Stories
ビートルズ名所ガイド in リヴァプール:世界一のバンドを生んだ町の歴史と観光情報
1980年代だと、リヴァプールに来た観光客がザ・ビートルズ所縁の地を訪れていることに気付かないのは仕方のないことだった。状況が変わったのは、1984年、ザ・ビートルズに特化したミュージアムが街の中心地にあるシール・ストリートに『ビートル・シティ展』をオープンしたときである。そのミュージアムは、かつてないほど集められたビートルズの記念品の膨大なコレクションを誇り、中でも見事な展示だったのは、バンドの地元や、街やその周辺にある数々の名所のツアーに使用され、サイケデリックな壮観を復旧したマジカル・ミステリー・ツアーのオリジナル・バスだった。しかしミュージアムは、財政難に悩まされたため、2年足らずで閉館することになった。
しかし『ビートル・シティ展』で明らかになったのは、ビートルズの観光事業に需要があるということだ。
過去35年間以上この街で、ほとんどのビートルズ関連の主要なプロジェクトを手助けしてきた当時急成長のキャバン・シティ・ツアー・エンタープライズの背後にいた人々に、その意味が通じたという事実である。
ますます増加するビートルズをテーマとした観光スポットが存在する歴史的なキャバーン・クォーターなど、現在年間約80万の人が訪れていると報告されている。ビートルズの遺産は、リヴァプールの経済にとって、8,000万ポンド(約112億円)を超える価値があることが報告され、2,300件以上の雇用を支えていると言われている。
つまり、もし訪問の予定があるならば、最初の問題はまずどこに泊まるか?ということだろう。アルバート・ドックにある高級ホテルのイエロー・サブマリン(実際、料金に見合ったかなり洒落たハウスボート)から、豪華だけども随分良心的な価格のビートルズをテーマとしたハード・デイズ・ナイト・ホテル(ジョン・レノン・スイートには「Imagine」のような白いピアノが完備されている)が街の中心地にある伝説的なキャバン・クラブの近くにあり、素敵なビートルズをテーマとした宿泊施設のオプションが幾つかあるのだ。ビートルズをテーマにした部屋は他にも多数があるが、ペニー・レーン・ホテルでも一泊することが出来る。
ビートルズがリヴァプール出身であることは、彼らの成功譚において無意味ではない。実際に、彼らがイギリスの他の場所から生まれることは考えにくい。特にビートルズが生まれ、育った頃のリヴァプールは、言うまでもなく多数の倉庫や商品を取引する流通ネットワークはもちろん、リヴァー・ビルディング内や周辺の波止場や保険会社といった世界に通じるルートによって成功していた関連会社に支配されていた。
1950年代に、商船隊は、緊縮経済と失業という戦後の厳しい環境で育った若い世代に雇用と冒険を提供した。海外に定期船でニューヨークへ行ったり来たりと輸送するようになり、商船で働いていた男たちは、“キュナード・ヤンクス”として知られるようになった。彼らが自国のイギリスで経験した厳しい生活の陰鬱なリアリティと比べると、アメリカは鮮やかな色彩の驚嘆の世界であり、彼らはその活気を可能な限り自分たちの国に持ち帰ろうとしたのだ。冷凍冷蔵庫から、ラングラーのジーンズまで、買って持ち帰れる限りのものを彼らは積み込んだ。
おそらく、中でも最も安くて持ち運びに簡単だったのが、ニューヨークでの楽しい時間を思い出させてくれる初期のR&Bやロックンロールのレコードだったのだろう。これらのレコードはその後、リヴァプールに文化を持ち込み、海の向こうから届いた心地よいサウンドを基にビート・ブームが生まれた。ジョン・レノンのクオリーメンなど、スキッフルのグループたちはすぐさまロックンロールへと移行したが、キャバーン・クラブのオーナー、レイ・マクフォールなどから初めての反対に遭っていた。
しかし程なくして、マクフォールや他のリヴァプールのクラブ・オーナーたちもこの新しい音楽を受け入れた。ビートルズやジェリー&ザ・ペースメイカーズ、ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタス、サーチャーズといったグループたちが様々な形でアメリカからの最高に優れた新しいレコードに触れ、 進化させたその音はマージー・ビートとして一世を風靡した。
