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チェット・ベイカーのベスト・ヒット20選 : 必聴のジャズの名曲たち
チェット・ベイカーの音楽の良さを彼を取り巻くロマンティックな神話から切り離して語るのは難しい。彼は1950年代初頭に陽の出る勢いでスターになった。その理由はトランペット演奏のエレガントなスタイルとリズミカルな優美さに負うところが大きかったが、それだけではない。彼がハンサムな容貌の持ち主だったことも、後押しになったことは間違いない。
さらにほかのどの歌手とも異なる儚げな声でヴォーカルを歌い始めると、彼は誰もが知る有名人になり、女の子の部屋にポスターが貼られるほどの人気を得た。それは、ジャズ界では実にめずらしいことだった。
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その経歴
ベイカーは幼少期をオクラホマ州で過ごし、思春期になると家族と共に南カリフォルニアに移り住んだ。1952年にはハーモサ・ビーチのクラブ、ライトハウスのジャム・セッションの常連となり、西海岸でチャーリー・パーカーと何度も共演した。
ベイカーがバリトン・サックス奏者で作曲家のジェリー・マリガンと手を組むと、ライトハウスを中心に形成された音楽シーンは、ウエスト・コースト・ジャズと呼ばれる独特の個性を確立していった。そのスタイルはクールで、美しく、抑制の効いたものだった。ベイカーはこのシーンの大スターのひとりになる道を歩んでいた (忘れてはいけないことだが、ウェスト・コースト・ジャズのプレイヤーの多くは白人であった。そのおかげでこのムーブメントは市場に進出しやすくなり、メディアでも露出度が増した)。
1950年代の半ばにはベイカーはマリガンのグループを脱退し、自らのリーダー・アルバムを作るようになっていた。彼は雑誌『ダウンビート』の投票でベスト・ヴォーカリストとベスト・トランペット・プレイヤーに何度も選ばれ、音楽界の新星のひとりとなった。しかし、ドラッグや法律面での問題が付きまとった結果、彼は何度も逮捕され服役してしまう。それゆえ60年代には活躍の場をヨーロッパに移し、トラブルに見舞われながらも尊敬される存在になった。ヨーロッパでは、彼の人生に起きた悲劇的な出来事が彼の神話性をさらに高め、彼の業績はスキャンダルを求めるタブロイド新聞の格好のエサとなった。
最後の20年のあいだに、彼の音楽はますますテンポのゆっくりとした哀愁の強いものになっていった。彼は主にヨーロッパに住み、小さなレーベルでレコーディングを行い、悲劇的でカルト的な存在となった。
憧れのヴォーカリスト
ベイカーはジェリー・マリガンの革新的なカルテット (当時としてはめずらしいことにピアニストがおらず、そのおかげでハーモニーの実験が可能だった) で脇役を務めていた。このグループのレパートリーの中に含まれていたのが「My Funny Valentine」だった。この曲は、当時ロジャース&ハートのミュージカル・ソングの中では比較的知名度が低かった。やがてこのグループでインストゥルメンタルとして取り上げられたこの曲はベイカーの陰鬱なトーンの聴かせどころとなり、トランペットの低音域が最小限の抑揚を響かせていた。その後まもなくベイカーは「My Funny Valentine」でトランペットの演奏だけでなくヴォーカルも担当するようになり、ピアニストのラス・フリーマンと自らのグループを結成したあとは、この曲が代表曲となった。
ベイカーは何度も「My Funny Valentine」を録音し、晩年までライヴ・セットの定番として採り上げていた。とはいえそうした中で最高の録音というと、やはり1954年の『Chet Baker Sings』で吹き込んだ最初のヴァージョンになるだろう。ここでのヴォーカルは非常にソフトなので、ささやき声のように思えてくるほどだ。その若々しく純朴にさえ聞こえる歌声は非常に魅力的である。その1年後に録音された「Let’s Get Lost」は比較的陽気でアップテンポな曲で、ベイカーのヴォーカルは魅力を放っている。これも彼の代表曲のひとつとなった。
「Everything Happens to Me」は50年代後半にリヴァーサイドと契約していた時期の『Chet Baker Sings It Could Happen to You』の収録曲で、ビロードのように柔らかい仕上がりの名バラードだ。
若手ホーン奏者
