドのQuasiでは、彼女はピアノとドラムズスのシンプルな編成をロックンロール・バンドに変身させた。さらにスティーヴン・マルクマス & ザ・ジックスに在籍した3年のあいだ、このバンドの即興演奏で確固たる基盤を作り上げていったのである。

Sleater-Kinney – You're No Rock N Roll Fun [OFFICIAL VIDEO]

 

11位 : サンディ・ウェスト (ランナウェイズ)

パンク・ロックから生まれた最初の偉大なるドラマーのひとりであるサンディ・ウェストは、15歳の時にランナウェイズを結成した。あのバンドは、そもそもサンディとジョーン・ジェットを中心に結成されたバンドだった。サンディのパワフルなドラミングも相まって、ランナウェイズはアリーナ・ロックやプロト・メタルのバンドへと進化していった。

このバンドのアルバム『Live In Japan』は、おそらく彼女の力強さが最もよく表れた作品だろう。悲しいことに、ウェストはランナウェイズの解散後に恵まれない道を歩んだ唯一のメンバーとなった。それは依存症に苦しみ、金銭面でキム・フォーリーに操られていたことが理由だった。

THE RUNAWAYS – Wasted (1977 UK TV Appearance) ~ HIGH QUALITY HQ ~

 

10位 : ジョディ・リンスコット

ジョディ・リンスコットはザ・フーで演奏していた。その事実だけで充分だろう。ザ・フーの1989年のツアーはあまり語られることがないが、ティンパニ、ティンバル、オーケストラ・パーカッションを担当したジョディ・リンスコットとキット・ドラマーのサイモン・フィリップスというコンビは、おそらくこのツアーで最も活気にあふれた要素だったと言える。

キース・ムーンと同じく、リンスコットは轟音サウンドを響かせる派手な演奏を持ち味とするプレイヤーだった。それゆえ、エルトン・ジョンポール・マッカートニーなどの大物たちが彼女を歴史上最高の女性ドラマーのひとりと評価するのは至極当然のことなのである。

David Gilmour / Peter Townsend Live 1985

 

9位 : カレン・カーペンター

カレン・カーペンターはドラマーというよりもヴォーカリストとして偉大なミュージシャンの地位に到達した。それは間違いない。とはいえ彼女が最初に夢中になったのはドラムスであり、ドラマーとしての彼女はエレガントなポップスにぴったりのソリッドなフィーリングの持ち主だった。

レコードのクレジットには誰が何を演奏したのか明記されていなかったが、カーペンターズの2枚のアルバム (デビュー作と『Now & Then』) では、彼女がドラムズ・パートのすべて、あるいはその大部分を演奏していた。ヒット曲「Yesterday Once More」や、『アルバムNow & Then』に収録されているロックンロール・メドレーでドラムズを担当していたのはカレンだったのである。

Karen Carpenter Drum Solo – 1976 First Television Special

 

8位 : スー・ハジョポウロス (ジョー・ジャクソン、シンディ・ローパー、シンプル・マインズ)

ジョー・ジャクソンが1982年の『Night And Day』で音楽性を変化させたとき、そのサウンドの鍵を握っていたのはスー・ハジョポウロスの独創的なラテン・パーカッションだった。このアルバムを支えていたのは彼女のリズムであり、それが「Steppin’ Out」や「Cancer」といった曲で喜びに満ちたサウンドを奏でていた。

ジョー・ジャクソンはこのアルバムの発表後にツアーをしたとき、フル・キットのドラマーを連れていかずに彼女のパーカッションだけで通していた。あの時代の最高の女性ドラマーのひとりとして、ハジョポウロスは一時期ホットな存在だった。たとえばローリー・アンダーソン、シンプル・マインズ、B-52s、シンディ・ローパーなどがアルバムやツアーで彼女を起用していた。その後の彼女は、さまざまな映画や舞台のサウンドトラックに参加している。

Joe Jackson with Sue Hadjopoulos – Target and Stepping Out

 

7位 : メグ・ホワイト (ホワイト・ストライプス)

メグ・ホワイトは、リンゴ・スターのジレンマに苦しめられている。つまり、派手な演奏をしないせいで、歴史に残る偉大なバンドに属していないように思われてしまうのだ。しかし「Seven Nation Army」でジョン・ボーナムのようにパワフルなドラムズスを叩ける人間は偶然そこに居合わせたわけではない。ライヴ・パフォーマンスでは、ホワイト・ストライプスは彼らが愛したブルース・デュオと肩を並べるくらいの原始的な迫力を発散させていた。

こうした点について語る場合、ジャック・ホワイトのソロ・キャリアを参考にすればよくわかる。彼は現在、メグよりも技術的に熟練したドラマーと一緒に活動しているが、だからといってホワイト・ストライプス時代よりも良い演奏になっているというわけではない (悪くなっているというわけでもないのだが……) 。とにかく、あのころの演奏とは違うものになってしまうのだ。

The White Stripes – Seven Nation Army (Official Music video)

 

6位 : テリ・リン・キャリントン

第3世代のジャズ・ミュージシャンであるテリ・リン・キャリントンは、10代に入る前からクラーク・テリーやジャック・ディジョネットといった偉大なミュージシャンと共演してきた。その後の彼女は、ポスト・バップ、スムース・ジャズ、シルキー・ソウルも見事にこなせることを証明してきた。彼女の最高の演奏は2011年のアルバム『The Mosaic Project』で聴ける。ここでは、エスペランサ・スポルディングやシーラ・Eを含む女性ばかりのオールスターキャストと共にスタンダードを演奏している。