そして今日、リヴァプールの歴史的地区として活性化された同じ波止場にある、一時は脚光を浴びたその場所を通じて、皆さんの旅は始まるでしょう。幾つかの場所は姿を変え、幾つかは無くなり、幾つかは今も残っている。
まず最初に足を運ぶべきなのは、ビートルズ・ストーリー・ミュージアムだ。このミュージアムには、レプリカのキャバン・クラブ、数多くのオリジナル機材、アートワークやその他の記念品を保管しており、場所はアルバート・ドックにある。このミュージアムではしばしば魅力的な一時展示も行っているので、何度でも訪れる価値がある。
またビートルズ・ストーリーは、キャバーン・シティ・ツアーによる2時間のマジカル・ミステリー・ツアーのおかげで、ビートルズの名所を巡るツアーに出発しやすい場所に位置している。マジカル・ミステリー・ツアーのカラーリングに装飾された色とりどりのバスは、定期的に、ビートルズ・ストーリーの通り沿いにチケット・オフィスがあるアルバート・ドックから出発し、キャバーン・クラブでツアーを締めくくる。チケットにはその夜のキャバーンへの入場許可も含まれるため、無くさないように気をつけよう。ツアーは、ペニー・レーンやストロベリー・フィールド (ここではフィールズではなく、フィールド)、ビートルズのメンバーが幼少期に住んでいた家など、街のあちこちにあるスポットに立ち寄るので、街に慣れるのに手っ取り早い手段でもある。しかし、熱狂的なファンの場合、バスに一緒に乗り込む集団とは離れて、もう一度自分なりの時間をかけて、幾つかの場所やスポットをゆっくり見て回りたくなるだろう。
そしてもちろん、街の中心やその周辺にはビートルズのスポットがたくさん存在しているので、もし数時間あるならば、街に慣れ親しんではどうだろう。せっかく来たのだから、ファブ・フォーを生み出した場所を知り、あまり知られていない場所に訪れるのも悪くない。ガイド付きのビートルズ散策ツアーはたくさんあるし、もし冒険的な気分なら自分で足を伸ばして見るのもいいだろう。そしてマシュー・ストリートに位置する世界的に有名なキャバーン・クラブよりも最適な出発地点はないはずだ。
活気にあふれたナイトスポットというよりも、むしろ裏通りといった趣のマシュー・ストリートは、70年代初期にビルが全壊するまで初代のキャバーン・クラブがあった場所である。歴史において最も伝説的なライブ会場のひとつであるキャバーンは、ランチタイムや夕方に定期的なショーを行っていたビートルズのホーム・グラウンドだった場所だ。彼らが初めて熱狂的なファンを魅了し、地元のレコードショップ経営者だったブライアン・エプスタインに1961年、見出されたのもこの場所だったのだ。
今日、マシュー・ストリートは、数ある中でもサージェント・ペッパーズやラバー・ソウル・バー、キャバン・パブはもちろん、建て直されたキャバーン・クラブでも繰り広げられるライブ・ミュージックと併せて、活動の中心地であり、誰もが認めるナイトスポットである。もっと物思いにふけりながら飲みたい場合は、駆け出しのザ・ビートルズがキャバーンでのライブの合間にたむろしていたと言われるグレープス・パブを試してみて欲しい。
ハード・デイズ・ナイト・ホテルとは逆方向にマシュー・ストリートを進み、ちょうどビートルズ・ショップを通りすぎた辺りが、フランク・へシーのミュージック・ショップが存在していたスタンリー・ストリートだ。2017年に今は亡きケン・ダッドが、ビートルズを含むすべてのマージー・ビートのグループに機材を売っていたショップであるとブルー・プラーク (過去に著名人がそこで活動していたことを示す青色プレート) を公表した。
スタンリー・ストリートを下っていくと、エプスタインの家族が経営していたNEMSショップがあったホワイトチャペルに辿り着く。左に曲がってチャーチ・ストリートを進むと、ジョンとシンシア・レノンが結婚式を挙げ、ブライアン・エプスタインが費用を支払ったリーセスがあるリー・ストリートを通過する。