ベイカーはその歌声によってメインストリームでの知名度を上げた。とはいえ、キャリアの最初の十数年間に彼が録音した曲はほとんどがインストゥルメンタルだった。その中でも特に優れたものは、小編成のジャズ・グループの力を存分に発揮した名演となっていた。当時はその種のグループがしのぎを削っていたが、その中でも抜群のものになっていたのである。
ジェリー・マリガンのピアニスト不在のカルテットはベイカーのブレイクのきっかけとなったが、このバンドの初期の録音は今でも色あせていない。1953年の「Lady Is a Tramp」では、マリガンが数年前に参加していたマイルス・デイヴィスの『Birth of the Cool』セッションの影響が露わになっている。
一方「I’ll Remember April」は、数十年後にリリースされた1953年録音のライヴ・アルバム『Witch Doctor』からの曲だ。伝説的なジャズ・クラブで録音されたこのライヴの時期、ベイカーはまだ活動初期だったがそのスタイルは既に完成している。ここでは猛烈にスウィングするフリーマン、ベーシストのハワード・ラムジー、ドラマーのマックス・ローチのリズム・セクションをバックに従えながら、ベイカーがサックス奏者のバド・シャンクやジミー・ジュフレと丁々発止の演奏を繰り広げている。
その翌年、ベイカーは自らの六重奏団で「Stella by Starlight」を吹き込んでいる。このヴァージョンは暖かくて爽やかだが、それでいて陶酔状態のようにも感じられる。ベイカーの奏でる音は宙を舞っているかのようだ。
1955年、ベイカーは若手ピアニスト、ディック・ツワージクを含むバンドで大規模なヨーロッパ・ツアーに乗り出した。ツワージクのハーモニー豊かな演奏はジャズのインサイダーたちを魅了した。このバンドはパリでたくさんの曲をレコーディングしている。
『Chet in Paris』の第1弾に収録されている「Mid-Fororte」では、ベーカーとツワージクの相互作用を確認できる。ツワージクが高音域のやや不協和音のクラスターを弾く一方で、ベイカーは自信を漲らせながら抑揚の激しい旋律を奏でている。そのコントラストは実に美しい。
その数年前にベイカーは「Look for the Silver Lining」をはじめて吹き込んでいたが、1959年にミラノでイタリア人ミュージシャンと組んだ六重奏団で録音されたインストゥルメンタル・ヴァージョンは格別だ。トランペットによるオープニングはリラックスしていて浮遊感があり、メロディーとつかず離れずの関係を保ちながら美しく装飾音が飾られている。
その前の年、ベイカーはアルト・サックス奏者のスタン・ゲッツとのらしい共演アルバムをリリースしている。ゲッツもベイカーと相通ずる精神の持ち主で、そのスタイルとソロ演奏はクール・ジャズの確立に貢献していた。ふたりは3つのスタンダード曲「Autumn In New York/Embraceable You/What’s New」をゆったりとしたテンポで美しいメドレーに仕立てている。ベイカーのトーンは彼の印象主義的なバラードの演奏に比べて太く、ゲッツのよりムーディな旋律と対照的な泥臭いトーンになっている。
同じ年、ベイカーはベーシストのポール・チェンバースとドラマーのフィリー・ジョー・ジョーンズをマイルス・デイヴィスのグループから借りてニューヨークで傑作アルバム『Chet Baker in New York』のレコーディング・セッションを行い、マイルスの曲「Solar」を吹き込んだ。チェンバーズとジョーンズが強烈にスウィングする中、ベイカーはそのグルーヴを巧みに操りつつ、フレーズごとに数小節に渡って緊張感を高めていき、それをため息のように解放するという演奏を繰り返している。
夢の奥深く
ヴォーカリストとしても、トランペッターとしても、ベイカーは雰囲気作りの達人だった。キャリアが進むにつれ、彼はゆっくりとしたテンポの曲や不明確なアレンジで雰囲気を醸し出すのを好むようになった。1950年代後半から’60年代にかけてに録音されたいくつかの曲は、ベイカーの音楽のこのような恍惚とした側面を見せてくれる。後にベイカーが一番好きな曲だと語った「Deep in a Dream」は、1959年の『Chet Baker With Fifty Italian Strings』でこの上なく豪華なアレンジと共に録音されており、ベイカーはこの幻想的な曲をソフトでありながら自信に満ちたヴォーカルで聴かせている。
ベイカーの1958年の名盤『Chet』 (彼の最高傑作と言っても過言ではない) で冒頭1曲目に収録されていた「Alone Together」は、彼がこのようなほとんどアンビエントな空間を彩っていく様子を確認できるインストゥルメンタル曲だ。ここではまずピアニストのビル・エヴァンスが、彼の不朽の名曲「Blue in Green」と音楽的なDNAを共有するようなイントロを奏でていく。やがてベイカーが登場すると、彼のソロがロマンスと神秘性を醸し出していく。