Terri Lyne Carrington Tribute to Roy Haynes part 1

 

5位 : ボブバイ・ホール

1970年代にヒットしたレコードでラテン・パーカッションを耳にしたら、それはこの多才なプレイヤーが演奏したものである可能性が高い。ボブバイ・ホールは、数十枚ものトップ10入りヒット曲に参加したというすばらしい経歴の持ち主だ。たとえばビル・ウィザーズの初期のシングルのほとんど、マーヴィン・ゲイの「Inner City Blues (Make Me Wanna Holler) 」以降のレコードの多く、そして驚くべきことにピンク・フロイドの「The Wall」の2枚のシングルもその中に含まれている。

彼女の最高にすばらしい演奏のひとつとして、キャロル・キングの「Brother, Brother」でのドラマチックなコンガ・ロール (そして曲全体を通して聴けるクローズド・マイク・パーカッション) が挙げられる。そのおかげでこの曲は、アルバム『Tapestry』よりも間違いなくエキゾチックな仕上がりになっている。

Marvin Gaye – Inner City Blues (Make Me Wanna Holler)

 

4位 : ニッキー・グラスピー (エンス・パワー)

2012年から約4年間、ニッキー・グラスピーはニューオーリンズの最もファンキーなバンド、ダムスタファンクのドラマーを務めていた。この5人組はイヴァン・ネヴィルがリーダーで、ふたりのベース奏者をフィーチャーしていた。グラスピーが加入する前からこのバンドは既に人気を確立していたが、彼女はすぐにスター・プレイヤーとなり、この街で最も強力なビートを叩きまくりながら、ヴォーカルさえ担当することもあった。

彼女はこのバンドに参加するため、はるかに実入りのいいビヨンセのツアー・ドラマーという仕事を捨てていた。現在グラスピーは、現代の最高の女性ドラマーのひとりとして、これまたすばらしくファンキーなグループ、エンス・パワーで活動している。

Nikki Glaspie, Dumpstaphunk – Paper Chasin' Britney 8/26/13

 

3位 : モー・タッカー (ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)

モー・タッカーは、ミニマルなドラミングから両性具有的なルックスに至るまで、あらゆる面で時代の先を行く存在だった。彼女は立って演奏し、最高にシンプルなパターンを叩き続け、バス・ドラムさえ使わなかった。それでもヴェルヴェット・アンダーグラウンドの他のメンバーは、彼女の完璧なタイミングがこのバンドのサウンドの鍵だと常に主張していた。

その一番の証拠として、ルー・リードのソロ・アルバム『New York』がある。アルバムを締めくくる「Dime Stone Mystery」は、ヴェルヴェッツの創設メンバーであるスターリング・モリソンへのトリビュート曲で、タッカーがドラムを担当している。彼女のドラムが聴こえ始めたとたん、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのサウンドが蘇ってくる。リードが残したほかのどのソロ・アルバムよりも、はっきりとあのサウンドになるのである。

The Velvet Underground – White Light White Heat – [LIVE 1969]

 

2位 : シーラ・E (プリンス)

シーラ・Eがどれほど強力なドラマーだったのか、世間に知れ渡るまでには少し時間がかかった。なぜなら、彼女は当初プリンスの周辺を飾る数多くのセックス・シンボルのひとりとして売り出されていたからだった。最初にアルバム『Glamorous Life』のツアーを行ったとき、彼女はインストゥルメンタルの休憩時間にティンバレスで数小節を演奏するフロントウーマンという立場にあった。しかし、やがてプリンスは『Sign “O”The Times』のツアーで彼女をフル・キットの後ろに座らせた。

それからは、毎晩のように彼女のドラムスのすごさに圧倒される人間が続出した。特にメインのライヴの後にプリンスがやっていた深夜のジャム・セッションは見物だった。彼女はその後、リンゴ・スターのツアーに何度か参加し、ほとんど”リード”・ドラマーのような役割を果たした。そしてそのほかの参加メンバーのヒット曲に新たな命を与えていた。

Sheila E. – The Glamorous Life (Video)

 

1位 : シンディ・ブラックマン

性別の違いなど忘れよう。ブラックマンの想像力あふれる演奏と目もくらむようなテクニックを踏まえれば、彼女が最高の女性ドラマーのリストでトップに選ばれるのも当然のことであり、さらに言えば、男女を問わず現在活躍している最高のドラマーのひとりであることは間違いない。レニー・クラヴィッツのライヴ・バンドが実に魅力的だった理由の大部分は彼女の演奏にあった。とはいえブラックマンの才能が本当の意味で開花したのはジャズの仕事でのことだった。そうした活動では、ファラオ・サンダースやロン・カーターといった即興演奏の達人たちと共に演奏している。

ブラックマンは、ファンク・ミュージックも巧みにこなすことができる (それは、夫であるカルロス・サンタナと組んだ最近のアルバムで証明されている) 。とはいえ彼女の最高の演奏は、ジャズ・ロックのパイオニアであるトニー・ウィリアムズを讃えるために短期間活動したバンド、スペクトラム・ロードで披露されたものだろう。これは偉大なフュージョン・スーパーグループ (共演者はジョン・メデスキ、ヴァーノン・リード、ジャック・ブルースという顔ぶれだった) であり、彼女はそこに名を連ねた。そして、どんなドラマーにとっても最高に難しい楽曲に新鮮なアプローチを施したのだ。

Cindy Blackman Santana: DRUM SOLO

Written By Brett Milano



 

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