道の突き当たりを横断し、スレイター・ストリートに着くまでボルド・ストリートを進む途中にある23番地には、ジョンと彼のアートスクール時代の仲間、スチュアート・サトクリフがよく遊んでいたジャカランダ・クラブがある。初期のビートルズを地下で演奏させるためにブッキングを行っていたこのクラブ・バーの当時のマネージャー、アラン・ウィリアムズは、その後、彼らのマネージャーとなった。ハンブルグと接点を作り、そこでのグループのライブを実現されたのもウィリアムである。
左に曲がってシール・ストリートを進むと、ビートル・シティのミュージアムがかつてあった場所に辿り着き、そして通りの突き当たり近くに進むと、108番地にアラン・ウィリアムズがもう一つ経営していた昔のクラブのブルー・エンジェルを見つけることが出来る。1960年、シルヴァー・ビートルズ名義で、彼らはポップ音楽のプロモーター、ラリー・バーンズのオーディションをここで受け、ジョニー・ジェントルのスコットランド・ツアーのバック・バンドとしてすぐに旅立った。リヴァプールのバンドにとって初めて経験したツアーだった。ブルー・エンジェルは地元やツアーで街を訪れたミュージシャンたちのアフターアワーズのたまり場として知られ、ビートルズは、一躍有名になりロンドンへと活動の場所を移すまで、ここで社交的な交流を行っていた。
左に曲がってベリー・ストリートを進み、爆破された教会(ビル・ハリーのマージー・ビート紙のオフィスがすぐ近くのレンショー・ストリート81a番地にあった)を過ぎたところで右に曲がり、右折してロドニー・ストリートを進むと、少年聖歌隊員のオーディションに落ちたポールが、1991年に意気揚々とクラシック・アルバム『Paul McCartney’s Liverpool Oratorio』の初演を行ったリヴァプール大聖堂が見えてくる。
アッパー・デューク・ストリートを歩いているとホープ・ストリートへと繋がる。その一角は、ジョンとスチュアートがアパートで共同生活していた3番地のギャンビア・テラスの入り口だ。リヴァプール大聖堂から離れ、もっとモダンなリヴァプール・メトロポリタン大聖堂の方向にホープ・ストリートを進む。そのマウント・ストリートの角が、ジョンとスチュアートが通ったリヴァプール・カレッジ・オブ・アートが昔あった場所である (今はホープ・ストリート沿い)。その隣に、今も学校に非常に積極的に関わりを持つポール・マッカートニーが共同で設立したリヴァプール芸術学校 (LIPA) が建ち、ポールとジョージの通った学校、リヴァプール・インスティチュートがある。
引き続きホープ・ストリートを進むと左手に細いライス・ストリートが見えてくる。そこにジョン・レノンや彼の仲間を含むアート・スクール学生のお気に入りの場所、伝説的なリヴァプールのパブ、イー・クラックが見えてくる。ホープ・ストリートを隔てたところにあるフォクナー・ストリートは、ブライアン・エプスタインが36番地にアパートを所有し、新婚夫婦だったジョンとシンシアに彼らの最初の家として貸し出していた場所である。
再びホープ・ストリートを進むと、見逃せないのがずばり、歴史的重要建造物リストのグレード2に掲載されている男性トイレを誇る、リヴァプールで最も人気のパブのひとつ、フィルハーモニック・ダイニングルームズである。こちらもまたジョンのお気に入りの場所だった。そしてジョンは、有名税についての質問に対して、「フィルで酒を買うことが出来ない」と答えたといわれている。
ホープ・ストリートを上がったところにリヴァプール・メトロポリタン大聖堂がある。それは、爆弾攻撃があった1940年10月9日、ジュリア・レノンが愛国心に駆られてジョン・ウィンストンと名付けた息子を出産したオックスフォード・ストリートの向かい側にあった元産科病院にあった。
街の中心地に戻りたい場合は、マウント・プレザントを下っていけば良い (ジョンとシンシアはその64番地にある元登記所に婚姻届を出した)。しかし、もっと郊外にあるビートルズのスポットを探索するのであれば、そろそろ痛みがうずく足に休息を与えるのが一番である。
2時間の小旅行が55ポンドから楽しめるビートルズのホットスポットを巡る特別ツアーを誇るファブ・フォー・タクシー・ツアーで、日帰り旅行をするのもひとつの手だ。もしくは、ローカルバス用のマージートラベルのパスを使って、公共交通機関を活用することも可能だ。