一方「I Talk to the Trees」もベイカーのリヴァーサイド時代の曲で、彼のアルバム『Chet Baker Plays the Best of Lerner & Loewe』のハイライトとなっている。リバーブ (残響音) に浸りながら彼はメロディの一音一音を伸ばし、感情的なインパクトを最大限に引き出している。
1964年から1965年にかけてのベイカーはスタジオでフリューゲルホルンを演奏することが多かった。この時期には10人編成のバンドでビリー・ホリデイに捧げるトリビュート・アルバムを録音している。彼はこのアルバムでは歌っていないが、「Don’t Explain」では、フリューゲルホルンのより柔らかく穏やかな音色を生かして、ホリデイならではの優雅さを表現している。
また「Stairway to the Stars」は、同じ年にプレスティッジからリリースされたLP『Comin’ on With the Chet Baker Quintet』の曲で、後にプレスティッジ時代の彼の作品をまとめたコンピレーション盤のタイトル曲にもなっている。ここでもベイカーはフリューゲルホルンを吹いており、彼のソロはこの曲の深い痛みと切なさを見事に表現している。
アップテンポの曲での演奏
ベイカーが最も輝いたのはバラードでのことだったが、その一方で彼はアップテンポの曲でも見事な演奏を披露することができた。その演奏ぶりは、健康状態が悪化した時期も変わらなかった。アルバム『Baby Breeze』に収録されている「This Is the Thing」は、1964年の後半に収録された密度の濃い、慌ただしい曲だ。
ベイカーは、アルトサックス奏者フランク・スロージエが吹くオープニングの後に登場し、さまざまな短いフレーズでまろやかなフリューゲルホルンの音を非常に軽快で陽気な感じで聴かせている。また『Boppin’ With The Chet Baker Quintet』に収録されている「Go-Go」では、ベイカーが猛スピードで味のあるソロを吹いている。
ロング・グッドバイ
ベイカーは、亡くなるまでの最後の20年間はライヴとレコーディング・セッションを絶えず続け、ほとんどの期間をヨーロッパで過ごしていた。1977年のアルバム『You Can’t Go Home Again』のタイトル曲で、ベイカーはアルトサックス奏者のポール・デスモンドとソロをやり取りしている。当時のデズモンドは末期癌で、これが彼にとって最後のスタジオ・レコーディングのひとつとなった。彼とベイカーは、エレクトリック・ピアノとストリングスをバックにして哀愁漂うソロを交わしている。
1983年、ベイカーはスタン・ゲッツと再び組み、北欧でコンサートを何度か行なった。ベイカーは猛烈な速度で「But Not for Me」を演奏しており、このころになるとスキャットが彼のヴォーカル・レパートリーの定番となっていた。彼の突き刺すような言葉のないソロは、音程が多少ずれていたかもしれないが、それでも印象的なリズム感で表現されている。
ベイカーがキャリア後期にリリースした作品の中でも、1985年に発表されたピアニストのポール・ブレイとのデュエット・アルバム『Diane』は、彼の代表作と言っても過言ではないだろう。ベイカーの直観的な叙情性と、ブレイの学究的で形式主義的なスタイルという組み合わせは奇妙なものに思えるかもしれない。しかし「How Deep Is the Ocean」では、両者の演奏が見事に融合している。ここでは、ブレイの共感的な伴奏の中に空いている広大な空間を埋めるように、ベイカーが独特の音色を響かせている。
晩年のベイカーはドラッグ所持による逮捕を数え切れないほど経験し、食うや食わずの貧困生活を経ていたが、それでも彼のソロは純粋なる詩のようであり、曲の中で脈動する心臓となっていた。
彼は1980年代に注目を集め、1988年にはブルース・ウェーバー監督によるドキュメンタリー『Let’s Get Lost』も作られている。しかし残念なことに、ベイカーはこの映画を自分の目で見る前にこの世から去ってしまった。映画公開の数ヶ月前、彼は謎めいた状況下でアムステルダムのホテルの窓から転落死している。亡くなった時の彼は58歳だった。
Written By Mark Richardson
チェット・ベイカー『Chet Baker Sings』
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