あちこち歩き回ることを選ぶとしても、ビートルズに対する執着と共にどれぐらい真剣に回りたいかによって、訪れたい場所が山ほどある。手始めとして、フォースリン・ロードの20番地とメンディプスのメンローブ・アベニューの251番地にあるポールとジョンの幼少期の頃の家が、それぞれ歴史的建築物としてナショナル・トラストに保護されている。ナショナル・トラストは、50年代に彼ら2人がそこに住んでいた頃の見栄えに可能な限り近くように復元した両方の家にガイドツアーを設けている。このツアーに参加するには予約が必要なこと、そしてかなり早い段階で予約が満席になってしまうことを覚えておいて損はない。家を直接訪ねても、入ることは出来ないのだ。
メンディプスからそう遠く無い所に、教会の庭で開かれたパーティーに参加していた若者たちをもてなしていたグループ、クオリーメンのメンバーだったジョンと、ポールが初めて会ったウールトンのセント・ピーターズ・チャーチがある。教会の敷地内には、1939年にこの世を去った実在のエリナー・リグビーの名前が記された墓碑がある。曲のタイトルを思いついたのは、ブリストルのワイン業者の店頭にあったリグビーの名を気に入ったことだとポールは記憶しているにもかかわらず、この2人が出会った敷地内で彼女の名前がお墓に輝きを添えたことは、少なくとも、興味深い共時性という巡り合わせである。
メンディプスから次に立ち寄るに相応しいのはストロベリー・フィールドだ。ビートルズの革新的な1966年の作曲へのインスピレーションは、この元孤児院の壁を乗り越え、想像の世界に没頭していた幼少期の思い出である。有名な赤い門の義務的な写真はさておき、ここに引き留めるものが少しある。この元孤児院は、インターナショナル・ビートルウィークの期間に、ビートルズのトリビュート・バンドと共にガーデン・パーティーといったイベントを開催し、時折、門戸を開く機会があった。しかし今日、このゲートは固く閉じられ続けている。
メンローブ・アベニューを進んで旅を続けてみよう。街の中心地に近付くにつれ、レノンとマッカートニーの裕福な足跡をたどりながら、そのうち、ペニー・レーンと接続した環状交差点のバス待合所に到着するだろう。銀行もまだ同じ場所にある。「フィッシュを4つ」と、注文出来る地元のフィッシュ・アンド・チップス店よりましな場所などあるだろうか。
郊外には、訪れるべき場所がもっとある。ジョージ・ハリスンはそれほど遠くないペニー・レーン北部にあるアーノルド・グローブの12番地で生まれた。さらに、彼の出生地はマドリン・ストリート9番地で、街の中心地へと戻る道のりからは若干遠回りになるアドミラル・ゴローブ10番地にあるのが、リンゴ・スターの子供のころの家。どちらの家も道路から写真を撮ることしかできないが、ここに訪れることで彼らが生まれ育った背景を多少、洞察できるだろう。しかし場所を探す価値が十分にある一枚のシャッターチャンスは、リンゴの1970年代のソロ・アルバム『Sentimental Journey』のカバーに起用されたアドミラル・グローブの道の突き当たりにあるエンプレス・パブである。
リヴァープール内、およびその周辺にはザ・ビートルズの出没場所、家、溜まり場が数え切れないほどあり、ツアリスト・インフォメーション・オフィスが場所を突き止める手助けをしてくれる。だが、絶対に見逃すべきでない最後の立ち寄り場所は、以前はモナ・ベストが経営していたカスバ・コーヒー・クラブで、ビートルズがモナの息子、ピート・ベストにドラムの協力を得たりしながら演奏していた場所である。緑豊かな郊外のヘイマンズ・グリーン8番地に位置する人里離れた建物、カスバは現在、60年代前半のころのようにベストの家族によって維持されており、ツアーや各種イベントのために公開されている。必ず事前の予約を行うこと。
コアなザ・ビートルズのファンは、何をおいても1年に1度、ビートルズの出生地に巡礼の旅をするため時期がある。それはオーガスト・バンク・ホリデー辺り、リヴァプールがインターナショナル・ビートルウィークを開催する時期の8月である。メインのライブと共に、トリビュート・バンドや多数のスペシャル・ゲストたちが街の至るところで公演を行うほか、当時その周辺にいた人々によるトークショーや、フリーマーケットからリンゴ・ビンゴ!まで、ありとあらゆる形でビートルズに関連した楽しいイベントが開催される。
他の街と同様に、自分自身で場所を発見することがこの楽しみの一端であり、マシュー・ストリートやアルバート・ドックスといった会場の周辺に、点々と多数存在するビートルズの像を見つけることが出来るだろう。また、ビートルズとの関連性を喜んで誇る (ほんのわずかな関連性だったりもするが) たくさんの場所を見つけるだろう。より観光客に優しいビートルズの名所は、ファブ・フォーの空気に浸り、他の観光客や地元の人たちとおしゃべりをし、リヴァプール最大の輸出品に対する愛情といった共有された情熱を味わう素晴らしい場所を生み出すのだ。
■ビートルズ・ストーリー
http://www.beatlesstory.com/
■ジョンの幼少期の家
https://www.nationaltrust.org.uk/beatles-childhood-homes
■ポールの幼少期の家
■ジョージ・ハリスンの出生地
■リンゴ・スター幼少期の家
■セント・ピーターズ・チャーチ
http://www.stpeters-woolton.org.uk/
■ストロベリー・フィールド
http://www.strawberryfieldliverpool.com/home
■ペニー・レーン
■キャバン・クラブ
https://www.cavernclub.org/
■カスバ・コーヒー・クラブ
http://www.petebest.com/casbah-coffee-club.aspx
■フィルハーモニック・ダイニングルームズ
https://www.nicholsonspubs.co.uk/restaurants/northwest/thephilharmonicdiningroomsliverpool
■ブルー・エンジェル
■エンプレス・パブ
■リヴァプール芸術学校 (LIPA)
https://www.lipa.ac.uk/
■ビートルズ ツアー
◇マジカル・ミステリー・ツアー
https://www.cavernclub.org/the-magical-mystery-tour/
◇ビートルズ ウォーク
https://www.beatleswalk.com
◇ファブ・フォー・タクシー・ツアー
http://fab4tours.co.uk/
■ビートルズ・テーマ・ホテル
◇ハード・デイ・ナイト・ホテル
http://www.harddaysnighthotel.com/
◇イエロー・サブマリン
http://www.yellowsubliverpool.co.uk/boats.html
◇ペニー・レーン・ホテル
http://www.thepennylanehotel.com/
さらに詳しい情報は…
■インターナショナル・ビートルウィーク
https://www.internationalbeatleweek.com
■Visit Liverpool
https://www.visitliverpool.com/things-to-do/the-beatles
- ザ・ビートルズ アーティスト・ページ
- ザ・ビートルズ関連記事
- 『Abbey Road』が2010年代全米アナログ盤売上で首位に。この10年間のトップ10も公開
- ザ・ビートルズのルーフトップ・ライヴ:バンド最後の公でのパフォーマンス
- ビートルズの『Abbey Road』発売当時の賛否両論と傑作と評される理由
- ビートルズのシングル・ディスコグラフィー:世界を変えた22枚
- Abbey Road:ザ・ビートルズと横断歩道、そして8トラック・レコーダー
- 『Abbey Road』50周年記念、ハリウッド・ブルーバードが通行止めになりあの横断歩道が出現
- プロデューサー、ジェイルズ・マーティンが語る”ホワイト・アルバム”50周年記念盤
- ビートルズの前身バンド、ザ・クオリーメンが集結&ドキュメンタリー映画が公開
- ザ・ビートルズ関連記事一覧
『Abbey Road』50周年記念エディション:フィジカル6形態とデジタル配信にて発売
①4枚組スーパー・デラックス・エディション
②2CDデラックス
③1CD
④3LPデラックス・エディション
⑤1LP
⑥カラー1LP
デジタル/ストリーミング
の各フォーマットで発売。